世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★プラトンから考える現代のフィロソフィア

 

プラトン(前427~前347)は、29歳の時、師ソクラテスの裁判と刑死(前399)を目の当たりにし、哲学(政治における正義・善の問題と切り離せないものでした)の道を歩むことを決めました。

 

プラトンの「第七書簡」と呼ばれる文書は、晩年に(前352頃)書かれた、一種の公開状のようなものでした。そこにはプラトンの体験と思索の核が表現されています。(「第七書簡」を偽書とする見方もあるようですが、田中美知太郎にしたがって真作と考えています。プラトン研究者ではありませんので、最近の研究の詳細はわかりません。)

 

◆少し長い引用になりますが、「第七書簡」から、現代のフィロソフィアとは何かを考えてみます。(その都度断っていませんが、引用文には中略・引用者による改行があります。)

 

 

プラトン「第七書簡」より

 

 そういった事件(ソクラテスが死刑になった事件)や国政にたずさわっていた者たちのことを、その法律や慣行ともども観察していましたところ、たち入って考察すればするほど、そして齢を重ねれば重ねるほど、わたしには、国事を正しい意味において司ることが、いよいよ困難に思われてきたのでした。成文の法、不文の風紀のどちらも、荒廃の一途をたどっていて、その亢進の度たるや、尋常一様のものではありませんでした。

 そういうわけでわたしは、初めのうちこそ、公共の実際活動へのあふれる意欲で胸いっぱいでありましたのに、そういうことどもに思いをいたし、ものごとが支離滅裂に引きまわされているありさまを見るにおよんでは、とうとう眩暈を覚えざるをえなくなったのです。それでわたしは、まさにそういうことどもについてはもちろん、国制全体についても、どうすれば改善しうるであろうかと検討するのをやめたりはしなかったものの、しかし実際行動に出ることについては、好機を期して、ずっと控えているよりほかなかったのです。

 そしてついには、現今の国家という国家を見て、それがことごとく悪政下におかれている事実を否応なく認識させられる-というのは、法の現状は、どの国にとっても、驚くべきほどの大仕掛けな対策と、あわせて好運をもってしなくては、もはやとうてい治癒されようもないほどになっていたからですが-とともに、国事も、個人生活も、およそその正しいありようというものは、哲学からでなくしては見定められるものでないと、正しい意味での哲学を称えながら、言明せざるをえなくなったのでした。

 【長坂公一訳、『世界の名著7 プラトンⅡ』(中央公論社、1969)所収】

 

 

◆「第七書簡」には、プラトンが「哲人政治」(「真に哲学しているような部類の人たちが政治的支配の地位につくか、それとも現に国々において政治的権力をもっているような人たちが、神与の配分とも言うべき条件を得て、真に哲学するようになるかの、いずれか」)という考え方を抱くに至った経過が、簡潔に述べられていました。

 

◆世界各国で勢いを増している非民主的で強権的な政治や近年の日本政治の憂うべき状態を考えると、プラトンの言葉は、とても2,300年以上前のものとは思われません。「ものごとが支離滅裂に引きまわされているありさま」とは、「トランプのアメリカ」そのものです。

 

◆もちろん、ほとんどの人は「いまさら哲人政治など…」と冷笑することでしょう。実は、プラトン自身も、そのような批判は十分に承知していました。

 「われわれがこれまで、<正義>とはそれ自体としていかなるものであるか、また、完全に<正しい人>がいるとしたら、それはどのような人間であるかを探究してきたのは、<模範>となるものを求める意味においてだったわけだ。われわれの目的は、けっして、そのような<模範>が現実に存在しうるということを証明することにあるのではなかった。」

 【プラトン『国家』(田中美知太郎ほか訳、同上書)所収】

 

