世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★<バイデン大統領就任式>アマンダ・ゴーマンが詩「私たちが登る丘」を朗読しました

※最終更新 2021/01/24  12:50 

 

◆バイデン大統領の就任式が無事に終わり、ほっとしています。

 

◆トランプの動きはこれからも続くのでしょうが、実質的には「トランプは終わった」と言っていいと思います。「連邦議事堂乱入事件」で自爆してしまいました。支持者たちは、「トランプの4年間」が虚構の祭りであったことを、トランプを動かしていたのは希望ではなく単なる権力欲だったことを、知り始めていると思います。もしかしたら、深い失望に陥っている人たちもいるかも知れません。

 

◆バイデン支持者が4年間感じ続けてきた失望や怒り、トランプ支持者が感じている、アメリカの現実への失望や怒り、その両方を受けとめる力が、就任式で朗読されたアマンダ・ゴーマン( Amanda Gorman )の詩「私たちが登る丘」( The Hill We Climb )にはあったと思います。

 

◆新聞は、詩の最後の「光」の部分を中心にが取り上げていましたが、全体を読んでみると、鋭く美しくソウルフルな詩句がたくさんありました。たとえば、次のような部分です。この部分の英語はシンプルで、私でも何とかわかりました。ただ、どう訳すかとなると、難しいです。

  

 ・「私たちは悲しんだ、けれども成長した

   私たちは傷ついた、けれども希望を持ち続けた

   私たちは疲れ切った、けれども試み続けた」

 

 ・「私たちは打ちのめされながらも、美しくなっていくだろう」

 

◆ネット上にはいくつかの訳が出ています。上記の一つ目は拙訳です。二つ目はクリーリエ・ジャポンの訳です。

 

◆詩の最後近くの1行は、 new  dawn と  bloom と free  が使われていて、美しく力強く解放感がありました。ただ、専門家でも日本語に訳すのは難しいようです。ネット上の訳は、さまざまでした。

 

  The  new  dawn  blooms  as  we  free  it

 

 私は勝手に、「花がほころぶように夜が明けていく」というようなイメージで受けとめているのですが。

 

◆詩は「私たちが光になろうとする勇気があれば(光はいつもそこにある)」と結ばれていました。

 

◆「光になろうとする勇気」とはどういうものか、いろいろ考えさせられました。自分にはとてもできないように思いましたが、最初に紹介した、過去形で書かれた詩句(「私たちは悲しんだ~」)は、多分現在形でも書かれるのでしょう。

 

◆あまたの言葉が浮遊し、ほとんどはすぐ消えていく中で、詩を書き、人前で、しかも大統領就任式で朗読するというのは、並大抵のことではありません。「私たちが登る丘」には、混乱や闇を見つめながら、それを乗り越える強い意志、デモクラシーや多様性やアメリカの大地への信頼が述べられていました。「光」に向かおうとする、敬虔な魂から発せられた言葉だったからこそ、人びとの心を打ったのだと思います。

 

◆「人間はみな平等に造られ」と宣言した国アメリカは、それを何とか受け継ごうとしているアメリカの人びとは、きっと「打ちのめされながらも、美しくなっていく」でしょう。そう信じたいと思います。世界も、世界の人びとも。

 

◆日本人も、「丘に登る」ことはできるでしょうか? 「新しい夜明け」に遭遇できるでしょうか? 今はまだはっきりとは感じられませんが、私たち日本人にも「打ちのめされながらも、美しくなっていく」勁さはある、そう思っています。