世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★「世界史探究」教科書の検討13[アメリカ独立革命の見方(山川・詳説など)]

 

独立戦争の開始(1775)から合衆国憲法の制定(1787)あるいは憲法修正(1791)までの一連の出来事を「アメリカ独立革命」と呼ぶことは、かなり一般化しています。この用語を最も積極的に使用しているのは、実教の教科書です。

 

 「この一連のアメリカの独立の過程は、イギリスの重商主義政策と結びついた特権的なエリートの支配を打破し、人民主権をかかげて共和政を実現したことから、アメリカ独立革命とよばれる。」(230ページ)

 

◆山川・新は「アメリカ革命」という語を使って4ページを割き、合衆国憲法の修正条項まで史料として掲載しています。やや煩瑣な説明も見られますが、新国家の生みの苦しみにも焦点を当てた内容です。

 

◆一方、山川・詳説は「アメリカ合衆国の独立は革命としての性格ももつことになった」と述べ、やや控えめです。ただ山川・詳説には、注目すべき記述がありました。

 

 「アメリカ合衆国の独立は、広大な共和国の誕生として、君主国の多かったヨーロッパに衝撃を与えた。」(210~211ページ)

 

◆「ようやくこのような記述に出会えた」と思いました。私は、五十嵐武士の以下のような文章[*1]を参考に、アメリカ合衆国が共和政(共和国)を選択したことに留意して、授業を行ってきたからです。

 

 「フィラデルフィア会議で合衆国憲法を起草する際の理論的な問題とは、広大な領土という、共和国というよりも帝国にふさわしい条件の下で、連邦政府に帝国を統治する君主政の活力を備えさせながら、共和国の自由をいかに確保するかということであった。」

 『それ(引用者注:合衆国憲法草案)は、共和国は小さな領土でしか存続しえないとする共和主義の一般的な見方を打ち破って、帝国的な領土に共和国を樹立するために、「連邦共和国」を創設する、思想的にも独創的な提案だったのである。』

 

[*1]五十嵐武士「啓蒙のかがり火、民衆のめざめ」[『世界の歴史21・アメリカとフランスの革命』(中央公論社、1998)所収]

 

◆共和政(共和国)という選択は、簡単なものではありませんでした。また、君主政が当たり前だった、当時のヨーロッパ諸国にとっては、想像さえできない選択だったと思います。そのような見方があってはじめて、フランス革命から第三共和政にいたる、フランス政体の紆余曲折も理解できると思います。

 

◆一方、北アメリカ東部13植民地の喪失は、イギリスにどのような教訓をもたらしたのか、という視点も大切だと思います[*2]。13植民地を失ったことは、イギリスにとって大きな打撃とはなりませんでした。進行していた産業革命を阻害する出来事ではなかったからです。カナダなど自治的植民地のコントロールのし方を調整しながら、インドや中国への圧力は強めていきました。13植民地を失った後、イギリスは「世界の工場」となり、「パックス・ブリタニカ」へと向かったのです。

 

[*2]井野瀬久美惠『大英帝国という経験』[興亡の世界史16、講談社、2007]参照。