世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★<バイデン大統領就任式>アマンダ・ゴーマンが詩「私たちが登る丘」を朗読しました

※最終更新 2021/01/24  12:50 

 

◆バイデン大統領の就任式が無事に終わり、ほっとしています。

 

◆トランプの動きはこれからも続くのでしょうが、実質的には「トランプは終わった」と言っていいと思います。「連邦議事堂乱入事件」で自爆してしまいました。支持者たちは、「トランプの4年間」が虚構の祭りであったことを、トランプを動かしていたのは希望ではなく単なる権力欲だったことを、知り始めていると思います。もしかしたら、深い失望に陥っている人たちもいるかも知れません。

 

◆バイデン支持者が4年間感じ続けてきた失望や怒り、トランプ支持者が感じている、アメリカの現実への失望や怒り、その両方を受けとめる力が、就任式で朗読されたアマンダ・ゴーマン( Amanda Gorman )の詩「私たちが登る丘」( The Hill We Climb )にはあったと思います。

 

◆新聞は、詩の最後の「光」の部分を中心にが取り上げていましたが、全体を読んでみると、鋭く美しくソウルフルな詩句がたくさんありました。たとえば、次のような部分です。この部分の英語はシンプルで、私でも何とかわかりました。ただ、どう訳すかとなると、難しいです。

  

 ・「私たちは悲しんだ、けれども成長した

   私たちは傷ついた、けれども希望を持ち続けた

   私たちは疲れ切った、けれども試み続けた」

 

 ・「私たちは打ちのめされながらも、美しくなっていくだろう」

 

◆ネット上にはいくつかの訳が出ています。上記の一つ目は拙訳です。二つ目はクリーリエ・ジャポンの訳です。

 

◆詩の最後近くの1行は、 new  dawn と  bloom と free  が使われていて、美しく力強く解放感がありました。ただ、専門家でも日本語に訳すのは難しいようです。ネット上の訳は、さまざまでした。

 

  The  new  dawn  blooms  as  we  free  it

 

 私は勝手に、「花がほころぶように夜が明けていく」というようなイメージで受けとめているのですが。

 

◆詩は「私たちが光になろうとする勇気があれば(光はいつもそこにある)」と結ばれていました。

 

◆「光になろうとする勇気」とはどういうものか、いろいろ考えさせられました。自分にはとてもできないように思いましたが、最初に紹介した、過去形で書かれた詩句(「私たちは悲しんだ~」)は、多分現在形でも書かれるのでしょう。

 

◆あまたの言葉が浮遊し、ほとんどはすぐ消えていく中で、詩を書き、人前で、しかも大統領就任式で朗読するというのは、並大抵のことではありません。「私たちが登る丘」には、混乱や闇を見つめながら、それを乗り越える強い意志、デモクラシーや多様性やアメリカの大地への信頼が述べられていました。「光」に向かおうとする、敬虔な魂から発せられた言葉だったからこそ、人びとの心を打ったのだと思います。

 

◆「人間はみな平等に造られ」と宣言した国アメリカは、それを何とか受け継ごうとしているアメリカの人びとは、きっと「打ちのめされながらも、美しくなっていく」でしょう。そう信じたいと思います。世界も、世界の人びとも。

 

◆日本人も、「丘に登る」ことはできるでしょうか? 「新しい夜明け」に遭遇できるでしょうか? 今はまだはっきりとは感じられませんが、私たち日本人にも「打ちのめされながらも、美しくなっていく」勁さはある、そう思っています。

 

 

★2021共通テスト「世界史B 」問題分析【とても評価できますが、問題点も】<1/21まで更新>

※最終更新 2021/01/21  19:57 

 

◆ようやく、私が長年望んできた出題形式になりました。試行テストと同じく、多角的に歴史を考えさせる問題になっていたと思います。史料・資料が多彩で(『史記』、『デカメロン』、マルク・ブロック、ジョージ・オーウェル、植民地行政官の覚書、金貨鋳造量のグラフなど)、歴史への向き合い方を示唆していました。設問もかなり工夫されていました。出題者の方々が力を入れて作成した問題であることがわかります。若干、史料文の読解力を問う方向に傾斜してしまいましたが。

