世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★大正15(1926)年、家父長制への痛烈な一撃[小説『山梔』]

 

◆久しぶりに小説を読みました。新聞の新刊案内を見て、作者も作品も初めて知ったのに、なぜか、とても気になっていた、野溝七生子(のみぞなおこ)の『山梔(くちなし)』です。大正15(1926)年に刊行された小説で、以前は講談社文芸文庫から出ていたとのことですが、昨年末ちくま文庫で復刊されました。

 

◆436ページの長編ですが、一気に読ませます。近代日本の非人間的な家父長制への、また個性的な生き方を認めない世間への痛烈な一撃として書かれたのではないかと思います。後半の激情に次ぐ激情、涙に次ぐ涙には少々戸惑いましたが、日本の近代文学史を書き換えてほしいと思わせるくらいの作品でした。

 

古代ギリシアに強く憧れ、文学や神話や宗教を真正面から吸収して自由に生きようとする、主人公の阿字子(あじこ)。そのような少女は、当時も少なからずいたのではないでしょうか。しかしほとんどの女性は、作中の母や姉・緑のように、「家」や結婚という制度的現実に屈していかざるを得なかったのです。15年前の1911(明治44)年には、「青鞜」が発刊されていたものの。そして、欧米では女性参政権が実現していたものの……。

 

◆後半になるにしたがって悲痛さを増していくストーリーを追うことはしませんが、描かれているのは軍人の家庭です。父親のすさまじいヴァイオレンスや兄の暴言(妹の阿字子に「貴様」と怒鳴っていました)は、「軍国日本」の恐ろしさをも示していたように思います。

 

◆読み始めた時から「阿字子」という名まえには不思議な感じを持っていましたが、山尾悠子の解説で納得しました。「阿」は梵語の最初の文字でした(「阿吽」の「阿」です)。何度も聖母マリアや美の女神アフロディテに祈る阿字子ですが(この二者を本質的には同一とする阿字子の理解は新プラトン主義的です)、純真無垢な妹の名は「空(くう)」です。作者は、明らかに仏教の世界観をも表そうとしていました。

 

◆小説の最後の場面は、阿字子の自殺を暗示しているのでしょうか? 多分、違います。「阿」は始まりを表す文字です。最後の場面は、「家」を出て生きていくという、阿字子の人生の新たな始まりを告げているのだと思います。