世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★『世界の中のフランス史』特集を読んで考えたこと

※最終更新 2021/3/22 10:30 

 

◆「ナショナル・ヒストリー再考」と題された、「思想」の『世界の中のフランス史』特集号(2021年3月号、岩波書店)を読んでみました。

 

◆『世界の中のフランス史』については初めて知ったのですが、2017年に出版され、フランス国内で多くの読者を獲得しているそうです。学術的な研究書としてではなく、歴史に関心のある人々に向けて書かれました<*1>。翌年には、早くも増補版が出版されたとのことです。

 

 <*1>新しい「岩波講座 世界歴史」の刊行が、2021年10月から始まるようです。願わくば、執筆者の研究成果発表の場ではなく、多くの読者を引きつける、「生きた歴史叙述」がなされる場であってほしいものです。

 

【『世界の中のフランス史』の構成、編集の意図】

 

◆146の年号(増補版では161)を12章に分けて配列し、1つの年号について数ページの記述があるそうです(執筆者は132人)。編者のパトリック・ブシュロンは、「146の年号だけで、世界の中のフランス史の網羅的な物語が書けるわけではない」<*2>ことを自覚しながら、また年号による編集によって「経済や環境の次元で社会の歴史に影響を与える長期持続での構造的変化は二の次になる」<*2>ことを踏まえながら、『世界の中のフランス史』をまとめたのでした。

 

◆パトリック・ブシュロンは、執筆者たちに、『良心の呵責なしに、脚注なしで、研究によってたえず更新される「生きた歴史」を書くこと、それを共有するのを悦びにできる人々に向けて、歴史を共有する小さな悦びが今の社会の陰鬱な情念に打ち勝つことを期待して書く』<*2>ことを求めたそうです。

 

◆ただ、発展的な学びのために、「個々の項目の末尾に学術的な参照文献」をあげてあるとのことです。「年号は一つの読書への案内にすぎず、本書には人名索引と項目ごとに参照すべき他の年号の指示がついており、また巻末にテーマ別に関連項目をあげ、別な経路での旅への誘いによって、年号間の意外な関連を発見できるように工夫している。」<*2>

 

◆「参照すべき他の年号」が示されていることは、とても重要です。複数の視点を持つことにつながるからです。「年号間の意外な関連」については、授業でも本ブログでも取り上げてきました。また、本ブログの記事は、通常の世界史とは「別な経路での旅への誘い」のつもりで書いてきましたので、ブシュロンの序文は共感をもって読みました。

 

◆『世界の中のフランス史』は、自国礼賛のナショナル・ヒストリーではありませんでした。また、自国の負の歴史を糾弾する書物でもありませんでした。「世界に開かれたナショナル・ヒストリー」を目指した、一般向け歴史書として出版されたのです。なお、フランス歴史学の歩みの中での位置付け、フランスの政治・社会状況との関連などは、各論考やシンポジウムの記録に詳しく述べられています。

 

<*2>パトリック・ブシュロン「序 フランス史を開く」(三浦信孝訳、「思想」3月号)

 

 【訳出された2項目】

 

◆特集には、161項目のうち、2つが訳出されていました。

 

 ●「1789年 グローバル革命」(アニー・ジュルダン、三浦信孝訳)

 ●「1832年 コレラのフランス」(ニコラ・ドラランド、原聖訳)

 

◆「1832年」には、私が知らなかったことも書かれてありましたので、有益でした。ただ正直なところ、どちらの項目も内容的にはそれほど意外性はありませんでした。個人的には、「1789年」よりは「1791年 プランテーション革命」を訳出していただきたかったと思います。ドラランドが講演の中で触れていた、中世半ばの「ユダヤ教の祭司ラシ」の項にも惹かれます。

 

【『世界の中のフランス史』に触発された授業】

 

◆「思想」誌としては珍しく、高校での授業の記録が載っていました。

 

 ① 水村暁人『生徒と創る「歴史総合」 -ペリー来航の年号から時代を立体的にとらえる-』

 ② 山田耕太『『世界の中のフランス史』から「日本史探究」へ -「〇〇〇〇年 コレラの日本」を考える-』

 

◆①では、オランダの「別段風説書」を生徒たちに読ませた後、「もし1853年に各国(日・中・英・米・露・独)の首脳だったら、どのような施政方針演説を作るか」というテーマで、グループワークと代表によるロールプレイを行ったそうです。なぜこのようなテーマだったのでしょうか? 私には理解できません。統治者の立場で考えるという授業では、歴史の多様な面を見ることができなくなってしまうでしょう。

 

◆私の場合であれば、アメリカにとっての太平洋、ペリーの軍人としての経歴や来日時の肩書、浦賀にやって来るまでの寄港地、フィルモア大統領の国書の言語などから、「世界の中の1853年」を考えさせたと思います<*3>。また、「参照すべき他の年号」を示すことも大切です。少なくとも、1853年の来航は、翌年の2度目の来航とセットで考えなければなりません。

 

◆②は、なかなか興味深いものでした。ただ、感染症を取り上げる場合、公衆衛生の進展や文明化との関連で、どうしても近代化としてのナショナル・ヒストリーの中に収斂しがちですので、注意が必要だと思います。「世界に開かれた歴史」を標榜しながら、自国賛美のナショナル・ヒストリーを強化する題材にもなり得るのです。「1832年 コレラのフランス」にも、そのような危険性が若干感じられました。

 

