世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★シュルレアリスム100年【シュルレアリスムと女性】

 

◆今年はアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』発表(1924年)から100年という年だそうです。

 

◆ダリやマグリットの絵を少し見てきただけですのであまり大きなことは言えませんが、私はシュルレアリスム(超現実主義)を敬遠気味に過ごしてきました。男性中心主義やエリート主義の匂いを強く感じてきたからです。シュルレアリスムに限りませんが、思想・芸術全般にエリート男性の性的傲慢さ(自覚されない「男根主義」)がずっと続いてきたと思います[*1]。

 

◆本棚から古い雑誌を取り出して眺めていたら、日本でも、すでに1980年代にそのような見方が出されていたことを知りました。香川檀という方が女性シュルレアリストについて書いた文章です。正鵠を射た、次のような一節がありました。

 

 「彼女たちは重大かつ厄介な問題にぶつかった。性(セックス)である。周知のとおり、シュルレアリスムの性思想はフロイトの性愛理論、わけても男根主義エディプス・コンプレックス説に拠るところが大きい。そこにおける女性は、性において受動的な(あるいは性欲のない)存在として定義づけられていた。しかし女性たちは、シュルレアリスムの啓示に従って心の深層にひそむ性的なものを発掘すればするほど、そうした男性の身体経験にもとづき、男性の言語によって語られた性表現に違和感を覚えるようになった。」[*2]

 

シュルレアリスムがフランスで生まれたことも、関係しているのかも知れません。フランスは、フランス革命期にグージュを生んだ国であるにもかかわらず、ナポレオン法典(1804年)によって男性中心主義(家父長主義)が固定され、女性参政権の獲得も遅れた国(1944年)だったからです(日本は1945年)。「芸術の国フランス」・「芸術の都パリ」は事実だったとは思いますが(多くの日本人が単純に憧れました)、現在の視点からは、幻想の部分もあったと言えるのかも知れません。現在では、「家父長主義のフランス」や「植民地帝国フランス」、「レイシズム(人種差別主義)のフランス」といった視点も欠かせないでしょう(「フランス」を「日本」に置き換えて考えることも忘れてはなりませんが)。

 

◆男性シュルレアリストたちは、「無意識」を探究するシュルレアリストであったにもかかわらず、自分の「無意識」に本当には向き合っていなかったのでしょう。自分のセクシュアリティに向き合うことは難しいことだったと思いますが(それは現在も同じです)、20世紀前半において最も前衛的だった思潮も、「無意識」の古い軛から自由ではなかったのです。

 

[*1]典型的なのは、フランス文学者の澁澤龍彦です。広い意味のシュルレアリストだったと言っていいと思いますが、彼は最初の妻・矢川澄子に4度にわたって中絶手術を受けさせ、子どもを産めない体にしてしまったとのことです。(中絶は矢川自身の判断ではなかったようです。Wikipedhiaの「矢川澄子」の項参照。)

 

[*2]香川檀「魔女たちのイニシエーション」(「季刊みづゑ」1986秋号、美術出版社)。複数の女性シュルレアリストが作品と共に紹介されていました。なお、グザヴィエル・ゴーチエの『シュルレアリスムと女性』(平凡社ライブラリー)を読もうと思ったのですが、残念ながら品切れのようです。