 

◆ただ問題点もありました。大きく二つあげたいと思います。一つ目は、出題地域の偏りです。もう少し目配りが必要でした。二つ目は、取り上げた出来事の偏りです。これはやむを得ないことだとは思いますが、歴史の見方に関わりますし、社会的な反響があるかも知れませんので、一応述べておきます。

 

<一つ目の問題点:地域の偏り>

 

◆たいへん残念なことに、出題地域に偏りが見られました。ヨーロッパと中国、インドが中心で、イスラーム世界の出題は少なくなりました。バルカン半島や朝鮮の近代史の出題は良かったと思いますが、古代オリエント~近世の西アジア・エジプト、アフリカ、中央アジア、東南アジア、ラテンアメリカカリブ海地域、オセアニアは等閑視される形になりました(わずかに近代メキシコが選択肢の一つにありました)。出題者の方々は、地域的バランスを考えるよりも、設問の形式の工夫のほうに集中してしまったようです。結果として、ヨーロッパ・中国・インドを重視する、古くからの歴史観が(多分無意識のうちに)色濃く出てしまいました。もしアフリカ、ラテンアメリカ、東南アジアなどから1つだけでも史料(資料)が出題されれば、問題全体の雰囲気も違っていたでしょう。すべての地域を網羅することはできないにしても、いま求められている世界史像を踏まえながら、できるだけ多様な地域から出題してほしかったと思います。

 

<二つ目の問題点:「支配-被支配」や「対立」に重点>

 

◆「支配-被支配」、「国と国、勢力と勢力の対立」に関わる出題が多かったと思います。第4問Cのように、すばらしい出題もありました。

 ただ、私が述べるまでもありませんが、歴史を見る場合、「交流・協調」や「移動・伝播・変容」、「獲得してきたこと」等に着目することも大切です。たとえば、<交易やその中で行われる異文化間交流>、<人・モノ・文化の移動とその影響>、<文字や技術・科学的知識・民主主義思想等の獲得やその広がり>などです。また「支配-被支配」という関係の中にあっても、文化の交流や伝播・変容、そして「獲得」(たとえば民主主義思想の摂取による植民地の独立、自由・平等の深化による女性の権利拡大)は起こってきました。歴史においては、ネガティブな状況の中からもポジティブなものが生まれてきます。このような「歴史の果実」にも目配りがあれば、さらに良い問題になったと思います。

 今回の出題は、やや「支配-被支配」、「対立」に偏っていました。多分、出題者の方々の、世界や日本の現状への強い危機感が表れたのだと思います。また、学生たちにリベラルな批判的思考力を求めていることも、よくわかります。私も、同じような思いを持っています。ただ、共通テストにおいてそれらを強く感じさせる出題をするのは、あまり好ましいことではないでしょう。若干の危惧を持ちましたので、あえて述べさせていただきました。

 

◆史料文が長く、設問もセンター試験より複雑になりましたので、受験生はてこずったことでしょう。昨年と比べて、平均点は下がると思います(*)。大学での学びには世界史の知識・理解が必須ですので、高校生が世界史を積極的に選択するよう願っています。

 

【1/21追記】

(*)予想は、はずれたようです。大学入試センターの平均点中間発表(1/20)によれば、昨年のセンター試験を上回っています[中間発表65.79、昨年最終62.97]。最終的にはもう少し下がるかと思いますが、受験生は健闘しました。予想問題集や模擬試験で、出題傾向には慣れていたのでしょう。多様な地域からの出題ではなかったことも、受験生には幸いしたと思われます。

【2回目の緊急事態宣言】政府の対策遅れで危機に、一方で国民には罰則が 

※データは、1/16(土)の分まで更新します。

 

▼1月8日からの1都3県の緊急事態宣言は、1週間も経たないうちに(13日から)11都府県に拡大しました。やはり、政府の見通しが甘かったのです。11都府県以外にも急速に拡大し、緊急事態に準じる措置をとっている県・市が複数ある状態です。

 

▼約1カ月前と比べると、爆発的感染拡大と言っていい状態です。

 