<*3>簡単に述べるだけにしますが、ペリーはアメリカ=メキシコ戦争でも戦っています。また、ペリー艦隊の主な寄港地は次の通りです。セントヘレナ島ケープタウン、セイロン島、シンガポール、香港、上海、那覇。ここから、さまざまな授業展開が可能です。

 

 【比較史・比較歴史教育研究会のこと】

 

成田龍一が、岩崎稔との対談<*4>の中で、ナショナル・ヒストリーの枠を超えようとしたグループとして、比較史・比較歴史教育研究会(1982年発足)をあげていました。私がかつて所属していた研究会です。すでに解散しており、忘れられた研究会だと思っていましたので、きちんと歴史の中に位置づけていただいて、ありがたかったです。

 

◆ただ岩崎稔は、比較史・比較歴史教育研究会にあった「現場の先生たちと歴史家たちとのコラボレーション」が、1995年には後退していたという、高澤紀恵の話を紹介していました。私は、1990年代後半に研究会に加わりましたので、「なるほど」と思いました。研究会の雰囲気は、私が期待したものとは少し違っていたのでした。しかし、地道な活動は2012年まで続き、多くのことを学ばせていただきました<*5>。

 

<*4>成田龍一岩崎稔「対談 ナショナル・ヒストリーと、その向こう」(「思想」3月号)

<*5>同研究会主催で1999年に開かれた「第4回東アジア歴史教育シンポジウム」の記録集である『帝国主義の時代と現在』(未来社、2002)には、拙文も載っています。稚拙なものでしたが、スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』や李静和の『つぶやきの政治思想』についても触れていますので、研究会の雰囲気とは少し異なる文章だったと思います。 

 

フランス史と植民地】

 

岩崎稔は、次のように述べていました。

 

 「植民地主義レイシズムは、西洋のナショナル・ヒストリーをめぐるこれまでの記述に、部分的に補完されるべき一定の欠損であるとはもう言えないように思えます。そこにある根強い消去と否認のメカニズムは、近代の問題の核心中の核心かもしれないと思うようになってきました。」<*4>

 

平野千果子も、多分、岩崎と同じ考えだと思います。特集の中の論文「『世界の中のフランス史』と植民地」で、平野は、編者たちのフランス国内での難しい立ち位置を考慮しながら、慎重にことばを選んでいましたが、『世界の中のフランス史』の中の欠落部分を鋭く指摘していました。

 

◆なお、植民地主義は、広い視野から考える必要があります。感染症対策も植民地経営と連動していましたし、動物園も植物園も植民地主義と深く関わっています。厄介なのは、植民地主義が「文明による野蛮の教化」という「啓蒙主義」と結びついていた点です。

 

◆植民地は、フランスや欧米の問題というわけではありません。<近代日本と植民地>という最重要テーマにつなげずに考えることはできないからです。2022年度からの高校の新科目「歴史総合」や「日本史探究」では、植民地をどのように取り上げることになるでしょうか?

 

【新科目「歴史総合」への期待?】

 

◆『世界の中のフランス史』に関連させながら日本の歴史教育を考えた場合、新科目「歴史総合」は重要でしょう。成田龍一や高澤紀恵には、研究者として「歴史総合」への強い期待があるようです。しかし、事は簡単ではないと思います。どのような教科書が作成されたかわかりませんが、ナショナル・ヒストリーの枠を一応取り払った歴史記述の中で何が意図されているか、よく見極める必要があるでしょう。「歴史総合」では、近代化や資本主義発展を賛美する授業を展開することも十分可能なのです。各社の「歴史総合」や「日本史探究」の教科書が登場した後、日本の近代化やナショナル・アイデンティティをめぐって、議論が巻き起こるかも知れません。

 

◆「縮みゆく日本」(人口減、高齢化、経済力低下等)とコロナ禍が重なっていますので、歴史に「光」を求める人も多いでしょう<*6>。「歴史総合」においても、「日本人として」自信を取り戻すために「明るさ」が求められ、「濃い影」のほうは多少扱われるにとどまるかも知れません。このような時代状況の中で、教える側が「近現代の光と影」をトータルに捉える視座を持つことは容易ではありませんが、諦めるわけにはいきません。授業を通して歴史の「ポリフォニックな声」(ブシュロン)を生徒たちに伝える努力は、今まで以上に必要になると思います。

 

◆「歴史総合」の教育課程上の位置づけにも難点があります。本ブログで昨年も書きましたが<*7>、「高校1年生が2単位で学ぶ科目」という位置づけになっていますので、多くの高校では基礎的な知識を習得させるのに精いっぱいという状態になるでしょう。少数のエリート校や中高一貫校は別でしょうが、残念ながら「深い学び」を期待するのは無理だと思います。「3年次に高校の歴史学習の総まとめとして学ぶ」という位置づけにならなければ、「歴史総合」本来の趣旨を生かすことはできないでしょう。

 

<*6>大河ドラマの主人公に渋沢栄一が選ばれたのは、象徴的です。

<*7>2020年10月25日の記事。 

 

【『世界の中のフランス史』の翻訳・出版を】

 

◆「思想」の編集部に問い合わせてみたのですが、岩波書店からの出版予定はないということでした。原書で800ページ余りとのことですので翻訳も大変でしょうが、日本の歴史学歴史教育のためにも、どこかの出版社で手がけてくれることを期待しています。

 

◆また、「世界に開かれたナショナル・ヒストリー」の日本版として、『世界の中の日本史』が書かれることを、切に望んでいます。日本においても、「歴史を共有する小さな悦びが今の社会の陰鬱な情念に打ち勝」たねばなりません。