世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★岩間陽子の文章から考える<近代の戦争と文化史> ※最終更新 2023.1.30

 

◆岩間陽子の『侵攻 飛び交う「歴史の亡霊」』(朝日新聞、2023.1.22付)は、ホロコーストの記憶をめぐって書かれた、説得力ある文章でした(ただ私は、G7に岩間ほど信頼感は持てません)。岩間の文章に関連して、二つのことを述べたいと思います。近代の戦争の歴史と文化史についてです。

 

◆最後の段落に「日本は近代の戦争の歴史を、きちんと教えてこなかった」と書かれていましたが、高校や予備校で世界史を教えてきた者にとっては、違和感のある部分でした。「学校は近代の戦争についてきちんと教えてこなかった」や「近現代史をきちんと教えてこなかった」は、マスコミや研究者の間で、ほとんど常套句のように使われてきました(「きちんと」の理解は幅があってなかなか難しいですが)。50年前の授業には当てはまるかも知れません。しかし、少なくともこの30年間には(歴史修正主義の跋扈があったものの)当てはまらないと思います。

 

近現代史の授業についての先入観が固定観念となり、独り歩きしてきたのではないでしょうか。近現代史は高校・大学の入試にも出題されてきましたので、言われるほどおろそかになっていたわけではありません。確かに、知識偏重に陥り、生徒たちが十分に理解できるようには教えてこなかったかも知れません。しかしそれは、先史や古代、中世や近世についても言えることです。近現代史に限ったことではありません。知識偏重からの脱却は、歴史教育全般の課題となってきました。

 

歴史教育について、岩間は「(授業で)当時の文学や、絵画や音楽や演劇、映画などに接する機会」をつくるべきと述べていました。その趣旨は、とてもよくわかります。文化は歴史事象の付録ではありません。歴史が生み出した果実です。しかし多くの場合、文化史はむしろ近現代史よりもおろそかになってきたように思います[*1]。

 

◆私は、文化史を組み込んだ、総合的な歴史の授業を目指してきました。「世界史の扉をあけると」~「世界史の扉をあけると2」は、その作業の中から生まれたブログです。授業の準備は大変でしたが、生徒たちと歴史の果実を味わえる喜びは何にも代えがたいものでした[*2]。

 

◆ただ、岩間の要望にきちんと応えようとすると、日本の現状では、教員にいっそうの負担がかかることになります。文化史を政治史や経済史、国際関係史などに関連させて理解し授業展開するのは、容易なことではありません。そのうえ、他の校務に忙殺されます(土・日・祝日の部活動の指導も含め、教員の仕事はかなり前からブラック化しています)。今までも、余裕のない職場の中で、多くの教員が情熱を支えに授業の工夫に取り組んできましたが、さらに多忙になれば、教員は疲弊し授業の質は低下してしまうでしょう。多角的な思考力を育むはずの教員から思考力を奪うという悲喜劇的な状況になりかねません。研究者は、教育現場のシビアな状況と今までの授業実践を理解しながら、歴史教育について発言してほしいと思います。多分、指導要領改訂などでは改善できないほど、日本の学校教育は構造的な問題を抱えているのです。

 

◆「近代の戦争」に話を戻しますが、近現代史の授業改善に無関心な(もしくは否定的な)教員が少なからずいたことも、残念ながら事実です。わかりやすい例をあげます。授業の工夫というほどではありませんが、私は毎年生徒たちにNHKの「映像の世紀」(20数年前の番組ですがすばらしい内容でした)から太平洋戦争末期の部分を見せてきました。ところが、同僚から「刺激的過ぎる」と批判されたのでした。驚きました。この教員にとっては、アウシュヴィッツの惨状を伝えることなど、論外だったでしょう。(このような教員が「上」の人たちからは好ましく思われていたのでしたが。)戦争の実際の姿を教えること自体が闘いであるような教育現場がたくさんありましたし、今もあるのだと思います。

 

◆共通テストの出題が工夫されるようになり、「歴史総合」の授業も始まりました。歴史教育をめぐる状況は、多少は良くなっているでしょう。しかし、楽観はできません。山川出版社の「歴史総合 近代から現代へ」のように、従来からの歴史観と記述スタイルを踏襲した、これからの時代を生きる高校生たちにふさわしくない教科書もありますので[*3]。また、歴史認識をめぐる課題は、戦争や植民地支配の捉え方だけではありません。フェミニズムジェンダーLGBT、環境、気候変動、感染症、難民、動物の権利など、課題は複雑さを増しています。歴史を教えることが、そして歴史を生徒たちと共に考えることが、闘いでもあるような状況は、避けがたく続いていくのではないかと思います。

 

[*1]世界史でも日本史でも、文化史は各単元の最後におかれています。そのためでしょうか、教員が政治史や経済史と文化史の関連を意識的に取り上げないと、生徒たちは文化史を付属的な事象のように受け取ってしまいます。また、そのような受け取り方を、教員が強めてしまう場合もありました。残念ながら、文化史を軽く扱う教員が少なくなかったのです(文化史をきちんと教えるのはたやすいことではありません)。高校で4月から始まる「世界史探究」や「日本史探究」では、どんな授業が行われるでしょうか? 

[*2]一つだけ例をあげます。以前「世界史の扉をあけると」に書きましたが、高校の生徒たちに比較的好評だったのは、「大西洋奴隷貿易」の授業でした。大西洋の三角貿易について学んだ後、18世紀後半に成立したとされる曲「アメイジング・グレイス」を聴いてもらい(楽譜と歌詞もプリントしました)、作詞者のジョン・ニュートンについて解説して、イギリスの奴隷貿易廃止(1807)につなげました。

 またカルチャー・センターの講座では、上記の内容に加えて、ターナーの絵画「奴隷船」も取り上げ、奴隷貿易港であったリヴァプール市の謝罪決議(1999)を紹介して締めくくりました。多くの方は、「謝罪」は日本だけがするものと思っていたようです。

[*3]先日の記事<「歴史総合」資料集(浜島書店版)から考えること>をご覧ください。