世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

[コロナ感染第3波・重大局面]歴史の1ページを記録しておきます(2020年末➡2021年初め[追記1/3])

※もっと明るい話題について書きたいところですが、やむを得ません。私が書かなくともいいのですが、歴史の1ページですので、本ブログとしても一応記録しておきます(2021年1月1日のデータまで更新します)。

 

イギリスで新型コロナウイルスの変異種による感染が拡大し(9月には確認されていたというのですが)、あっという間に世界中に広がっています(日本でも確認されました)。感染力が強いそうです。12月29日のイギリスの新規感染者数は、前日より1万人増え、5万人を超えました(53,135人、人口はアメリカの1/5です)。死者は7万人を超えています。なお南アフリカでも、別の変異種が確認されています。

 

★12月29日のアメリカの新規感染者数も17万人を超えています(173,489人)アメリカの累計感染者数は1,930万人を超えていますので、2021年初めには2,000万人を超えるでしょう。死者は35万人に達するでしょう。

 

◆日本政府は12月28日、全世界からの入国緩和措置を停止しました。ただ、入国を緩和していた時期に、すでに多数イギリスからも入国していました。 

 

日本の感染状況を3週間前と比較します。感染拡大は歴然としています。残念なことですが、死者の増加も顕著です。

 

  【2020年】

             全国の新規感染者数    死者数

  12/ 3(木)     2,518人     36人

    / 4(金)     2,442      45

    / 5(土)     2,508      22

    / 6(日)     2,025      31

    / 7(月)     1,522      39

    / 8(火)     2,157      47

    / 9(水)     2,811      43

   (※1週間の合計   15,983人    263人 

   【cf. 11/22~28合計   14,582人    129人】

 

             全国の新規感染者数    死者数

  12/24(木)     3,739人     54

    /25(金)     3,187      64

    /26(土)     3,883      47

    /27(日)     2,949      40

    /28(月)     2,400      51

    /29(火)     3,605      59     

    /30(水)     3,852      59

   (※1週間の合計   23,615人    374人

    /31(木)     4,520      49

  ※初めて4,000人を超えて、2021年を迎えることになってしまいました。

   当然、1月上旬にかけて重症者も増えていくでしょう。

   (31日の重症者数は、前日より13人増えて681人。) 

 【2021年】

   1/ 1(金)     3,247人     49人

   (1日の重症者数は、前日より35人増えて716人。) 

 

東京都の1日の新規感染者数も激増しました。

 

  12/24(木)     888人(木曜日では最多)     

    /25(金)     884 (金曜日では最多)    

    /26(土)     949 (土曜日では最多)

    /27(日)     708 (日曜日では最多)

    /28(月)     481 (月曜日では最多)

    /29(火)     856 (火曜日では最多)

    /30(水)     944 (水曜日では最多)

    /31(木)   1,337 (過去最多)

  ※大晦日に1,300人を超えてしまいました。

   ※全国の累積感染者の4割が東京都です。

    また東京都と大阪府の死者が、全国の1/3を占めています。

  【2021年】

   1/ 1(金)     783人

 

政府には危機感が欠けていました。

 先週末から今週にかけて感染が判明した人たちは、12月中旬に感染した人たちです。菅首相が8人で豪華な会食をしたのは、12月14日夜でした。首相らの危機感の欠如が今の状況をもたらしたと言っても過言ではないと思います。

 以前本ブログでも述べたように(12/16)、「勝負の3週間」と言っていた時(11/25でした、結局単に言葉だけだったのですが)によく検討し、12月上旬には「緊急事態宣言」を発したほうがよかったのです。

 

◆第3波の感染は、きわめて重大な局面を迎えています。感染拡大を鎮静化するためには、強力に人の移動を制限するしかありません。しかし、不思議なことに、政府は「緊急事態宣言を出す状況にはない」と言い続けています。多分、心底から「国民の命と健康を守る」と考えているわけではないのでしょう。分科会も機能しているとは言えません。 

 

このままでは、1月4日(月)以降、東京をはじめ全国で、大変な事態に陥るのではないかと思います。病床数は間に合うでしょうか? 病院や保健所の現場はどうなってしまうのでしょうか? もし「感染爆発➡医療崩壊」が現実のものとなれば、中等症・重症の患者に手が行き届かなくなり、死者は激増します。救急医療も通常医療も危機に瀕してしまいます。守ろうとしている経済も、大きなダメージを受けてしまうでしょう。

 

【追記(2021/1/3)】

◆1月2日(土)午後、1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)の知事が政府に「緊急事態宣言」の発出を要請しました。

◆ところが、政府は逆に「飲食店の営業時間の更なる短縮」を求めました。「時短」では対応できないため1都3県が「緊急事態宣言」を要請しているのだということを知ってか知らずか、政府はまだ小手先の対策に執着しています。感染爆発や医療崩壊が起きてから、やっと危機を認識するのでしょうか?