                  新規感染者数       死者数

  ●12/ 6(日)~12(土) 17,325人    244人

     1/ 3(日)~ 9(土) 40,627人    450人

         [※1/8(金)  7,882人【過去最高】]

     1/10(日)~16(土) 42,133人    454人

 

                     重症者数

  ●12/ 6(日)         519人

     1/ 3(日)         714人

     1/16(土)         965人

 

  ▼この1週間、1日平均6,000人が新規感染しています。重症者も急速に増加してしまいました。病床が足りなくなるのは当然です。少なくとも来週半ばまでは、この状況が続くと思います。東京都をはじめとした首都圏は持ちこたえられるでしょうか? 非常に心配です。また、大阪府の死者数は東京都を上回っています。

 

▼12月に緊急事態宣言を出していれば、これほどまでにはならなかったでしょう。しかし、緊急事態宣言どころか、政府に危機感は欠けていました。「5人以上の会食は控えましょう」という政府の呼びかけに反して、首相みずから大人数で豪華な会食をしたのは12月半ばでした。国民の政府への信頼感は、大きく揺らぎました。また、「Go To~」という語も、「ウィズ・コロナ」という語も、ウイルスへの警戒心をゆるめてしまったのです。

 

▼分科会の責任も重大です。ほとんど無力でした。感染拡大を防ぐための組織だと思っていましたが、感染拡大を追認するだけの組織になってしまいました。諮問委員会、有識者会議、厚生労働省の専門家会議などとの関係も、よくわかりません。さらに対策会議もあります。会議だけ並べていても、有効な対策をとれないのではどうしようもありません。

 

▼緊急事態宣言発出から2週間となる来週末には、少し落ち着くでしょうか? もし落ち着かなければ、日本全体が危機的な状態に入っていくでしょう。

 

                 累計の感染者数     死者数

  ● 1/16(土)現在    324,936人   4,476人

 

 ▼入院したくても自宅で療養せざるをえない人たちが、1/13(水)現在、3万人以上いるとのことです。来週にかけて、さらに増えていくでしょう。入院先がなく、自宅や高齢者施設で療養している人が、何の治療も受けられずに亡くなっていくという事態が起きています。もはや医療崩壊と言っていいと思います。なぜ、第1波が収束した後、冬に備えて医療体制の充実に取り組まなかったのでしょうか?

 

▼このような状況の中、法律の「改正」で、罰則や病院名公表が検討されています。

 

 <1>罰則

 ① 入院拒否の場合:1年以下の懲役か100万円以下の罰金

 ② 保健所の行動履歴調査などを拒否した場合

            :6カ月以下の懲役か50万円以下の罰金

 ③ 営業時間短縮などに従わない場合:30万円・50万円

 

 <2>新型コロナの患者受け入れの勧告に応じない病院の場合

    :病院名を公表

 

★諸外国の例もあるようですが、できれば日本はこのようなことをせずに乗り切ってほしいと思います。<1>の場合も<2>の場合も、やむにやまれぬ理由があるかも知れないのです。「6カ月以下の懲役」「1年以下の懲役」などという発想はどこから出てくるのでしょうか? 政府はみずからの対策の失敗は省みず、「恐怖のコロナ対策」で乗り切ろうとしているように見えます。

 

★<1>の①②について、日本医学会連合(医学系136学会が加盟)は1月14日、罰則反対の緊急声明を発表しました。その中で、次のように述べています。

 「抑止対策をせずに感染者個人に責任を負わせることは、倫理的に受け入れがたい。」

 

★対策の遅れだけではありません。政府は、方針転換しても、きちんと説明しません。前の方針の継続であるかのように言いつくろっています。国会や記者会見で質問を受けても、常套句を並べてうまくかわすことが政治だと思っているようです。言い逃れが当たり前となり、誰も責任をとりません。国民の心に響くメッセージもありません(ドイツやニュージーランドの首相を見習ってほしいものです)。政府と国民の間には、信頼関係があまりない状態です。政府は国民に罰則をもって臨もうとしていますが、信頼関係はますます損なわれるでしょう。

 

★政治とは何か、政治家はどうすべきなのか、あらためて考えさせられています。「経世済民」という語を思い出しました。「世を治め、民の苦しみを救う」という意味です。古いことばですが、政府は、よく噛み締めてほしいと思います。

