世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★「世界史探究」教科書の検討12[17世紀のオランダ(山川・新の充実した叙述、帝国の驚くべき表記)]

 

◇今まで3冊の教科書(山川出版社の『詳説世界史』、東京書籍の『世界史探究』、実教出版の『世界史探究』)を比較・検討してきましたが、今回から山川出版社の『新世界史』と帝国書院の『新詳世界史探究』も検討対象に加えます(山川・新、帝国と略記)。

 

<山川・新の充実した叙述>

 

◆山川・詳説の記述も旧課程版より良くなっていますが、17世紀のオランダについてすばらしい叙述をしているのは山川・新です。17世紀のオランダ社会を、文化を含めて総合的にとらえています。

 

 「商業の発達を背景に、17世紀のオランダはヨーロッパでもっとも都市化が進み、文化も成熟してレンブラントフェルメールなどの画家は、王侯や協会の庇護には頼らず、都市のブルジョワを顧客とした。オランダは宗教的寛容の気風をもち、当時のヨーロッパではポーランドヴェネツィアと並び、例外的にユダヤ人にも寛大であった。こうした土壌が法学者グロティウスや哲学者スピノザを生んだが、加えてフランス人のデカルトイングランド人ロックが住むなど、オランダは学問や出版においてもヨーロッパの中心となった。」(206ページ)

 

 ※上記の引用文では訂正してありますが、「17世期」という誤植がありました。情けないことです。

 

レンブラントを取り上げるのはごく標準的ですが、フェルメールにも触れて、その「地理学者」を図版として載せているのは、特筆すべきことです。世界史の教科書としては、初めてではないでしょうか。また、スピノザデカルト、ロックに触れているのもすばらしいと思います。[*1]

 

[*1]私は、17世紀オランダの授業で必ずフェルメールスピノザデカルトに触れてきましたので、共感をもって読みました。「自由な国オランダ」について述べた、デカルトの『方法序説』の一節やホイジンガの『レンブラントの世紀』の一節を、教材として使ったこともあります。(なお「イングランド人ロック」という表現は珍しいですが、このことについては後日述べたいと思います。)

 

◆少なからぬユダヤ人もアムステルダムで活動していましたが、ユダヤ人に触れている教科書は、残念なことに山川・新と実教だけです[*2]。

 

[*2]スピノザユダヤ人でしたが、ユダヤ教に疑問を持ち、ユダヤ教会から破門されました。キリスト教にも距離をおいて独自の思想を形成したスピノザは、やがて『エチカ』にその哲学を結実させました。時代は飛びますが、アンネ・フランクの一家が隠れ住んでいたのも、アムステルダムでした。

 

◆授業では、「宗教的寛容の気風」に留意する必要があります。人文主義エラスムスも、思い出しておくべきでしょう。

 

<帝国の驚くべき表記:「ネーデルランド」>

 

帝国書院の教科書がネーデルラントを「ネーデルランド」と表記していることには、驚かされました。オランダ語の発音はネーデルラントです。「ネーデルランド」と表記している教科書は、帝国以外にはありません。まるで、戦前か戦後まもなくの頃の教科書のようです。[*3]

 

[*3]手元に、古本屋で買った、1969年出版の「岩波講座・世界歴史15」がありますが、その中の栗原福也の論文にも、すでにネーデルラントと記されていました。

 

◆帝国は、ずっと以前から「ネーデルランド」という表記を使い続けてきたのでしょうか? 歴史教科書として恥ずかしいと思います。