(思えば、太平洋戦争時の政府も正しい状況認識ができず、「終戦」の判断が遅れに遅れたため、破滅を迎えたのでした。)

◆本来は、大晦日に全国の新規感染者が4,520人になり、東京都の新規感染者が1,337人になったことを受けて、元旦~3日の間に分科会や対策会議を開き、「緊急事態宣言」を出す準備をすべきでした。そのように機敏に動く政府であってほしかったと思います。

◆1都3県の要請を受けた政府は「緊急事態宣言の発出を検討する」とは言っていますが、数日間さまざまの会議を開くのでしょう。その間に、感染状況は悪化の一途をたどってしまうと思います。 

     

🌼植物から見る歴史<その1> 花の栽培・デザイン化・バラ

 

<野の花とイエス

 

◆野の花について述べたイエスの言葉が残されています。「ソロモンの栄華」と野の花を比べた、有名な一節です。

 「野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。」(「マタイによる福音書」6章)

 

◆引用した一節の後、イエスは野の花を「着飾った」と言っていました。やはり、すばらしい感受性の持ち主だったのだと思います。イエスは荒野で活動したような印象がありますが、ナザレにも野の花が咲き乱れていたと思います。イェルサレム周辺とは違い、ガリラヤ地方はやや降水量が多く、今も自然豊かなようです。しかし、「福音書」に野の花の一節があるにもかかわらず、聖母マリアと違って(ブッダとも違って)、人びとが「花々とともにあるイエス」を想像することは困難でした。

 

◆このようなイエスのイメージは、今から思えば、キリスト教徒にとって不幸なことだったと思います。生の喜びを土台とした倫理よりも、パウロ以来、イエスの十字架上の死(「罪の贖い」)を土台とした倫理に重点が置かれてしまいました。しかし、教義上はともかく、人びとの中には、豊饒と生の喜びにつながる「母なる大地の女神」の記憶が脈々と息づいていたと思います。それが、聖母マリア信仰になりました。14世紀半ばのペストの惨禍によって強められた生の喜びは、ルネサンスの進展とともに人びとの中に溢れました。<その2>でも触れますが、花々とともにあることの喜びも溢れました。

 

<野の花とその栽培>

 

◆野の花を愛でる気持ちを、人類はいつから持つようになったのでしょうか? ネアンデルタール人が死者の埋葬時に花を手向けていたとすれば、5万年前ぐらいまでには、花は何らかの精神的価値を持っていたことになります。それは、クロマニヨン人にとっても同じだったと思います。考えてみれば、不思議なことですが、人間は弔意も祝意も花で表してきました。

 

ネアンデルタール人が手向けたのは、埋葬地の周囲の野の花々だったでしょう。では、人間は、いつから花を栽培するようになったのでしょうか? ここ10年ほど、そんな疑問を持ってきました。

 

◆農耕の始まりは、今から1万年前~9千年前と考えられています。メソポタミア北部からシリアにかけての地域で麦の栽培が始まったとされています。多分少し遅れて、他の地域でもそれぞれ独自の農耕が始まっていきました。中尾佐助は「野生植物の栽培植物化」と呼んでいました(牧畜は「野生動物の家畜化」です)。

 

穀物だけでなく、「花の栽培植物化」という歴史もあったはずです。以前、カルチャーセンターの講座で、大人の方たちに、次のように尋ねたことがありました。少しとっぴな質問のように思われるかも知れませんが、私にとっては、「花と人間」というテーマに関わる大事な問いでした。

 

 Q.穀物の栽培と花の栽培では、どちらが早く始まったと思いますか? 次の①~③のうちから選んでください。

  ① 穀物の栽培のほうが早かった。

  ② 花の栽培のほうが早かった。

  ③ 穀物も花も同じ頃栽培が始まった。

 