◆多分プラトンは、理想と現実の乖離に苦しみながらも、あえて理想の政治を探究することをやめなかったのです(思想は違いますが、この点では中国の孔子と同じです)。「善のイデア」を考えた哲学者としては、当然だったでしょう。狂おしいほど「正義」や「善」を、しかも論理的に、求めないではおれなかったのでしょう。それが、プラトンにとってのフィロソフィア(知を愛し求めること)[*1]だったのだと思います。奴隷が存在したポリスの枠内ではありますが。

 

◆「哲人政治」は不可能でしょう。でも、プラトンが考えた、政治における「正義」も不可能なのでしょうか? 紆余曲折を経ながらも、政治・経済思想(たとえば社会契約説や自由主義経済思想、社会主義思想)と政治制度(たとえば議会制や三権分立制、憲法制定)の両面で、「正義」の探究は続いてきたと思います。近世以降は、それが政治に関するフィロソフィアでした。 

 

◆人類は、おびただしい血を流しながらも、民主的な諸制度を創ることで、「正義」に近づく道を模索してきました。それは、イギリスやフランスの歩みに典型的です。どちらの国も、国王処刑という悲惨な出来事を経験しながら、現在の諸制度に至っています。ただ、民主主義的な諸制度と帝国主義は併存しました。そして、20世紀以降も、悲惨な出来事は継続しました。民主的と言われたヴァイマル体制の中から、ヒトラーが登場しました。「現人神」と議会制度を接ぎ木した「大日本帝国」は崩壊しました。21世紀、三権分立の模範とされてきたアメリカ政治には、トランプが登場しました。中華「人民」共和国は、人民を抑圧する国家になっています。

 

◆このように歴史は行きつ戻りつしてはいますが、それでもなお私たちは、民主主義を手放すわけにはいかないでしょう。民主主義は、人類の財産です。たとえば、自由という概念や議会という制度を、この世界から放逐することはできないでしょう。民主主義は、理念的には、「正義」(近代以降は平等という概念を含みます[*2])と結びついています。「哲人」に替わるものは、多分、民主主義の思想と諸制度以外にはありません。ただそれは、固定したものでなく、人びとの知恵と闘いで絶えず更新されるものです。法の下の平等、自由、国民主権三権分立などを基盤にしながら、民主主義の諸制度をアップデートしようとすること、それが現代のフィロソフィア(知を愛し求め、正義を実現しようとすること)だと思います。哲学という訳語の有効性は、もはや終わりつつあるのではないでしょうか。フィロソフィアの本来の意味を取り戻しながら発展的に考えなければなりません。  

 

新型コロナウイルスによって、全世界の人びとの命と暮らしが脅かされている現在[*3]、しかも経済的格差が拡大している現在(たとえば、毎日新聞[2021/1/10]の記事「低所得ほど打撃大きく」)、「正義」をどう実現すればいいのでしょうか? 仕事や住む所を失う人がいるのに、株価上昇で笑いが止まらない人もいる、そういう世界に私たちは生きています。「パン」や「お金」や「治療」をすぐにも欲しい人たちがたくさんいます。困難な課題ですが、いますぐできる具体的な「正義」は、政府が所得補償を徹底して行うこと、医療を徹底して支えること、それ以外にはないでしょう。コロナ禍でのフィロソフィアは、一人一人の「生きる権利」の保障と結びついたものでなければならないと思います。

 

[*1]英語では philosophy となりました。明治の初めに西周によって「哲学」と訳され、定着してきました。何か厳めしい印象のある語です。しかし、もともとのフィロソフィアには「愛し求める」という情熱的な精神的行為が意味として含まれていました。その情熱的な精神的行為を取り戻さなければ、と考えています。

[*2]たとえば、ルソーの『人間不平等起源論』が出版されたのは、1755年でした。

[*3]驚くべき数字ですが、世界の死者はまもなく2百万人を超えます。累計の感染者数は、今月中に1億人に達するかも知れません。

 日本も「感染爆発」の様相を呈しており、医療現場や保健所は危機に陥っています。死者は4千人を超えました。1日の新規感染者数は、先週初めて8千人近くになりました。