世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

■「歴史総合」資料集(浜島書店版)から考えること【付:スピノザとその翻訳】

 

◆浜島書店の資料集「新詳歴史総合」は、世界と日本の近現代史のほぼすべてを網羅していますので、授業では使いやすいのではないかと思います。

 

◆ただ、従来の世界史・日本史などの資料の寄せ集めという印象はぬぐえません。誤りに近い部分や不足の部分もありました。特に日本の戦後史は弱いようです。

 

【誤りに近い部分:「イスラーム教」・「コーラン」という表記】

 

▼11ページの「世界の宗教」に「イスラーム教」と書いてありましたが、20年ぐらい前の表記です。一般的な本ではなく歴史のテキストですので、「イスラーム」としてほしかったと思います。周知のように、「イスラーム」は「唯一の神への絶対的な帰依」という意味だからです。「仏(仏陀)の教え」や「キリストの教え」のように考えることはできません。「イスラーム教徒」も、「ムスリム」とすべきだったでしょう。聖典の名称も、アラビア語の発音に近い「クルアーン」という表記にすべきでした。

 

【不足あるいはアンバランスの部分:公害・フェミニズム・60年代末】

 

足尾鉱毒事件と田中正造について詳しく述べていて(103ページ)、たいへんよかったと思います[*1]。ところが、戦後の(現在も続く)水俣病については、あっさりした記述になっていて、残念でした。日本の近現代史における公害問題の取り上げ方として、あまりにもアンバランスです。水俣病の患者さんたちの声や石牟礼道子の『苦海浄土』などに触れながら、足尾鉱毒事件と同じく半ページを使って解説すべきだったと思います。索引にも、水俣病という語はありませんでした。

 

フェミニズム(女性の権利拡大運動、女性解放思想)の歴史の取り上げ方については、教科書を検討した時から注目してきました[「歴史総合」教科書の検討7・フェミニズム、2022年7月]。浜島の資料集はオランプ・ド・グージュの「女性および女性市民のための権利宣言」を大きく取り上げていて(50ページ)、すばらしいと思いました。しかし、残念なことに、その後のフェミニズムの記述はしりすぼみとなってしまいました。山川の「歴史総合 近代から現代へ」(歴総707)など、フェミニズムの歴史を軽視する教科書があるのは残念というほかありませんが[*2]、浜島の資料集の場合も、女性参政権や現在のジェンダー問題まで一貫した姿勢で編集してほしかったと思います。

 

▼「1960年代の社会」(179ページ)の取り上げ方は、中途半端でした。アメリカの公民権運動、ベトナム反戦運動ウッドストックなど、言わば定番の(40年ぐらい変わらない)内容で終わっていました。先に述べた水俣病フェミニズムも同じなのですが、「歴史総合」としての新たな視座が感じられませんでした。「歴史総合」という新科目を生かすためには、戦後日本のとらえ方を刷新しなければならないと思います。

 たとえば、1960年代末の日本社会にも注目すべきです。すでに半世紀が過ぎましたので、「東大闘争」に象徴される、1960年代末の学生反乱・全共闘運動を、重要な対抗文化(カウンター・カルチャー)として現代史に位置づけるような見方が求められていると思います(他の教科書や資料集も同じです)。当時の学生たちの大学や学問・社会に対する問いかけは、その後の社会運動にさまざまなかたちで引き継がれながらも(たとえばウーマン・リブや障害者運動)、まだ未決の問題として残っているからです。[*3]

 

[*1]「山と渓谷」2022年11月号(山と渓谷社)は、足尾鉱毒事件の被害がいまだ癒えない山肌の写真を大きく載せていて、すばらしい編集でした。

[*2]「教科書の検討7」でも述べましたが、山川の「歴史総合 近代から現代へ」は、驚くべきことに、オランプ・ド・グージュにも平塚らいてうにも触れていません(かろうじて市川房枝には触れていますが、索引にその名はありません)。執筆者たちは男性中心の歴史叙述に何の疑問も持っていないのでしょう、ナイティンゲールやマリ・キュリーさえ無視されています。もちろん与謝野晶子などには触れるはずもありません。このような教科書が採用数最多なのだそうです。新科目「歴史総合」はスタート時点からすでに危ういということでしょうか。

[*3]小杉亮子のインタビュー記事(朝日新聞、2022年12月8日付)を参照していただければと思います。

 

小杉も触れていたように「東大の権威」は続いていますが、最近「東大の権威」に関連して戸惑うことがありましたので、少しだけ述べます。

 17世紀後半のオランダにスピノザという哲学者がいました(今月、わが国初の「スピノザ全集」の刊行が始まりました)。ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の大学からの招きを断り、在野に生きたスピノザですが、そのスピノザを研究して東大に職を得ていく学者もいます。もちろん現代では当たり前のことではありますが、ちょっと複雑な気持ちになりました。ほんとうは、スピノザと「東大(という権威)」は相容れるものではありません。

 その点では、岩波文庫版『エチカ』などの翻訳者だった畠中尚志という方は、在野でひたすらスピノザを研究した真の学者であったと思います(私は『エチカ』を「世界の名著」の工藤喜作・斎藤博訳で読みましたが、畠中訳はすぐれたものだったようです)。

 やはり在野で執筆活動を続けた吉本隆明という思想家がいました。吉本と畠中は思想的には交わらないでしょうが(案外近接していたようにも思います)、吉本の述べていた「自立の思想的拠点」を畠中尚志はしっかり持っていたと思います。