◆いろいろ調べてもわからなかったものですから、どれが正解ということは言えなかったのですが、①と考える人が多いのではないかと予想していました。しかし、③に手をあげた人が多かったのです。「食べ物の栽培のほうが先に決まっている」と考える人はいませんでした。受講者の人たちも、人間にとっての花の大切さは理解していたのだと思います。

 

◆「人はパンのみで生きるのではない」とすれば、③が妥当な答えなのでしょうか? 今もわかりません。案外②ということもあり得るのではないか、とも思っています。専門の研究者の方が答えを出しているのかも知れませんが。

 

<花のデザイン>

 

◆花は、美的な価値、精神的な価値を持つようになり、人間にとってなくてはならないものとなりました。そのため花は、洋の東西を問わず、文様としてデザイン化・象徴化されることになりました。ロゼッタ文様や蓮華文などです。鶴岡真真弓によれば、人びとは花の文様を「生命力のシンボル」として創り出しました(鶴岡が紹介していた、アッシリア王国のロゼット文様のブレスレットはとても印象に残っています)。

 

◆花や花のデザインは、キリスト教でも仏教でも重要な役割を果たしてきましたし(たとえば「白い百合」、「蓮の花」)、政治的シンボル(たとえば「菊の紋章」)となる場合もありました。19世紀ぐらいから(ヨーロッパで風景画や静物画が独自のジャンルとして確立した頃から)、花や花模様は生命力を表すとともに、精神的豊かさや優しさの象徴ともなって、現在に至っているように思います(たとえば今の日本の「桜」)。

 

<バラとアフロディテ聖母マリア

 

ギリシア神話でも、さまざまな花や植物が語られていました。水仙になったナルキッサスの話はよく知られています。アポロンに追われたダフネは月桂樹になりました。

 

◆愛と美の女神アフロディテ(もともとはキプロス島の豊饒の女神、ローマではウェヌスと呼ばれ、英語ではヴィーナスとなりました) は、サッフォーによって「花の女王」と呼ばれたバラと結びつくことになりました。次のような話が伝わっています。

 

  「愛する美青年アドニスが瀕死の重傷を負った時、アフロディテアドニスを探して茨の中を駆けました。茨でアフロディテから流れた血によって、白バラが赤く染まりました。こうして、それまで白バラだけだったのですが、赤バラも生まれました。」

 

ギリシア、ローマで愛でられたバラは、中世キリスト教の指導者たちによって、忌避されました。愛と美の女神と結びついた花ですし、トゲは「原罪」を連想させたようです。でも、一般のキリスト教徒にとっては、バラは大切な花でした。カトリック教会にとっても、「花の女王」をキリスト教世界に取り込む必要があったようです。とうとう、トゲを描かないという条件をつけて、バラをキリスト教世界に取り入れました。赤バラを聖母マリアの慈愛の象徴としたのです。中世には、聖母マリアの「謙譲を表すスミレ、純潔を表す白ユリ、慈愛を表す赤バラ」と言われました。

 

イスラーム世界のバラ>

 

◆一方、イラン(7世紀後半にイスラーム圏に入りました)のペルシア語世界でも、バラが称えられました。13世紀の詩人サーディ(『薔薇園』)や14世紀の詩人ハーフィズの詩が知られています。たとえばハーフィズは、「いま花園では薔薇が無から生まれ」と、バラに最大の賛辞を贈っていました。バラの文化は、ヨーロッパだけでなく、イランにも根付いていたのです。

 それは現在も変わらないようです。澁澤龍彦は次のように書いていました。

 

 「昔のモスクを近代的に改装した、古めかしく豪華なイスパハーンのホテルの中庭で、私は西瓜のように大きな、中身が黄色くて甘いメロンを食べた。虻の羽音が聞えてくるほどしんとした真昼の中庭には薔薇の花がいっぱいに咲きみだれていて、ふと目をあげると、ホテルのすぐ隣りの神学校の、彩釉タイルの緑色のドームが空にくっきりと浮かびあがって見える。こんなところに一年ばかり、ぼんやりと暮らしてみたらどうだろうと私は考えたものだ。」

 

