◆朝日新聞が、「明日へのレッスン」で功利主義を取り上げていました(2019年12月11日付)。疑問が、大きく二つあります。
◆一つ目は、功利主義について200字以内で説明させる入試問題(東京学芸大、2017)をなぜ取り上げたのか、ということです。
次のような問題でした。
<イギリス経験論の伝統をうけつぐベンサムとミルの功利主義について、両者を比較しながら200字以内で説明せよ。>
◆「哲学ブーム」を意識したのでしょう、記者は功利主義の問題に注目したようです。しかし、この入試問題自体は何ら新しいものではありません。記者は誤解したかもしれませんが、「思考力・判断力・表現力」を測る問題ではありません。何十年も前から行われてきた問題形式で、教科書(ここでは「倫理」)の内容をよく覚えて、記述形式で吐き出すことができる能力を測っています。そういう意味では、掲載されている解答例は非の打ち所がないスマートなものでした。
◆二つ目は、記事全体に関わる問題です。「格差や分断が広がる混沌とした世界」という書き出しにもかかわらず、ベンサムの功利主義が政治改革への情熱から出てきた思想であったことに、まったく触れていませんでした。さらに、記事の後半は、「道徳と社会」をめぐる、サンデル流の思考実験的な議論の紹介になっていました。ベンサムとミルから出発しながら、いつのまにか現代功利主義の応用倫理学へとスライドしていたのです。
◆記事の眼目は応用倫理学の思考実験の紹介で、ベンサムやミルは導入に利用しただけだったのかも知れません。しかし、ベンサムやミルの思想は、そのように軽いものではないでしょう。功利主義の原点に立ち返ってベンサムやミルを検討することは、「明日へのレッスン」そのものであると思います。
◆ベンサムは、産業革命期の激変するイギリス社会の中で思索しました。「最大多数の最大幸福」という語はベンサム以前にも使われていたのですが、それを政治の原理にも適用しようとしたところにベンサムの思想の特徴がありました(*)。ベンサムの主著『道徳および立法の諸原理序説』は、「法・政治制度改革の哲学的構想」(**)であったのです。その思想は参政権拡大の運動にも大きな影響を与えましたが(1832年の第1回選挙法改正)、「最大多数の最大幸福」は、ベンサムにおいては、「少数者の最大幸福」と対置されていたことを忘れてはなりません(***)。
◆また、ベンサムの思想とジョン・ステュアート・ミルの思想を単純に対比すべきではありません。たとえば、ベンサムは次のように述べています。
「功利性の命令は、もっとも広範囲の、そして開明的な(すなわちよく熟慮された)慈愛の命令にほかならないからである。」(****)
ベンサムのサンクション(制裁)についての考え方も、矮小化すべきではありません。『彼は世論の重要性を唱え、公的関心をもった公衆の意見による「道徳的なサンクション」が、「悪政に対する安全保障」になることを主張した』(*****)のでした。
◆このような思想を発展的に受け継いだジョン・ステュアート・ミルは、女性参政権の立法化に取り組みました。1867年のことです。メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』が1792年に出版されていたとはいえ(ミルが読んでいたかどうかはわかりませんが)、19世紀半ば過ぎに女性参政権のために活動した思想家はミルだけだったと思います。
◆私たちは、産業革命期に匹敵する変化の時代に生きています。「法・政治制度改革の哲学的構想」は、今こそ求められているものです。ベンサムとミルの功利主義を、現代から捉え直そうとするのであれば、歴史的・社会的文脈をもっと大切にするべきでした。それが、思想家を取り上げる際の礼儀でもあると思います。
(*)関嘉彦「ベンサムとミルの社会思想」(『世界の名著38』[中央公論社、1967]所収)
(**)山岡龍一「ジェレミ・ベンサム」(杉田敦・川崎修編著『西洋政治思想資料集』[法政大学出版局、2014]所収)
(***)ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』第一章の注(山下重一訳、前掲『世界の名著38』)。
(****)ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』第十章(前掲『世界の名著38』)。
(*****)山岡龍一、前掲論文。