世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★できるかな? 斎藤美奈子の批評を見習った授業

 

朝日新聞の最近の読書ページ(毎週土曜日、全3面)はたいへん充実しています。今日も、斎藤美奈子の「旅する文学」から宮田朱己の「気になる雑誌を読んでみた」まで、それぞれの執筆者の批評眼が冴えわたっていました。

 

斎藤美奈子の連載「旅する文学」は、すばらしい企画だと思います。「あとで単行本化されたら、充実した一冊になるだろうな」などと想像しながら、また授業のヒントさえ感じながら、毎回興味深く読んでいます(今日は秋田県の巻でした)。

 

◆私は斎藤美奈子のよい読者ではありませんが、彼女は以前の文芸評論家とはかなり異なったタイプです。その批評に、日本的な湿っぽさやしかつめらしい深刻さは感じられません。作品にのめり込むことはありませんし、作者の内面を深く分析しようなどということもしません。「ポップでリアルな風刺的批評」というような感じでしょうか。口語を交えた文体には独特の軽みや大衆性があって、江戸の戯作者のような雰囲気さえ感じてきました。巷にあふれてきた翻訳調の評論の文体は顔色なしという感じです。しかも彼女には現代的な問題意識も強烈にあって、作品の核心はちゃんと捉えられているのでした。

 

◆連載中の「旅する文学」でも「美奈子節」は健在です(たとえば「ノックアウト必至である」、「みなさん、比叡山延暦寺の住所は滋賀県ですよ」など)。また、紹介する作品との絶妙な距離感も、相変わらずです。各都道府県(各「くに」という感じもします)の風土や歴史にもかかわって書かれていますので、その分批評に厚みが出ているようです。

 

◆歴史の授業も、斎藤美奈子の「作品との絶妙な距離感」を見習ったほうがいいかも知れません。あまり熱くなり過ぎることなく(押し付けがましくなることなく)、「歴史事象との距離感」をうまく保ちながら肝心なことをきちんと伝えられれば、いい授業に近づくと思います。ただ授業の場合、「生徒たちとの距離感」も非常に大切です(斎藤美奈子も不特定多数の読者との距離感を測りながら書いているかも知れません)。授業は1回限りのライヴという性格を持っていますので、その点は文芸評論とは違うと思いますが。