世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

▲高校の歴史教育(「歴史総合」~「世界史探究」・「日本史探究」)が早くもぶつかっている困難【追記10/9】

 

◆昨年度から実施されている高校の新教育課程では、教科「地理歴史」の場合、1年生で必修の「歴史総合」・「地理総合」を学び、2・3年生で「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」から1科目選択して学ぶという科目構成になっています。

 

◆授業が始まってまだ2年目の「歴史総合」(わずか2単位)ですが、あえて述べておきたいと思います。高校3年間の歴史教育のあり方を考えた時、<「歴史総合」=世界と日本の近現代史>という考え方は適切だったのでしょうか?

 

◆<「歴史総合」=世界と日本の先史~近世史>(3単位)という考え方もできるのではないかと、「歴史総合」の大まかな内容が公表された時に思いました。いま、その時の気持ちがしだいに大きくなっています。

 

◆<世界と日本の近現代史>を高校1年生の必修とする場合は、「世界の諸地域の文化圏の成立・伝播・交流・変容を学ばずに近現代史を理解できるのか」という根本的な問題が生じるのですが、このことを文科省有識者で議論した形跡はないようです。宗教や民族に関わる問題が、近現代においても多発してきました。本当は、それらの背景にある古代~近世の歴史を理解する必要があります。

 

◆たとえば(例をあげれば切りがありませんが)

  ・古代オリエント史[①]を学ばずに

  ・古代ギリシア・ローマ史[②]を学ばずに

  ・古代・中世の東アジア史[③]を学ばずに

  ・仏教の成立と伝播[④]を学ばずに

  ・キリスト教の成立と伝播[⑤]を学ばずに

  ・イスラームの成立と伝播[⑥]を学ばずに

  ・ルネサンス宗教改革、大航海、主権国家体制(⑦)を学ばずに

 近現代史を理解できるのか、という問題です。

 

◆たいへん困ったことですが、2・3年生で「日本史探究」を選択する生徒たちは、①・②・⑤・⑥・⑦などをよく理解する機会がありません。また「地理探究」を選択する生徒たちの場合、高校で学ぶ歴史は「歴史総合」だけになりますが、①~⑦の概略を地理の学習の中で学ぶことになるのでしょうか? (「日本史探究」を選択する生徒たちと「地理探究」を選択する生徒たちを合わせると、全体の7割以上を占めると思われますので、真剣な検討が必要だったと思います。)

 

◆⑦に関連してですが、多くの「歴史総合」教科書の記述は近代(18世紀後半)から始まっていますので、「日本史探究」、「地理探究」を選択する生徒たちは、「近世史」(「近世」を「初期近代」と捉えたほうがいいかも知れません)をグローバルな視点から学ぶ機会がありません。高校生としての歴史的教養にも欠落が生じてしまうのではないかと思います。多分、ボッティチェリシェイクスピアコペルニクスカルヴァンピサロも知らずに、またイギリス革命もバロック文化もオスマン帝国の発展もロシアの台頭も明清交代の激動も知らずに、大学に進学したり社会に出たりする生徒がたくさん出てしまうでしょう。

 

◆一方、「世界史探究」や「日本史探究」において、「歴史総合」で学んだ(はずの)近現代史をどう扱うかは、多くの高校で悩ましい問題になっています。学習済みとしてほとんど取り上げないか、もう一度取り上げるか、という問題です。共通テストの出題内容も絡んで、来年度には(「世界史探究」・「日本史探究」の3年次の学習で)大きな問題となる可能性があります。

 

◆歴史を学ぶ高校生の立場で考えてみても、<世界と日本の先史~近世史>を1年生で学んだ後、2・3年生で<近代史・現代史>中心の「(日本史と関連させた)世界史探究」か「(世界史と関連させた)日本史探究」を学ぶという流れのほうがスムーズだったように思います。そのほうが、戦後史も駆け足でなく学ぶことができたでしょう。<先史~近世史>を踏まえた、生徒たち同士の討論も、授業の中でできたのではないかと思います。

 

◆高校3年間の歴史教育の流れは、すでに混乱しています。大学の研究者たちや高校の教員の一部には「歴史総合」への過大な期待があったようですが、これらの人たちは高校3年間の歴史教育の流れを見通していませんでした。また、高校現場の実態も理解していませんでした。

 

◆授業時間数も限られているため、多くの高校では、残念ながら、従来と同様、「教科書を終えるのに精いっぱい」あるいは「教科書を終えることができない」という状態だと思います(「歴史総合」でも「探究」でも)。エリート校やスーパーティーチャーを基準にはできません。現状では、「考える歴史の授業」を教員に強く求めるのはあまりに酷だと思います。

 

◆新教育課程が始まったばかりですから、何を述べても詮無いことは承知しています。ただ、新課程の歴史教育の限界を認識していれば、その破綻を最小限にくい止められるかも知れません。教える側が<先史・古代史・中世史><近世史>と<近現代史>の関わりを強く意識することは、「歴史総合」おいても、「世界史探究」・「日本史探究」においても、授業内容を豊かにすることにつながるでしょう。それが、わずかな希望です。

 

【 追記 10/9 】

◆高校1年生の必修科目の内容としていま何が必要かをよく検討すれば、「地理歴史総合」(4単位)という科目の創設も可能だったように思います。<世界と日本の自然環境(1.5単位分)+世界と日本の先史~近世史(2.5単位分)>という内容の科目です。今まで高校では、教科「地理歴史」は名ばかりで、世界史と日本史だけでなく、歴史と地理も分断されてきました。「地理歴史総合」は、人間と自然の関わりや気候変動、人口問題などを歴史的に見た、また地政学的な観点も取り入れた、斬新な科目となったのではないかと思います。

◆新教育課程の歴史教育の破綻が、残念ながら、すでに現実のものとなりつつあります。文科省は教育課程の改訂に従来よりも早めに取り組むべきでしょう。