【バイデン大統領就任式前のアメリカ】160年前の南北戦争を振り返りながら思うこと

 

★バイデン新大統領の就任式が1週間後に迫っています。武装したトランプ支持派が不穏な動きをしています(アメリカが「銃社会」であることをあらためて思い知らされます)。

 

★トランプが登場した時から「南北戦争以来の分断」と言われてきましたので、南北戦争の経過を振り返ってみました。

 

アメリカ合衆国が分裂し、内戦(南北戦争)が勃発したのは、160年前の1861年でした。

 

  1856    カンザス奴隷制反対派と支持派との武力衝突

  1858    リンカン、「分かれた家」演説

  186011月 リンカン、大統領に当選

      12月 サウスカロライナ州、合衆国から脱退

  1861 2月 南部7州、南部連合を結成

       (4月までに11州に=アメリカ連合国

       3月 リンカン、大統領に就任

       4月 南軍の攻撃から南北戦争開始

  1862    ホームステッド法成立

  1863 1月 リンカン、奴隷解放宣言発表

       4月 ゲティスバーグの戦いで北軍勝利

      11月 リンカン「ゲティスバーグの演説」

  1864    リンカン再選

  1865 4月 9日 南北戦争実質的に終結

       4月15日 リンカン暗殺、副大統領ジョンソン昇格

      12月    奴隷制廃止を定めた憲法修正第13条発効

 

▼簡単な年表で、南北戦争前後の出来事を見てみました。リンカン(共和党内の穏健派でした)は、内戦勃発前、「分かれた家」演説( House-Divided Speech )で、「国が争えばその国は存立できない。ばらばらに分かれた家は建っていることができない。」と訴えていました。しかし、南部にアメリカ連合国ができ、独立達成から80年足らずで内戦になってしまいました。

 

ゲティスバーグの戦いでの勝利から北軍優勢になっていきますが、多大の犠牲をともないました。

 「ゲティスバーグで行われた南北戦争最大の戦闘では、3日間をとおして南北両軍の死者は4万6千人にも及んだ。南北戦争は、実際のところ、19世紀、世界に起こったいかなる戦争も上回る、もっとも悲惨で大規模な戦争であったのである。」

 【紀平英作「内戦の嵐をとおして」[『アメリカ合衆国の膨張』(世界の歴史23、中央公論社、1998)所収】

 

 ※南北戦争4年間の死者  63万4千人

    北部側  35万9千人

    南部側  27万5千人

 ※南北戦争の死者は、第二次世界大戦時の合衆国の死者(32万2千人)の2倍でした。

 

アメリカ合衆国は再統合されましたが、戦争終結のわずか6日後、リンカン大統領はワシントンで南部出身の男に暗殺されました。クー・クラックス・クランが結成されたのは1866年でした。

 

ゲティスバーグペンシルヴェニア州です。昨年の大統領選挙でも、ペンシルヴェニア州は選挙全体の帰趨を決する激戦州だったことが思い起こされます。

 

南北戦争奴隷制の是非が争点でしたので、もちろん現在の状況とは違います。ただ、現在も人種問題は、アメリカ社会に影を落とし続けています。多分、現在の最大の争点は「富の偏在」だと思います。しかし、トランプはそれを巧みに利用しながら、それを解決しようとはせずに、権力をふるうことに執着してきました。そして、嘘を積み重ねながら「内戦状態」を作り出してきたのです。

 

★合衆国憲法に基づく選挙制度が、実際の内戦を防いできたのですが、トランプは選挙そのものを攻撃し、先週の「連邦議事堂乱入事件」を引き起こしました。現職の大統領が、憲法を否定したのです。上院の弾劾裁判で有罪とならなくても、退任後、訴追されるべきでしょう。

 

武装したトランプ支持グループが、1月20日の大統領就任式に向け、首都ワシントンだけでなく、全米各地で州政府・州議会などの襲撃を企てていると伝えられています。きわめて緊迫した状況です。かつてクー・クラックス・クランは、南部敗北の直後に結成され、アメリカの歴史に大きな爪痕を残しました。バイデン大統領や民主党に復讐しようとする組織の活動は、しばらく続くと思います。

