◆ロシアのウクライナ侵攻開始(2022.2.24)から、まもなく1年になります。ロシアのすさまじい攻撃とウクライナの必死の防衛が続き、情勢は混沌としています。戦争終結どころか、停戦や休戦さえ見通せない状態です。両国の死者の合計は、すでに10万人を超えていると思われます。
【私のような、ウクライナやロシアについての研究者ではない者が、現在の戦争について何かを述べるのはおこがましいことですし、無謀なことです。ただ、数年前にオリガ・ホメンコの『ウクライナから愛をこめて』(群像社)を読んで以来、心の中にウクライナという国が住まうようになっています。そのため、ロシアのウクライナ侵攻から1年という時期に「書いておかねば」と考えるようになりました。素人の大雑把な感想の域を出ませんが、「世界」2023年3月号の特集を導きに書いてみました。】
◆現在の情勢はロシアにとって泥沼化のように見えますが、ロシアの社会学者エカテリーナ・シュリマンは「この戦争という構造のなかで一時的にでもそこに利益を見出している人々に着目し、なにがこの戦争を継続させているのかを考えることに意味がある」と述べていました[*1]。戦争で何万人死のうが利益を見出している者たちがいる、それがロシアの現実なのでしょう。
◆この戦争を「ウクライナ戦争」と呼ぶことが多くなり、一般化しています。「ウクライナにおける戦争( War in Ukraine )」の意味で使われていますので、やむをえないのでしょう。ただ、ウクライナで行われている戦争であっても、ウクライナが仕掛けた戦争ではありません。「ウクライナ戦争」という呼び方は、ロシアのウクライナ侵略という重い事実を覆い隠す作用を持ってしまうと思います。
◆ロシア・ソ連史研究家の塩川伸明も、「ウクライナ戦争」という呼び方には否定的です。では、どう呼べばいいのでしょうか? 塩川は、「ロシア・ウクライナ戦争」だと両国が対等の立場であるような誤解を招いてしまうので、長くなるが「ロシアによる侵略戦争とウクライナによる防衛戦争」と呼ぶほかないと言っています[*2]。
◆考えてみれば、戦争の呼称もいろいろです。プロイセン(ドイツ)・フランス戦争やロシア・トルコ戦争、日清戦争、日露戦争のように当事国2国で表す場合もあれば、太平洋戦争(アジア・太平洋戦争)や朝鮮戦争、ベトナム戦争のように、戦争が行われた地域で表す場合もあります。百年戦争、三十年戦争、七年戦争のように、戦いの年数で表す場合もありました。古代のペルシア戦争、ポエニ戦争の場合は、少し変わった呼び方です。ギリシアのポリス連合やローマが戦った相手の国名・民族名が呼称になっているからです[*3]。個人名をつけたナポレオン戦争という呼び方もあります。
◆「 World War =世界戦争(世界大戦)」という呼称は、20世紀に入ってからのものです。しかも、世紀前半に二度起きました。19世紀まで「 World War 」と呼ばれた戦争はなかったのです。日本人は「世界大戦」という呼び方に慣れてしまっていますが、「 World War =世界戦争」は恐るべき呼称です。20世紀ほど野蛮で悲惨な世紀はありませんでした。第二次世界大戦末期(1944年)、ホルクハイマーとアドルノは次のように書きました。
「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか。」[*4]
広島・長崎への原爆投下の前年に書かれましたが、近代ヨーロッパの啓蒙的理性(進歩や文明の代名詞でした)は深く自己省察せざるを得なかったのです。ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、そしてブチャなどでのロシア軍の住民虐殺が明らかになった時、破壊された住宅や病院や学校の映像を見た時、涙を流しながら「死にたくない」と言った子どもの映像を見た時、この文章を思い出していました。
◆現在の戦争を、もし簡潔に呼ぶとすれば、「ウクライナ戦争」よりは「ロシア・ウクライナ戦争」か「対ロシア、ウクライナ防衛戦争」、あるいは「ウクライナにおける戦争」のほうがベターなのではないでしょうか。「世界」3月号の特集名も、「ウクライナにおける戦争」などとしてもらったほうがよかったように思います。
