世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★フランスの革命とカリブ海域植民地

 

第一共和政における奴隷制度廃止】

 

◆忘れられがちですが、フランス革命中の1794年2月4日は記念すべき日付です。フランス領サン・ドマングの代表3人が国民公会に出席し、「黒人奴隷制廃止決議」を目撃したのでした。

 

◆1791年からの黒人奴隷の反乱というサン・ドマングの混乱の収束を目指したものだったとはいえ、歴史上、黒人奴隷制を最初に廃止したのはフランス第一共和政でした。しかし、ナポレオンは方針を転換し、1802年マルティニクやグアドループでは奴隷制が復活しました。

 

サン・ドマングで軍事的・政治的実権を手にしたトゥサン・ルヴェルチュールが独立志向を強めると、1803年ナポレオンは数万の軍を派遣しました。結局、熱帯性気候に慣れないフランス軍は敗れ、1804年サン・ドマングハイチ共和国として独立します。

 

◆一方、カリブ海域の他のフランス植民地(マルティニク、グアドループギアナ)では、奴隷制奴隷貿易が続きました。

 

第二共和政における奴隷制の廃止】

 

◆1848年の二月革命で成立した第二共和政では、男子普通選挙権の実現(3月)が重要です。ただ、4月27日に「奴隷制廃止宣言」が出されたことも大切な歴史です。ヴィクトル・シュルシェールらが中心となりました。フランス革命が目指した「自由・平等」の重要な一部が実現したのです。

 

◆しかし、奴隷制廃止は植民地制度廃止ではありませんでした(1833年奴隷制を廃止したイギリスも同じです)。シュルシェールも、植民地は維持・拡大すべきものと考えていました。このことは、女性参政権が議論されなかったことと並んで、マルティニク、グアドループなどに複雑な影響を及ぼすことになりました。

 

【同化か独立か:マルティニク、グアドループ

 

グアドループ生まれの哲学者ジャッキー・ダオメは、20年ほど前に次のように書いていました。

 

 「1848年以来、男性市民の投票権が法律で認められることになった。白人の女が持たない投票権を、かつて奴隷だった男が行使できるようになったのである。奴隷制廃止を実現したこの共和国の法を、平等を求める旧奴隷が熱烈に擁護したのはこのためである。(中略)逆説的にも、他のフランス植民地とは異なったアンティル奴隷制の歴史そのものが、解放闘争に同化運動の装いを帯びさせたといえる。」[*]

 

◆文中の「アンティル」はフランス領アンティル諸島の意味で、マルティニク、グアドループのことです。

 

◆マルティニク、グアドループにも独立運動はありました。しかし、何という逆説でしょう。「共和主義の理想を擁護する」ことが、フランス領にとどまるべきという世論を強めることになりました。アルジェリアインドシナなどとはまったく違ったのです。この結果、第四共和政下の1946年、マルティニク、グアドループギアナは、フランスの海外県となり、現在に至っています。

 

[*]ジャッキー・ダオメ「アンティルアイデンティティと<クレオール性>」

(元木淳子訳、『複数文化のために』[人文書院、1998]所収)

 

【歴史を見る目】

 

◆かつて、日本の歴史学界や歴史教育界には、ハイチ独立を無条件に礼賛するような傾向がありました。トゥサン・ルヴェルチュールも英雄視されたりしました。そのような見方からすれば、マルティニクやグアドループは独立しなかった情けない島々と思われたでしょう。

 

◆しかし、歴史的現実は複雑です。ハイチは発展の道を歩めませんでした。マルティニクやグアドループの人びとは、フランスの政治・文化の中で生きながら、自らの「クレオール性」をどう引き受けるかという課題と格闘してきました。そのようなところに目を向けるのが、歴史を学ぶということだと思います。

 

 

【参考文献】

・複数文化研究会編『複数文化のために』(人文書院、1998)

・谷川稔、渡辺和行編著『近代フランスの歴史』(ミネルヴァ書房、2006)

平野千果子編著『新しく学ぶフランス史』(ミネルヴァ書房、2019)

増田義郎、山田睦男編『ラテン・アメリカ史Ⅰ』(山川出版社、1999)