 

★新しいバイデン/ハリス体制は苦難の船出になることが予想されますが、少しずつでも、アメリカに光明がもたらされますように。

★プラトンから考える現代のフィロソフィア

 

プラトン(前427~前347)は、29歳の時、師ソクラテスの裁判と刑死(前399)を目の当たりにし、哲学(政治における正義・善の問題と切り離せないものでした)の道を歩むことを決めました。

 

プラトンの「第七書簡」と呼ばれる文書は、晩年に(前352頃)書かれた、一種の公開状のようなものでした。そこにはプラトンの体験と思索の核が表現されています。(「第七書簡」を偽書とする見方もあるようですが、田中美知太郎にしたがって真作と考えています。プラトン研究者ではありませんので、最近の研究の詳細はわかりません。)

 

◆少し長い引用になりますが、「第七書簡」から、現代のフィロソフィアとは何かを考えてみます。(その都度断っていませんが、引用文には中略・引用者による改行があります。)

 

 

プラトン「第七書簡」より

 

 そういった事件(ソクラテスが死刑になった事件)や国政にたずさわっていた者たちのことを、その法律や慣行ともども観察していましたところ、たち入って考察すればするほど、そして齢を重ねれば重ねるほど、わたしには、国事を正しい意味において司ることが、いよいよ困難に思われてきたのでした。成文の法、不文の風紀のどちらも、荒廃の一途をたどっていて、その亢進の度たるや、尋常一様のものではありませんでした。

 そういうわけでわたしは、初めのうちこそ、公共の実際活動へのあふれる意欲で胸いっぱいでありましたのに、そういうことどもに思いをいたし、ものごとが支離滅裂に引きまわされているありさまを見るにおよんでは、とうとう眩暈を覚えざるをえなくなったのです。それでわたしは、まさにそういうことどもについてはもちろん、国制全体についても、どうすれば改善しうるであろうかと検討するのをやめたりはしなかったものの、しかし実際行動に出ることについては、好機を期して、ずっと控えているよりほかなかったのです。

 そしてついには、現今の国家という国家を見て、それがことごとく悪政下におかれている事実を否応なく認識させられる-というのは、法の現状は、どの国にとっても、驚くべきほどの大仕掛けな対策と、あわせて好運をもってしなくては、もはやとうてい治癒されようもないほどになっていたからですが-とともに、国事も、個人生活も、およそその正しいありようというものは、哲学からでなくしては見定められるものでないと、正しい意味での哲学を称えながら、言明せざるをえなくなったのでした。

 【長坂公一訳、『世界の名著7 プラトンⅡ』(中央公論社、1969)所収】

 

 

◆「第七書簡」には、プラトンが「哲人政治」(「真に哲学しているような部類の人たちが政治的支配の地位につくか、それとも現に国々において政治的権力をもっているような人たちが、神与の配分とも言うべき条件を得て、真に哲学するようになるかの、いずれか」)という考え方を抱くに至った経過が、簡潔に述べられていました。

 

◆世界各国で勢いを増している非民主的で強権的な政治や近年の日本政治の憂うべき状態を考えると、プラトンの言葉は、とても2,300年以上前のものとは思われません。「ものごとが支離滅裂に引きまわされているありさま」とは、「トランプのアメリカ」そのものです。

 

◆もちろん、ほとんどの人は「いまさら哲人政治など…」と冷笑することでしょう。実は、プラトン自身も、そのような批判は十分に承知していました。

 「われわれがこれまで、<正義>とはそれ自体としていかなるものであるか、また、完全に<正しい人>がいるとしたら、それはどのような人間であるかを探究してきたのは、<模範>となるものを求める意味においてだったわけだ。われわれの目的は、けっして、そのような<模範>が現実に存在しうるということを証明することにあるのではなかった。」

 【プラトン『国家』(田中美知太郎ほか訳、同上書)所収】

 