◆バラの香りの一つに「ダマスク」がありますが、この名称はシリアのダマスクスから来ています。伝えられるところによると、十字軍の騎士が(もしかしたら、物資や兵士を輸送していたイタリア商人かも知れませんが)シリアから、この香りのバラをヨーロッパに持ち帰ったのだそうです。それ以来、「ダマスクの香り」と言われています。中世ヨーロッパのゴシック様式の大聖堂に見られる「薔薇窓」も、イスラーム建築が起源だという説があります。

 

◆バラや庭園を通して、ヨーロッパ世界とイスラーム世界の関わりを見直すこともできるのではないか、と思っています。

 

 【参考文献】

田中宏『花と人間のかかわり』(農文協、2005)

・『新約聖書(聖書協会共同訳)』(日本聖書協会、2018)

中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書、1966)

鶴岡真弓『阿修羅のジュエリー』(理論社、2009)

・呉茂一『ギリシア神話』(新潮社、1969)

若桑みどり『薔薇のイコノロジー』(青土社1984

澁澤龍彦『フローラ逍遙』(平凡社ライブラリー、1996)

 

 

★「正解を求めず耐える力」が必要?【 津田大介の論壇時評の危うさ 】

 

◆2020年12月の論壇時評(朝日新聞)で津田大介は、「ネガティブ・ケイパビリティ」について書いていました。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」のことだそうです。この能力の必要性を、「寛容」につなげながら、津田は論じていました。

 

◆もっともな意見だとは思います。ただ、何度読んでも、腑に落ちないものが残りました。いろいろと新しいカタカナ語を使っていますので、何か先端的な議論のように見えてしまいます。しかし、あえて古典的な語を使えば、結局津田は「中庸」を論じているのです。村上陽一郎がコロナ禍について述べた「ネガティブ・ケイパビリティ」という語を広範囲に当てはめようとしたため、津田は「中庸」を説く「道学者」のようになってしまいました。

 

◆変動する時代の渦中で考え方の変革が求められる時、「ネガティブ・ケイパビリティ」という語は非常に保守的な働きもすることを、津田には考えてほしかったと思います。たとえば、「ネガティブ・ケイパビリティ」を「現状を受け入れ、忍従する力」と受けとめることも可能です。津田の考え方は全体として消極的で、「何が正解かはわからない」という相対主義的な方向に傾斜しています。このような思考は、無差別な「寛容」という考え方の誘惑に抗し切れません。「何が正解かはわからないのだ、批判は差し控えよう」という考え方にもつながっていきます。一つの語を、ある文脈から切り離して安易に普遍化しようとすることは、とても危険なのです。

 

◆津田が書いているのは「時評」ですが、いったい何のための「時評」なのかと思ってしまいます。批評家が、新型コロナウイルスの感染拡大のさなかにあって、人びとに「正解を求めず耐える力」を呼びかけることは、はたして適切でしょうか? すでに、人びとは耐えています。耐え続けています。「正解を求めること」は、否定されるべきではありません。「正解を求めながら、政府の対応に怒り、政府を批判すること」は、当然でしょう。

 

◆知識人たちの「ことば」を知的に整理しながら、思想的にニュートラルな装いをまとい、左右どちらからの批判にも対処できるように論じる「時評」を、私たちは求めていません。「ことば」を通して現実にぶつかり、人びとの苦しみを受けとめながら、問題を剔抉するような「時評」であってほしいと思います。

 

◆いま求められているのは、「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」を呼びかけることではないでしょう。私たちは、コロナ禍で、懸命に生活を維持し生き方を模索しています。「耐えながらどうするか」が問われているのです。「困難な事態の中で、知恵を出し合いながら、正解に近づこうとする力」を持とうとしているのです。批評家は、人びとのケイパビリティ(アマーティア・センの言った「潜在能力」をより広い意味で考えています)に思いをはせる、ポジティブな姿勢を持ってほしいものです。津田が最後に紹介していた足立区の出来事は、「寛容」の文脈においてではなく、人びとのケイパビリティが発揮された例として考えるべきだったでしょう。

▼軽く扱われた「医療緊急事態宣言」【新聞の弱まる報道力、人びとに広がる不信・諦め】

 

◆今年の春頃、「ロックダウンをしなくても自粛する日本人はすばらしい」というような論調がありました。しかし、今はどうでしょうか? 自粛要請に応じない人が増えてしまったと思います。北海道や大阪を除いて、市街地への人出は減少しないという状態が続いています。政府が右往左往を繰り返しているため、信頼感が薄れているのでしょう。

