世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

EU離脱でUKは分解?

 

 【総選挙の結果を見ると】

 

◆2019年12月のイギリス総選挙で、EU(ヨーロッパ連合)離脱を唱える保守党が圧勝しました。国民投票(2016年6月)以来、3年半にわたって迷走してきたブレグジットが、2020年には実現する可能性が高くなりました。

 

◆ただ、この選挙結果が十分に民意を反映したものかどうかは、疑問です。各政党の得票率と獲得議席数とが一致しないのです。

  EU離脱を訴えた保守党の得票率    43.6%

  再度の国民投票またはEU残留を訴えた3政党の合計得票率 47.0%

   (労働党自由民主党スコットランド民族党

  [www.bbc.comによる]

 この得票率で、保守党は56.2%の議席を獲得しました。保守党は、前回(2017年)の選挙よりも47議席増やしたのですが、得票率は1.2%増えただけでした。労働党議席減と得票率減(-7.8%)はほぼ一致していましたが、自由民主党の得票率が4.2%増だったにもかかわらず、議席は1減でした。完全小選挙区制の弊害が表れています。ブレグジットをめぐる二分された世論は、今後も沸騰する可能性があると思います。

 

 ◆EUとの離脱交渉がスムーズに進むのかどうか、懸念されています。2020年末までの移行期間に何が起きるのか、予断を許しません。離脱したとしても、その後のイギリス経済はどうなるのでしょうか? 国民の生活はよくなるのでしょうか? 結局アメリカを頼り、アメリカの従属国となっていくのでしょうか? それとも、まさかとは思いますが、中国が進める「一帯一路」の西はじに位置することに活路を見出すのでしょうか?(中国は、EU加盟国のギリシア、イタリアまで影響力を及ぼしつつあります。)

 

◆UK(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)を構成する4地方の選挙結果を、確認しておきたいと思います。[2019年12月14日付「読売新聞」による、()は議席の増減]

 <イングランド 533議席

    保守党 334(+48)

    労働党 180(-47)

    自民党   7(-1)

    緑の党   1(±0)

 <ウェールズ 40議席

    保守党  14(+6)

    労働党  22(-6)

    プライド・カムリ 4(±0)

 <スコットランド 59議席

    保守党   6(-7)

    労働党   1(-6)

    スコットランド民族党 48(+13)

    自民党   4(±0)

 <北アイルランド 18議席

    民主統一党 8(-2)

    シン・フェイン党 7(±0)

    社会民主労働党  2(+2)

    その他   1

 

自由民主党はかつての自由党の流れをくむ政党ですが、EU残留を主張していました。ウェールズプライド・カムリは、ウェールズの最終的独立を掲げているそうです。

 

労働党は、イングランドで大敗しました。また、イングランド内では、地域によって違いが出ています。イングランド中部・南西部はEU離脱票が多く、ロンドンとその周辺はEU残留票が多いようです。(「朝日新聞」2019年12月14日付掲載のBBCの議席分布図)

 

◆今回の選挙結果で最も注目されるのは、スコットランドです。スコットランド民族(国民)党が、スコットランド議席の8割を獲得しました。スコットランド民族(国民)党は、「われわれはEUを離れない」と明言しています。来年にはUKからの独立を問う住民投票を実施すると主張していますので、混乱は避けられないと思います。

 

◆また、北アイルランドの選挙結果も重要です。北アイルランドでは、「初めてアイルランド統一派の議席が、英国の統治継続を望む勢力を上回った」(「朝日新聞」2019年12月14日付の記事)という結果になりました。シン・フェイン党社会民主労働党が、アイルランド共和国との統合を目指す政党です(後者の方が穏健と言われます)。民主統一党は、UK帰属維持の強硬派です。UKがEUを離れれば、北アイルランドとEU加盟のアイルランド共和国との関係は、どうなっていくでしょうか? 宗教的な対立は和らいでいるとはいえ、北アイルランド内の議論が再び激しくなることも考えられます。

 

【歴史を振り返ると】

 

★UK、アイルランドのEC(ヨーロッパ共同体、EUの前身)加盟は1973年でした。ブリテン諸島ヨーロッパ大陸の長い歴史を考えると、自然な流れのように見えました。

 

★また、4地方からなるUKを考える時、約20年前はたいへん重要な時期でした。1998年前後の時期で、EU発足(1993年)の数年後のことです。労働党・ブレア政権が支持を集めていた時期でした。

 次の出来事がありました。

  ・スコットランド議会、ウェールズ議会の設立(両地方の自治の実現)

  ・北アイルランド紛争をめぐる和平合意成立(IRAの武装解除完了は2005年)

 

 ★20世紀末から21世紀初めにかけて、UKでは次の二つのことが並行して進んでいたのです。

  ①UK内の地域の多様性の確認

  ②ヨーロッパ統合推進への関与

 UKは、国内的にも対外的にも、大きく変化していました(香港の返還もこの時期でした)。それらは、自らの歴史的位置を十分に弁えた変化でした。①と②に共通する方向性は、「多様性に基づいた統一性」だったと思います。今のUKの若者たちは、この中で生きてきました。若者たちにとっては、「ヨーロッパの中のUK」が当たり前のことだったでしょう。

 そして、そのヨーロッパは、ロンドンの街を歩く人々に見られるように、ラグビー(19世紀にイングランドで生まれました)の選手たちに見られるように、多人種・多民族のヨーロッパにほかなりません。

 しかし、新しい方向性を認めたくない人々も、UK内にたくさんいたのです。過去となってしまった帝国的なものにアイデンティティを求める人々や、生活の苦しさの原因をEUに求めた人々です。EU全体の移民問題から②が揺らぐと、これらの人々が離脱を主張するようになりました。

 

イングランドスコットランドの300年余りの一体的関係(両王国の合同は1707年のことでした)に、終止符が打たれることになるのでしょうか? 「ハドリアヌスの長城」からもわかるように、古代から両地方の差異はありました。18世紀初めまでの、両地方の抗争を考えると(その中でメアリ・ステュアートの悲劇もありました)、スコットランドのEU志向も理解できないわけではありません。ヨーロッパ大陸との連携でイングランドに対抗するという点は、過去と似ています。スコットランドの人々の歴史意識には、強烈なものがあります。1998年のスコットランド議会設立を、スコットランドは1707年以来の「議会再開」ととらえていたのでした。

 

イングランド中心史だった「イギリス史」は、近年、アイルランドを含めた「ブリテン諸島史」として再構成されるようになっていますが、古代以来、ブリテン諸島ヨーロッパ大陸との関係は切っても切れないものでした。ローマ人でさえ、ブリタニアにやって来ました。そして、もともとアングロ・サクソンもノルマンも、ヨーロッパ大陸から移動して来た人々でした。

 

ブレグジットが実現したとしても、UK(連合王国)がたとえ分解したとしても、グローバル化がさらに進んでも、ブリテン諸島ヨーロッパ大陸との関係は続いていきます。現在の混沌とした状況が、<21世紀の新しいブリテン諸島>に向けた、産みの苦しみであることを、願っています。

 

【追記 2020.1.18 】

 デイビッド・レイノルズ(ケンブリッジ大学名誉教授)へのインタビュー「英国  解体の足音」[朝日新聞 2020.1.18 ]も、本ブログの内容と重なっていました。レイノルズの見方のほうが、むしろ辛口です。