◆多分プラトンは、理想と現実の乖離に苦しみながらも、あえて理想の政治を探究することをやめなかったのです(思想は違いますが、この点では中国の孔子と同じです)。「善のイデア」を考えた哲学者としては、当然だったでしょう。狂おしいほど「正義」や「善」を、しかも論理的に、求めないではおれなかったのでしょう。それが、プラトンにとってのフィロソフィア(知を愛し求めること)[*1]だったのだと思います。奴隷が存在したポリスの枠内ではありますが。

 

◆「哲人政治」は不可能でしょう。でも、プラトンが考えた、政治における「正義」も不可能なのでしょうか? 紆余曲折を経ながらも、政治・経済思想(たとえば社会契約説や自由主義経済思想、社会主義思想)と政治制度(たとえば議会制や三権分立制、憲法制定)の両面で、「正義」の探究は続いてきたと思います。近世以降は、それが政治に関するフィロソフィアでした。 

 

◆人類は、おびただしい血を流しながらも、民主的な諸制度を創ることで、「正義」に近づく道を模索してきました。それは、イギリスやフランスの歩みに典型的です。どちらの国も、国王処刑という悲惨な出来事を経験しながら、現在の諸制度に至っています。ただ、民主主義的な諸制度と帝国主義は併存しました。そして、20世紀以降も、悲惨な出来事は継続しました。民主的と言われたヴァイマル体制の中から、ヒトラーが登場しました。「現人神」と議会制度を接ぎ木した「大日本帝国」は崩壊しました。21世紀、三権分立の模範とされてきたアメリカ政治には、トランプが登場しました。中華「人民」共和国は、人民を抑圧する国家になっています。

 

◆このように歴史は行きつ戻りつしてはいますが、それでもなお私たちは、民主主義を手放すわけにはいかないでしょう。民主主義は、人類の財産です。たとえば、自由という概念や議会という制度を、この世界から放逐することはできないでしょう。民主主義は、理念的には、「正義」(近代以降は平等という概念を含みます[*2])と結びついています。「哲人」に替わるものは、多分、民主主義の思想と諸制度以外にはありません。ただそれは、固定したものでなく、人びとの知恵と闘いで絶えず更新されるものです。法の下の平等、自由、国民主権三権分立などを基盤にしながら、民主主義の諸制度をアップデートしようとすること、それが現代のフィロソフィア(知を愛し求め、正義を実現しようとすること)だと思います。哲学という訳語の有効性は、もはや終わりつつあるのではないでしょうか。フィロソフィアの本来の意味を取り戻しながら発展的に考えなければなりません。  

 

新型コロナウイルスによって、全世界の人びとの命と暮らしが脅かされている現在[*3]、しかも経済的格差が拡大している現在(たとえば、毎日新聞[2021/1/10]の記事「低所得ほど打撃大きく」)、「正義」をどう実現すればいいのでしょうか? 仕事や住む所を失う人がいるのに、株価上昇で笑いが止まらない人もいる、そういう世界に私たちは生きています。「パン」や「お金」や「治療」をすぐにも欲しい人たちがたくさんいます。困難な課題ですが、いますぐできる具体的な「正義」は、政府が所得補償を徹底して行うこと、医療を徹底して支えること、それ以外にはないでしょう。コロナ禍でのフィロソフィアは、一人一人の「生きる権利」の保障と結びついたものでなければならないと思います。

 

[*1]英語では philosophy となりました。明治の初めに西周によって「哲学」と訳され、定着してきました。何か厳めしい印象のある語です。しかし、もともとのフィロソフィアには「愛し求める」という情熱的な精神的行為が意味として含まれていました。その情熱的な精神的行為を取り戻さなければ、と考えています。

[*2]たとえば、ルソーの『人間不平等起源論』が出版されたのは、1755年でした。

[*3]驚くべき数字ですが、世界の死者はまもなく2百万人を超えます。累計の感染者数は、今月中に1億人に達するかも知れません。

 日本も「感染爆発」の様相を呈しており、医療現場や保健所は危機に陥っています。死者は4千人を超えました。1日の新規感染者数は、先週初めて8千人近くになりました。

 

 

 

▼暴動を煽ったトランプ、合衆国の歴史に汚点(2021/1/6)【追記1/8,1/9】

 

