世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★フランス革命~ナポレオンの時代を生きた思想家コンスタン

 

◆先月、政治思想家バンジャマン・コンスタン(1767~1830)の著作が翻訳・出版されました。『近代人の自由と古代人の自由、征服の精神と簒奪、他一篇』(堤林剣・堤林恵訳、岩波文庫)です。

 

◆コンスタン(日本では小説『アドルフ』を書いた作家として知られてきました)の生没年代に注目すると、フランス革命期~ナポレオン時代~王政復古期に生きた人であることがわかります。『近代人の自由と古代人の自由』は1819年パリで行われた講演です(ナポレオン失脚後の、復活したブルボン王政の時期)。『征服の精神と簒奪』は1814年1月にハノーファーで刊行されました(ライプチヒの戦いでナポレオンが敗れた直後です)。

 

◆ちょうど昨日、本村凌二の書評が毎日新聞に載りました。内容がよくわかる書評でしたので、お読みいただければと思います。なお、杉田敦・川崎修編『西洋政治思想資料集』(法政大学出版局、2014)にも、堤林剣の解説と著作の一部の翻訳が収められています。

 

◆『征服の精神と簒奪』という題名からも推測されるように、コンスタンはナポレオンの専制を厳しく批判した、自由主義の思想家です。ただ私は、「激動の時代のただ中で、フランス革命をどう見ていたのだろう?」という関心を持って読みました。

 

◆かなり前になりますが、遅塚忠躬が「歴史における劇薬」という表現でフランス革命を考え、次のように述べていました[*1]。

 ・「フランス革命においてあれだけの効果と痛みがともに生じたのは、それが89年の当初から民衆と農民の参加した複合革命だったからだ、と私は考えております。」

 ・「フランス革命は、リーダーも大衆も含めて、偉大でもあり悲惨でもある人間たちがあげた魂の叫びであり、巨大な熱情の噴出であった、と私は思います。」

 

◆遅塚の著書には、大きな影響を受けました。授業でも「(都市)民衆と農民の参加した複合革命」という点に留意してきました[*2]。ただ、「魂の叫びであり、巨大な熱情の噴出であった」革命がなぜ独裁と恐怖政治に至ったのかは、私の中では十分に解明されないままでした。またこのことと関連しますが、ルソー[*3]が『社会契約論』で述べた「一般意志」とフランス革命との関わりについても、よくわからないままでした。

 

◆そのような疑問に、コンスタンの著作はかなり明解に答えてくれたように思います。同時代を生きたコンスタンの言葉には、説得力がありました。

 

◆コンスタンは、「共和政か君主政か」という問題の立て方はしていません。それぞれの特徴を公平に述べながら、「専制か否か」を問題にしています[*4]。フランス革命については、国王の専制封建制を打破し、自由をもたらした出来事として評価し、その精神に深く共鳴しています。(以下の引用の[ ]内は引用者が補った部分です。)

 

  「[旧体制下で人びとは不当な支配のもとで暮らしていましたが、旧体制の]原動力は放埓、目的は人類を貶めることにありました。今にいたってなお一部の人びとはこうした支配を褒めそやしますが、いったいわれわれが頑迷と無能と転覆を目にし、そのために苦しんだことを忘れられるとでも思っているのでしょうか。改革者たちの目的は気高く献身的なものでした。彼らが切り開いたかのように思えた道のとば口で希望に胸を躍らせなかったものがおりましょうか?」(『近代人の自由と古代人の自由』)

 

◆しかし、コンスタンは次のように述べ、モンターニュ派山岳派)独裁を非難しています。

 

 「ナポレオンの支配は専制政治であり、ロベスピエールの支配はまさに専制政治以外の何物でもなかったと認めねばならない。」(『征服の精神と簒奪』第14章)

 

◆そして、フランス革命において出現した専制の原因を、革命家たちがルソーの「一般意志」を信じ、それをそのまま政治に適用しようとしたことに求めています。

 

 「[革命家たちは]集合的意志[一般意志]は今でもなおあらゆるものに優先されねばならず、一切の個人的権利の制限は社会的権力への参画によって十二分に報われるのだと信じていたのです。皆さんは、それがどんな結果にいたったかはよくご存じでしょう。(中略)国民は、抽象的な主権に観念として参加することに、要求されているだけの犠牲に見合った価値があるとは考えませんでした。その彼らにただただ虚しくルソーの引用だけが繰り返されました。-自由の法は暴君の軛よりはるかに峻厳にして過酷なものである、と。(中略)それを経験する段になって彼ら[国民]ははじめて誤りに気づき、人間の恣意的支配は最悪の法よりもさらに惨いものであると学んだのです。」(『近代人の自由と古代人の自由』)

 

 「[革命家たちが定めた専制的な]法はフランスの人びとと彼らの手にしていた最もかけがえのないものを痛々しく踏み躙った。喜びを知り尽くした歴史ある国民にすべての快楽を犠牲とするよう奨励した。自らすすんで行われるべきことを義務にした。自由を寿ぐことさえも強制でがんじがらめにした。[革命家たちによれば]一般意志の表現たる法は他のすべての権力、それこそ記憶や時にそなわる威信にさえも優越すべきであった。」(『征服の精神と簒奪』第7章)

 

 「[革命家たち自身が]医者と自称する患者にすぎなかったということだ。自らの性質が到達できぬ高みに国民を立たせることなど不可能である。そうするためには暴力をふるわねばならず、しかも暴力がふるわれることそのものによって、国民は結局前よりもさらに低いところへ崩れ落ち倒れてしまうのである。」(『征服の精神と簒奪』第7章)

 

◆コンスタンは、すでに19世紀初めに、ロベスピエールなどモンターニュ派の根本的な欠陥を、ひいてはルソーの思想の根本的な欠陥を、正しく指摘していたのでした。

 

◆訳文は読みやすく、日本語としてすぐれたものだと思います。訳注も、ていねいでわかりやすいものでした。巻末の訳者解説からは、コンスタンの人生と思想がよく伝わってきます。

 

◆最後に、最も感動した、コンスタンの言葉を紹介します。自由という大きな目標を掲げ、それを手放さなかったコンスタンは、人間を愛し人間を信じていました。

 

 「ほんのわずかな知識、小さな思想の芽、穏和な感情のほのかな動き、振舞いのささやかな優美さ、これらはみな大切に守られるべきものなのだ。いずれも社会の幸福にとって欠かすことのできぬ要素であり、激しい風のなかから救い出さなくてはならない。ぜひともそうせねばならない。正義のために、そして自由のために。なんとなれば、これらはみな大なり小なり真っ直ぐな道によって自由へと通じているのだから。」(『征服の精神と簒奪』第8章)

 

 

[*1]遅塚忠躬『フランス革命』(岩波ジュニア新書、1997)

[*2]この点も含め、竹中幸史『図説フランス革命史』(河出書房新社、2013)は、多角的なフランス革命史となっています。

[*3]日本では(ヨーロッパでも?)、ルソーが異常なほど評価されていた時期があります。一方コンスタンは、日本では、学界でも不当に無視されてきたようです。

[*4]たとえばカエサルは、ナポレオンと同じ「簒奪者」とみなされています。またコンスタンは、イングランド史をたびたび取り上げていますが、クロムウェルを批判し、ウィリアム3世と名誉革命を高く評価しています。