世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

▼探究できるんでしょうか? 新科目「世界史探究」

 

▼「歴史総合」だけが注目されている印象がありますが、この4月から、高校2・3年生で選択必修となる新科目「世界史探究」、「日本史探究」、「地理探究」の授業が始まります。これらの科目で「探究的な学び」がどう展開されていくのかは、日本の学校教育のゆくえを考えるうえで、非常に重要だと思っています。「世界史探究」、「日本史探究」、「地理探究」の教科書採択はすでに終わっていますが、私自身は、高校の現場を離れているため、まだ教科書を手に取ってはいません。調べた範囲では、「世界史探究」の場合、現行の(知識重視の)「世界史B」の教科書と同様の分厚さのようです。

 

▼教科書のダイジェスト版を各社のホームページで見ながら、大学受験向きの教科書のページ数を調べてみました。以下のようになっています。

 

  ●山川出版社・詳説世界史   398ページ(B5変版)

  ●山川出版社・新世界史    410ページ(B5変版)

  ●東京書籍・世界史探究    406ページ(B5版)

  ●実教出版・世界史探究    422ページ(B5変版)

  ●帝国書院・新詳世界史探究  366ページ(B5版)

 

▼探究活動(調べたり、比較したり、発表したり、討論したりする活動)に時間を割けるよう、知識量は少し減るのではないかと期待していました。しかし、ダイジェスト版やページ数を見る限り、知識量が減少しているとは思えません。図像や史料・資料などのレイアウトによっては、本文が少なくなっている教科書もあるかも知れませんが。また「考える歴史」が目指されていますので、「世界史B」よりも問いかけが増えているはずです。「歴史総合」の教科書にも見られるのですが、余裕のない教育現場の実態を考慮することなく、問いかけを多数載せている教科書もあるようです。

 

▼実際の授業は、どう展開されるでしょうか? 探究活動が取り入れられ、「多角的な思考力」が育まれるでしょうか? 多くの教員が工夫するとは思いますが、限られた授業時数の中、探究活動を組み込んで授業をするのはかなり大変だと思われます。部活動指導を含む過大な業務が、教員を苦しめています。生徒たちの探究活動を保障するためには準備が欠かせませんが、教材研究の時間を十分に確保することも難しいかも知れません。それは、上記以外の標準的な教科書を使う高校の場合も同じです。今までの「世界史B」と同じように、結局「知識中心に現代まで教えることで精一杯」という高校が多くなってしまうのではないかと危惧しています。

 

▼教科書の内容が充実したとしても、教員自身に歴史を探究する余裕がない限り、また教育現場に自由闊達な雰囲気がない限り、「多角的な思考力」育成への道のりは険しいままでしょう。「歴史総合」を含めて、一部のエリート校の授業実践が成功例として報告されるかも知れませんが、大多数の高校の困難な状況を覆い隠すことにつながる可能性があります。なお、「多角的な思考力」育成への道のりの険しさは、他の教科・科目でもぶつかる課題だと思います。

 

文部科学省は、「倫理」などの教科書の検定も終えて、満足しているかも知れません。しかし、教育に十分な予算が投じられず、教員の仕事のブラック化は放置されたままです(教員の家庭まで犠牲になってきました)。これでは、いくら指導要領を改訂しても、新しい教科書を作っても、効果は限定的でしょう。教育の質が向上しないだけでなく、教員志望者の減少という事態にもつながってしまいます。すでに小学校教員志望者の減少が顕著になっていますが、若者たちは教育という仕事に魅力を感じなくなっているのです。いじめや不登校が増え、心を病んで休職する教員も増え、教員志望者は減少するという、負の連鎖が起きているのかも知れません。日本の衰退は、経済や人口の面からだけでなく、すでに学校教育からも始まっているのではないか、そんなことさえ考えさせられています。

 

▼江戸時代以降、日本人は庶民も含めて「学び」の意欲にあふれていました。SNS全盛の今も、それは基本的には変わらないと思います。SNS全盛だからこそ、「多角的な思考力」を育むために、学校教育を豊かで魅力あるものに再構築しなければなりません。貧しいヴィジョンしか持てない政治家たちは、「教育立国」という言葉を忘れてしまったかのようです。莫大な費用をかけて兵器購入に走るよりも、迂遠なようですが、子育てと教育に大規模な予算を投じ、人間が育つ環境を早急に整備することが、日本の衰退を防ぐことに、ひいては日本を守ることに、つながっていくと思います。

 

「世界史探究」の教科書検討の記事は、5月頃から掲載する予定です。