世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★「歴史総合」教科書の検討3【万博・博物館・美術館・植物園】

 

◆現在まで続く万国博覧会の開催(第1回はロンドンで、1851年)は、近現代を象徴する国家的イベントです。帝国主義とも結びつきました。次の2冊が詳しく取り上げています。

  ①「詳述歴史総合」(実教出版

  ②「詳解歴史総合」(東京書籍)

 

◆①も②も明治日本の「内国勧業博覧会」に触れており、「歴史総合」という科目の趣旨が生かされていると思います。

 

◆①は、本文のほか、「博覧会にみる近代」という特集(2ページを割いています)でも取り上げていて、意欲的です。ただ、いわゆる「人類館事件」を「歴史総合」の教科書で詳しく取り上げるべきかどうかは、議論が分かれるところだと思います。②の取り上げ方で十分のような気がします。

 

◆①や「歴史総合」(山川出版社)は、万博からフランスなどにジャポニスムが広まったことにも触れています。①には「ゴッホなど印象派の画家たち」という記述がありますが、歴史の教科書ですので、もう少し厳密さが必要です。現在の美術史では、ゴッホゴーギャンセザンヌと並んで、「ポスト印象派」に位置づけられているからです。

 

★①の本文には次のような記述があって、近現代史を総合的にとらえようとしていました。

 

 「19世紀のイギリスとフランスでは、ブルジョワ中産階級とよばれる市民層を基盤とする文化が花ひらき、おもに家族を中心とした生活様式や消費行動とむすびついて発展していった。文化は、公的機関によって保護・推進され、都市にはコンサートホール・オペラ劇場・美術館・博物館などの文化施設が備えられた。」

 

近現代史においては、このような視点がとても重要です。錯覚しがちですが、ルネサンスの時代には公的な美術館はなかったのです。もう一歩踏み込んだ記述(たとえば大英博物館の「エルギン・マーブル」の問題など)があればなお良かったと思いますが、それは「世界史探究」や「日本史探究」に譲るべきなのでしょう。なお、大英博物館の開館は1753年、ルーヴル美術館の開館は1793年でした。

 

■植物園について触れた教科書は見当たりませんでした。もちろん、ヨーロッパから世界中に散っていったプラント・ハンターたちの記述もありません。しかし、近現代史における、西ヨーロッパ諸国の植物の収集・栽培・展示は、異常な熱を帯びて行われていたのです。博物学者リンネ(世界史では植物学者として紹介されてきましたが)は、「国家の富」について、次のように述べていました。1746年のことです。

 

 「経済学の目的はよその国から自国で生産できない植物を集めて栽培することである。」[*1]

 

 プラント・ハンターたちは、いわば「リンネの使徒」でした。

 

■ちなみに、第1回万博の水晶宮クリスタル・パレス)の設計者は庭師のジョゼフ・パクストンでした。また、第2回ロンドン万博(1862)の会場の隣には大きな庭園が造られ、万博と庭園の共通入場券が発売されていました。[*2]

 

■砂糖、茶、コーヒー、綿花、ジャガイモなどへの着目が世界史の授業を豊かにしてきました。しかし、「歴史総合」の教科書では、全体として「モノの世界史」の視点が後退しているように思います。近現代では、啓蒙主義(残念ながらこの考え方への視点も弱いのですが)の影響で、モノの獲得の欲求がきわめて強くなりました。その代表が、エジプトやギリシアをはじめとした世界中の文化財であり、世界各地の植物でした。植民地支配について、かつて次のような表現があったそうです。

 

 「まずミッショナリ(引用者注:宣教師のことです)が来て、次に帝国の植物学者が現れ、最後に帝国の軍隊が登場する。」[*3]

 

◇「歴史総合」は世界の近現代史と日本の近現代史を総合的に学ぶ科目です。ただ、2つの近現代史の総合ということだけではないでしょう。「歴史の総合性」を回復することが重要です。万国博覧会・博物館・美術館・植物園などを視野に入れた、総合的な近現代史が求められていると思います。

 

[*1]草光俊雄・菅靖子『ヨーロッパの歴史Ⅱ』(NHK出版、2015)

[*2]同上書

[*3]同上書