世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★2年目の「歴史総合」ー困難は続くー

 

◆昨年度から、高校1年生の必修科目としてスタートした「歴史総合」。昨年から本ブログで指摘してきたことですが[*1]、やはり教え切れなかった(生徒の側からすれば学び切れなかった)学校が多かったようです。

 

◆友人(地歴公民科の教員)が、昨年度の2校の状況を教えてくれました。A高校、B高校としますが、どちらも地方の有名進学校で、教科書は山川出版社の「歴史総合 近代から現代へ」[*2]を使っていました。

 

 A高校:アヘン戦争から授業を始め、第二次世界大戦の直前で終わった。

 B高校:産業革命から授業を始め、20世紀初め(第一次世界大戦の前)で終わった。

 

◆山川の「歴史総合 近代から現代へ」は236ページあり、戦後史に80ページ余りを割いています。

 

 A高校は、59ページから145ページまでの授業だったようです。

 B高校は、36ページから116ページまでの授業だったようです。

 

◆飯塚真吾は次のように述べています。

 

 <おそらく多くの教師が直面している課題は、「時間が足りない」、このことに尽きるのではないだろうか。多くの学校では50時間あまりで授業が展開されていると考えられるが、採択数が多い教科書を採用した場合、その「内容を教える」ことが授業の中心にならざるを得ないだろう。それは先述のとおり、大学入試で歴史総合が出題されることが「免罪符」となって、本来歴史総合で求められる資質・能力の育成に時間を割かなくて済むことにもつながりかねない。>[*3]

 

◆板橋拓己も、「思想」4月号の特集(高校の歴史教育)に触れながら、<とりわけ現場の高校教員たちの寄稿からは、教科書の情報過多、評価の難しさといった重い課題が浮かびあがる。>と述べています。[*4]

 

◆以上のことからも明らかだと思いますが、根本的な問題は「内容豊富な教科書と実際の授業時数のアンバランス」にほかなりません。しかも、履修するのは、歴史学習のレディネスが十分とは言えない高校1年生です[*5]。担当する教員の工夫にも限界があります。したがって、「歴史総合」の困難は今後も続かざるを得ないでしょう。成田龍一に代表されるような大学の研究者たちは、「歴史総合」に過大な期待を抱いてきました。教員の多忙化の問題も含め、高校教育の現場の状況を知らなかったのです。

 

◆なお、「歴史総合」は高校教育と大学教育の接続という観点からも期待されてきました。高大連携の歴史研究会まで組織されています。しかし、大事なことが忘れられているのではないでしょうか。高校を卒業して実社会へ出てゆく生徒たちにとっての歴史学習のあり方です。大学に進学する生徒たちだけが「市民」になるのではありません。

 

[*1]<「歴史総合」教科書の検討1[2022/5/7]、7[2022/7/4]、15[2022/9/3]>などです。

[*2]従来と変わらない、知識注入型の歴史教科書です。歴史を新しい視点でとらえようという姿勢は、ほとんど見られません。たとえば、以前にも述べましたが、ジェンダーの視点はまったく欠落しています。このような教科書で「歴史総合」を学ぶ生徒たちは気の毒です。

[*3]飯塚真吾『「問いを表現する」歴史総合の意義と課題』(「歴史評論」2023年5月号)。なお引用文中の「採択数が多い教科書」とは、山川の「歴史総合 近代から現代へ」のことですが、他の教科書を使った場合も「時間が足りない」ことに変わりはないでしょう。

[*4]朝日新聞2023年4月27日付オピニオン面。

[*5]「世界史の扉をあけると」にも書きましたが、私は「歴史総合」を高校3年で履修することがベストだと考えてきました。詳細は省きますが、選択の「探究」科目(2年~3年で履修)と並行して学ぶ必修科目とし、文字通り総合的な科目として位置づけるという考え方です。「世界史探究」を選択している生徒、「日本史探究」を選択している生徒、「地理探究」を選択している生徒が共に学ぶ、「世界と日本の近現代史」になります。生徒たちの討論も活発に行われることになるでしょう。