▼日本で新型コロナウイルス感染が爆発的に拡大して不安が広がっている時、アメリカで前代未聞の大変な事態が起きました。大集会を開いていたトランプ支持者たちが、「議事堂に向かえ」というトランプの言葉に応えて、連邦議会議事堂に乱入し、一時占拠したのです。死者も出てしまいました。議会では、大統領選挙の結果の確認が行われている最中でした。警備体制の不十分さも露わとなりました。

 

▼1月20日のバイデン大統領の就任式までに、トランプが何か事を起こすのではないかと心配していましたが、まさか現職の大統領が議事堂乱入を扇動するとは思いもしませんでした。任期の最後に現れたのは「偉大なアメリカ」ではなく、「不名誉なアメリカ」でした。民主主義を否定するトランプの本質が噴出したのです。アメリカ国民ではありませんが、またアメリカの民主主義が完全なものだとは思っていませんが、怒りを禁じ得ません。

 

▼日本では、国会が形骸化し、「国権の最高機関」と呼べないような状態になっています。しかし、アメリカでは、連邦議会は大統領と並ぶ政治的権威を持ち続けてきました。ホワイトハウスと同様の、アメリカのデモクラシーの象徴(言わば「政治的聖域」)である議事堂にトランプ支持者が乱入したことは、衝撃的でした。

 

▼今回の暴動は、アメリカの歴史に消すことのできない汚点を残しました。あの崇高な理想を掲げた独立宣言や三権分立を定めた、史上最初の成文憲法である合衆国憲法を踏みにじる、恥ずべき、犯罪行為です。一切の責任はトランプにあります。任期はあと2週間ですが、解任あるいは弾劾に値します。退任後も、法に従って裁かれるべきでしょう。

 

◆【2021/1/8 追記】

 暴徒乱入で中断しながらも、議会では選挙結果の確認が行われ、バイデン大統領の当選が最終的に確定しました。ペンス副大統領も、トランプの圧力に屈することなく、選挙結果の確定という仕事を遂行しました。アメリカのデモクラシーはかろうじて守られた、と言えるでしょう。

 今回の騒乱を受けて、トランプ側近や共和党議員の中に離反の動きが出ていると伝えられています。当然でしょうが、あまりに遅すぎました。共和党は遅まきながら「トランプ党」でなくなっていくでしょうか?

 注目すべきは、今後の福音派の動向です。福音派の良心的な人びとは、今回の出来事に嫌悪感を抱くでしょう。白人労働者層も含めて、ようやく目が覚めていくのではないかと思っているのですが……。

 嘘に嘘を重ね、分断を煽り続けた「トランプの4年間」の影響は、しばらく残るかも知れません。しかし、少なくとも、トランプの4年後の再選はなくなったでしょう。トランプは、自ら墓穴を掘ったのです。

 ただ、自暴自棄になったトランプが1月20日のバイデン大統領就任式までにとんでもないことをする可能性は、まだ残っています。就任式が無事終わるまで、最大の警戒をする必要があると思います。

 

◆【2021/1/9 追記】

 ツイッター社は、暴力を煽る可能性があるとして、トランプのアカウントを永久に停止しました。

 なお、トランプは、12月20日ツイッターで次のように言っていました。

 「1月6日にワシントンで大集会を開く。ぜひ来てほしい。激しいものになるだろう。」

【コロナ感染危機・緊急事態宣言】時すでに遅し、分科会も機能せず(1/5、追記1/6)

 

菅内閣はようやく「緊急事態宣言」を出すようです。1都3県を対象に、1月8日午前0時から実施する方向だそうです。多分、「時すでに遅し」です。分科会も、残念ながら、機能しませんでした(*)。今まで述べてきたように、政府も分科会も「座して、感染爆発➡医療崩壊を待つ」ような対応に終始してきたのです。 

 

◆今回の場合、「緊急事態宣言」とは言っても、「限定的な緊急事態宣言」のようです。飲食店の営業制限が中心になると伝えられていますが、はたして飲食店だけが感染拡大の「元凶」なのでしょうか? 1都3県だけの地域限定で大丈夫なのでしょうか?