◆プーチンの思想や行動原理を理解する必要はありますが、歴史の基本的な見方をゆるがせにはできません。第一次世界大戦後、民族自決の波がヨーロッパに起きた時も、ウクライナは主権国家として自らを確立することはできませんでした。クーデタでロシアの政権を握ったボリシェヴィキがウクライナをも支配したからです。ウクライナは、まもなくソ連に組み込まれ、第二次世界大戦では独ソ間の激戦地となりました。独立したのは、ソ連解体時の1991年です[*5]。帝政ロシアも、ボリシェヴィキ(共産党)のソ連も、冷戦終結・ソ連解体後のプーチンのロシアも、ウクライナ人の民族自決(ウクライナという国民国家の樹立)を阻むことしか考えてこなかったと言っていいでしょう。プーチンはウクライナ侵略を「特別軍事作戦」などと言っていますが、そのような用語を使うのは、ウクライナをロシアの一部と見なしているからにほかなりません。ソ連やプーチンの核となってきたのは、帝政ロシア以来の「大ロシア主義」であり、強権的なツァーリズムです。ゼレンスキーが言うように、現在の戦いはウクライナという国家の存亡をかけたものであることは、間違いありません。
◆視点を少し変えると、また違ったウクライナが見えてきます。戦争が始まり、初めてリヴィウの街を映像で見ましたが、近現代ヨーロッパ史の研究家・野村真理は、リヴィウを中心とした西ウクライナ(ポーランド支配下では「東ガリツィア」とも呼ばれました)の複雑で過酷な歴史を解きほぐそうとしていました[*6]。文中で触れられているデータを紹介します。リヴィウの歴史を端的に表していて、衝撃的ですらありました。
<リヴィウの人口構成>
1931年 1989年
ウクライナ人 16% ロシア人 16.1%
ユダヤ人 31.99%
1931年と1989年の間には、ユダヤ人の大量虐殺や第二次世界大戦があり、戦後は民族の大量移住(交換)が行われたのだそうです。ウクライナ西端のリヴィウは、首都キーウとも、東端のドンバス地方(野村によれば「諸民族が混住しながらソ連時代の工業化を牽引した地方」[*7])とも、中部~南部の穀倉地帯とも、南端の港湾都市オデーサとも、異なる歴史を歩んできたのでした[*8]。
◆ゼレンスキーたちは、このような差異性を持った諸地域を、ウクライナという国家としてまとめようと奮闘してきたのです。ロシアの侵略は、プーチンの思惑とはまったく逆に、ウクライナの政治的・文化的一体性を強化し、ロシア圏からのウクライナの離脱を決定的にしました。それは、ウクライナの人びとのクリスマスの祝い方にも表れていました[*9]。
◆かつて、ソ連で『鋼鉄はいかに鍛えられたか』という小説が書かれました。学生時代に読んだのですが、一青年がボリシェヴィキやソヴィエトと内面的にも一体化していくようすを描いた物語でした。ソ連版のビルドゥングス・ロマン[*10]として高い評価を受けていたそうです。スターリン独裁の時代(1930年代)のことです。ロシアのウクライナ侵攻後、あらためて考えてみたのですが、この作品には当時のロシアとウクライナの関係が象徴的に表れていたと思います。作者のオストロフスキーはウクライナ生まれだったのですが、ウクライナ語ではなくロシア語で書きました。ソ連の時代(スターリンの時代だけでなく第二次世界大戦後も)、「ウクライナ語はロシア語より劣った田舎の言葉だ」とロシア人から見下されていました。ウクライナ文学というものは存在できませんでした。文化の中核である言語までロシアに支配されていたのです。
◆ゼレンスキーでさえ、以前はおもにロシア語を話していたそうです。しかしロシア軍の侵攻後、完全にウクライナ語に切り替えたとのことです。「鋼鉄はいかに鍛えられたか」は、今や、ゼレンスキーとウクライナの人びとを表す言葉になったように思います。ただ、この「鋼鉄」とは、すさまじい破壊とたくさんの涙の中でも失われない「希望」のことです。
◆侵攻から1年がたち、<ウクライナ+NATO諸国・オーストラリア・日本>対<ロシア+ベラルーシ・イラン・中国・北朝鮮・南アフリカ>というような図式ができ始めています。もしベラルーシが直接参戦するようなことになれば、危険は国境を接している(NATOに加盟している)ポーランド、リトアニア、ラトヴィアにも及ぶでしょう。ロシアの飛び地があることにも注意が必要です[*11]。部分的にでも戦火が東欧に拡大すれば、大変な事態になります。また、中国がロシアへの武器援助に踏み切るのではないかと言われています。ロシア軍が中国製の無人機でウクライナを攻撃するようなことになれば、重大な局面を迎えるかも知れません。恐ろしいことですが、3度目の「 World War 」に近づく可能性はゼロではないのです。むしろ、その可能性が昨年より増しているかも知れません。
