世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

▲世界史の中で「戦国」を見ようとしていたものの…(NHKスペシャル)

 

◆日本中世史研究の呉座勇一が、『女帝 小池百合子』(石井妙子著)の書評の最後で嘆いていました。

 

 「他人の心情に無関心で、利用価値のない人間にとことん冷淡であるように映る彼女の人間性は、確かに恐ろしい。けれども真に恐ろしいのは、彼女の本質に気づかず、そのポピュリズムに幻惑されてきた日本社会ではないだろうか。

 職業倫理や専門性を持たないタレント学者や自称歴史家のもっともらしいヨタ話が社会的影響力を持つ様を、評者は何度も目にしてきた。私たちが対峙すべきなのは、表面的な面白さを追いかける風潮そのものなのである。」(*1)

 

 ◆世界史教育にたずさわってきた者として、自戒しなければならないと思います。カルチャーセンターで教えてみて、「表面的な面白さを追いかける風潮」が非常に強いことを感じてきました。そのような風潮の影響を受けていることに気づいてもらうのは大変です。時には、反発も受けてしまいます。

 

◆最近放映されたNHKスペシャル「戦国」の2回目は、近世初期の日本(「元和堰武」に依拠しているのでしょう、大坂の陣までを戦国期と捉えているようでした)を世界史との関わりで考えようとする番組でした。戦国時代の日本を世界史の中に位置づける研究は20年以上前から続いてきましたので(*2)、そのような流れを受けて作られた番組だったと思います。新たな視点で「戦国」を捉えたいという意欲は感じましたが、残念ながら、「表面的な面白さを追いかける風潮」に掉さす番組になっていました。

 

◆「歴史のある部分にフォーカスしてそれを拡大する」という手法を積み重ねて、ストーリーを作っていますので、歴史の見方はどうしても一面的になります。たとえば番組冒頭では、「リーフデ号の銃が関ケ原の戦いの勝敗の分かれ目になった」というような作り方をしていました。関ケ原の戦い全体を多角的に分析するという視点はありません。このようなことが番組全体に見られますので、重要な歴史的事項は少なからず切り捨てられていました。

 

◆しかも悪いことに、「戦国日本が世界を動かした!」が番組の大きなメッセージでした。「世界の動きの中の戦国日本」では満足できないのでしょう。グローバルな視点で考えているように見えながら(アジア諸地域の関係を捉える視点は欠けていました)、実は、ナショナルな枠組みに歴史の見方を収斂させていたと言えます。結局は、日本人のナショナルな心情を満足させる栄養剤のような番組になってしまいました。番組の「社会的影響力」を考えると、困ったことだと思います。現在の日本の国力低下への危機感が、あるいは現在の日本人の自信のなさが、「ニッポンはすばらしかったのだ!」という番組を作らせるのでしょうか?

 

◆問題点は、他にもたくさんありました。基本的なことだけ、簡単に述べておきます。そもそも、17世紀前半、スペインの国力はもう陰りを見せていました。オランダとスペインのヨーロッパにおける力関係は、オランダの実質的独立で決着がついていました。また、よく知られているように、スペインの無敵艦隊は、1588年にイングランド艦隊に敗れていました。番組は、これらの事実にはまったく触れていません。オランダとスペインには、戦略的な違いもありました。オランダ東インド会社は日本との貿易を手放さないという強い方針を持っていましたが、スペインの最重要地域は、アジアではフィリピンでした。また、オランダがモルッカ諸島で戦った相手は、ポルトガル人でした(当時はスペインとの同君連合でしたが、日本側もスペイン人とポルトガル人を区別していました)。「オランダが世界の覇権を握った」というのは、言い過ぎです。また、中国、朝鮮、琉球、東南アジアとの関係など、より広い視野が必要でしょう。銀については、なぜか佐渡にだけ焦点を当てていましたが、家康は1601年石見銀山を直轄地にしていました。中国にまったく触れずに銀の世界的流通を論じるのは、通常では考えられないことです。

 

◆呉座勇一が指摘していたように、メディアや出版物で流される「もっともらしい話」が恐いのは、多くの人びとの歴史の見方に強い影響を与えるからです。「戦国日本が世界を動かした!」という誇大なメッセージも、強い影響力を持ったかも知れません。「栄養剤」は、一時的に効いたかも知れません。「今の日本社会はこのようなメッセージを必要としているのか」と思うと、私は、むしろ辛い気持ちになるのですが。

 

アメリカの歴史家キャロル・グラックは「良き歴史家なら誰しも、ナショナルでエスノセントリックな井戸の中の蛙のように過去をみなくなる可能性があるだろう」と述べていました(*3)。しかし、そのような可能性をひらいていくためには、まだかなりの努力が必要であることを、今回の番組は私たちに教えています。

 

(*1)朝日新聞、2020.7.18 読書欄

(*2)たとえば、村井章介『海から見た戦国日本』(ちくま新書、1997)[現在は『世界史のなかの戦国日本』と改題・増補され、ちくま学芸文庫]。江戸初期には触れていませんが、NHKスペシャルよりも広い視野がありました。

(*3)キャロル・グラック「転回するグローバル・ターン」[梅崎透訳、『〈世界史〉をいかに語るか』(岩波書店、2020)所収]