 

◆1月4日の記者会見で、菅首相は次のように述べていました。

 「昨年来、対策に取り組む中で判明したことは、経路不明の感染原因の多くは飲食によるものと専門家が指摘しております。したがって飲食でのリスクを抑えることが重要です。そのため、夜の会食を控え、飲食店の時間短縮に御協力いただくことが最も有効ということであります。」

 [総理官邸ホームページより]

 

◆8人で豪華な会食をしたこと(20日前のことでした)を反省した上での言葉なのでしょうが、やはり白々しく聞こえてしまいます。リスクがあるのに、なぜ「GoTo イート」を推進したのか、説明はありませんでした。

 

菅首相・二階幹事長の会食だけでなく、驚くべきことに、自民党の複数の派閥で忘年会が企画されていました。「マスク会食」などということも言っていました。「食べる時にマスクを外し、すぐまたマスクをつける」厚労大臣の映像がテレビに流れていました。呆れてしまったのを覚えています。政府・自民党は、「飲食でのリスク」など、本気で考えてはいなかったのです。

 

◆「国民の協力が得られなかった」というニュアンスの発言が、政府や専門家から聞かれますが、とんでもないことだと思います。「Go To~」や「ウィズ・コロナ」などという言葉は、国民の警戒心を弱める、きわめて安直なメッセージでした。11月後半~12月初めの時点で、政府・自民党・分科会にもっと危機感があれば、そして心に響く真摯なメッセージがあれば、国民の行動は変わっていたでしょう。 

 

◆飲食店での大人数の会食を控えるのは当然ですが、飲食店等の営業時間短縮を重点にすることで感染拡大を抑えられるとは思われません。病院や高齢者施設でのクラスター発生を見れば、飛沫感染の実態をもっと広く深刻に考えるべきだと思います。呼吸という、人間という生き物の根幹の部分に沿って身体に入り込むウイルスなのです。多分、「マスク、手洗い」だけでは防げないほど感染力が強いのでしょう。マスクが100%ウイルスを遮断するわけではないことを、思い出す必要があります(以前から書いていますが、「うがい」が推奨されないのは不思議でなりません)。

 

 ◆今進行しているのは、危機的な感染拡大です。医療崩壊はもう目前です。今後、感染拡大を抑え切れずに、「宣言」の範囲やなかみを小出しに重ねていくような愚は避けてほしいと思います。言論弾圧情報隠蔽は論外ですが、武漢の事例に学ぶべきことはあるはずです。3~4週間ぐらい、全国的に(あるいは数地域に限って)、人の移動を徹底して減少させる、ロックダウンに近い対策が必要ではないでしょうか。そのほうが、経済活動の回復にもつながるはずです。

 

◆感染状況は、これからどうなっていくのでしょうか? 素人の予測に過ぎませんが、12月からの状況を考えると、よい方向に向かうとは思われません。新型コロナウイルスは、残酷なまでに強力です。「緊急事態宣言」を検討している間(4日~7日)にも、新規感染者、重症者、死者は増えていくでしょう。「緊急事態宣言」発出以降も、しばらく感染拡大の勢いは止まらないと思います。政府内にも衝撃が走るほどの数字になるかも知れません。その時はじめて「時すでに遅し」だったことを知るのです、きっと。

 

(*)5日、分科会の尾身会長は、緊急提言を発表しました。次のような発言がありました。

  ① 「首都圏の現状は爆発的感染拡大に相当する」

  ② 「緊急事態宣言を発出すべき」

  ③ 「緊急事態宣言で感染が下火になる保証はない」

 ①・③についてですが、よく考えると、疑問が湧いてきます。

 分科会は「爆発的感染拡大」を追認するための組織なのでしょうか? 「爆発的感染拡大」を防ぐために設けられたのではなかったでしょうか? 本当に残念なことですが、分科会にも危機感は欠けていました。「私たち専門家の力が足りず、爆発的感染拡大を防げませんでした」と言ってほしかったと思います。特に③は、分科会としての責任を放棄したような発言です。

 ②を、11月下旬(「勝負の3週間」という発言があった時期です)か、遅くとも12月初めに提言すべきでした。そうすれば、少なくとも③のようなことを言わずに済んだと思います。

 【2021/1/6 追記】