◆第二次世界大戦は、6年続きました。ベトナム戦争では、アメリカが撤退するまで8年かかりました。ソ連のアフガニスタン侵攻は10年も続きました。朝鮮戦争は3年で休戦となりましたが、南北の対立は休戦のまま70年後の今も続いています。
◆ウクライナにおける戦争がいつまで続くのか、どんなかたちで終わるのか、わかりません。しかし、どのような情勢になっても、もうウクライナの歴史は逆戻りしないと思います。ウクライナの「希望」は、鍛えられ続けています。もしウクライナが望まない状態で停戦したとしても、もし(万が一ですが)指導者が交代するような事態になったとしても、「希望」の灯が消えることは決してないと思います。人びとは、試練に耐え、何年かかっても「自分たちのウクライナ」を形成していくはずです。
[*1]エカテリーナ・シュリマン『戦争の受益者は誰か 「学芸の共和国」はどこか』(「世界」2023年3月号、特集「世界史の試練 ウクライナ戦争」、岩波書店)
※2022年12月、滞在しているベルリンでの発言です。
※訳と解説を担当しているロシア文学者・奈倉有里の活躍に期待しています。
[*2]塩川伸明「この戦争は何であり、どこへ向かっているか」(「世界」2023年3月号)
[*3]ポエニ戦争について、一言述べておかねばなりません。ローマとカルタゴの間の戦争でした。カルタゴはティルスのフェニキア人が移住してつくった、西地中海の海洋国家でした(ポエニはフェニキアのラテン語読みからきています)。3次にわたる(100年以上にわたる)戦争で、ローマはカルタゴを滅ぼし、徹底的に破壊しました。ここ10年ほどのプーチンの執念深さは際立っていますが、2,000年以上前の共和政ローマの執念深さも驚くべきものでした。ローマはカルタゴとの共存を考えなかったのです。エジプトのプトレマイオス朝との共存もあり得なかったように。「永遠のローマ」などという言い方が流布されてきました。この語は歴史上のあらゆる専制的指導者に大きな影響を与えてきたと思います。
[*4]マックス・ホルクハイマー、テオドール・W・アドルノ『啓蒙の弁証法』(徳永恂 訳、岩波書店、1990)
[*5]「(1991年12月1日の)国民投票では90.2%が独立に賛成した。ロシア人の多いハルキフ、ドネツク、ザポリッジア、ドニプロペトロフスクでも80%以上が賛成であった。ロシア人が過半数を占めるクリミアでも賛成は54%と過半数を上回った。」【黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、2002)】
[*6]野村真理「西ウクライナの古都リヴィウが見てきたこと」(「世界」2023年3月号)
[*7]ウクライナの人たちがたてこもった、マリウポリの巨大な製鉄所を思い出しました。
[*8]各地域の歴史は、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』に詳しく書かれています。
[*9]ロシア正教会では1月7日がクリスマスで、ウクライナでもこの日に祝ってきたそうです。しかし昨年は、ウクライナの多くの教会が12月25日に変更して祝いました。なお、ウクライナの人びとの宗教については、2022年3月30日の記事【ウクライナ正教会とロシア正教会、そしてウクライナ・カトリック教会】をご覧ください。
[*10]やや古めかしい語ですが、ドイツ語で「青年がさまざまの体験を通して自己形成を遂げていくようすを描いた小説」を意味します。将来、ウクライナ語で陰影に富んだビルドゥングス・ロマンが書かれるかも知れません。
[*11]ポーランドとリトアニアにはさまれ、バルト海に面して、ロシアの飛び地・カリーニングラード州があります。日本の北方4島と同じく、第二次世界大戦で獲得した領土で、ロシアにとっては戦略的にきわめて重要なところです。州都カリーニングラードは、かつては哲学者カントが思索した、東プロイセンのケーニヒスベルクでした。対岸のスウェーデンとは300キロぐらいしか離れていません。