 

◆そのような状況の中で、12月21日、日本医師会日本看護協会など9団体が、「医療緊急事態宣言」を出しました。移動制限などの強力な対策を政府に呼びかける、切迫した内容のものでした。しかし、新聞各紙の報道はあまり大きなものではありませんでした。来年度予算案の発表と重なったためでしょうか? ネット社会とはいえ、紙の新聞はまだ世論喚起力を持っていると思いますので、たいへん残念でした。

 

◆各紙(私の住んでいる地方の版です。東京新聞は手に入りません。)の本日(12月22日)一面トップの見出しは次の通りでした。

 ・読売   「コロナ克服へ最大予算」

 ・朝日   「吉川元農水相議員辞職

 ・毎日   「吉川元農相本格捜査へ」

 ・産経   「コロナ変異種世界拡散」

 

◆読売が新年度予算案の記事を持ってきていたのは、理解はできます。ただ、一面には、「医療緊急事態宣言」の記事はありませんでした。社会面に簡単に載せているだけです。

 

◆朝日、毎日、産経も、一面に「医療緊急事態宣言」の記事はありませんでした。各紙とも、危機感が足りません。宣言と会見の内容は、社会面で朝日が一応ていねいに紹介していたとは思いますが、それほど大きな記事ではありませんでした。産経は、今の日本のことをトップに持ってくるべきだったでしょう。

 

◆医療関係9団体が共同で「医療緊急事態宣言」を出すのは、よほどのことだと思います。しかし各紙とも、この危機的状況の中で、「医療緊急事態宣言」の重要性を、つかみ切れていませんでした。日本の新聞の報道の力は、落ちているとしか思えません。

 

◆ネットに情報が溢れる中、新聞記者も編集デスクも情報に振り回される時代なのかも知れませんが、何が重要な情報なのかをきちんと判断して記事にしてほしいものです。もしかしたら、現場の取材力が劣ってきているのではないでしょうか? 今までに医療現場や保健所の徹底した取材があれば、「医療緊急事態宣言」を軽く扱うなどということはなかったと思います。今の新聞は、現場の取材記事よりも、記者や識者のオピニオンが多くなる傾向にあります。しかし、現場を徹底的に取材して事実を明らかにし、人びとの生の声をすくい上げること、それが新聞の使命のはずです。

 

◆一方、首相からの、国民への心のこもったメッセージはありません。人びとを鼓舞するようなスピーチをする気持ちも能力もないのでしょう。本音は大人数での豪華な会食に表れてしまいました。残念なことですが、日本人はこのようなリーダーの下で暮らしているのです。人びとの中に失望や諦めが広がっていて、コロナとたたかう気持ちも弱まっていると思います。新聞各紙は、このような現実を取り上げ切れていません。自殺者が増えていますが、人びとの失望や諦めが必ずしも怒りにならないところに、日本社会の危うさを感じます。

 

◆2020年も、今日を含めて10日となりました。今週後半からの感染者数、重症者数、病床使用率がどうなっていくか、そして亡くなる人の数がどうなっていくか、とても心配です。政府の中途半端な政策がこのまま続けば、医療・雇用をはじめ社会全体が、さらに深い傷を負うことになってしまうでしょう。

 

★仏教のふしぎ・その2<大乗仏教・密教>

 

☆その1<初期仏教>の続きになります。

 

☆読んだ文献は限られていますので、私の関心のある内容をメモしたという程度のものです。メモの観点は、おもに次の3つです。

 ① 素人の素朴な疑問から考える。

 ② 歴史の中で考える。

 ③ 他の宗教や思想と比較してみる。

 

<5>初期仏教とは違う大乗仏教が現れたというふしぎ

 

◆出家者の悟りを目指す初期仏教の流れは、上座部仏教へと引き継がれました。上座部仏教は、スリランカからビルマ、タイ、カンボジアベトナムなどに伝わって、現在に至っています。

 

大乗仏教は紀元前後から形成されました。なぜ大乗仏教が現れたか、その理由は詳しくはわかっていないようですが、僧侶集団と在家信者の境界がゆるやかになったことが大きかったようです。「在家のまま修行しても悟りに至れる」という考え方も肯定されるようになりました。

 

◆紀元前後という時期も重要かも知れません。古代インドの統一帝国・マウリヤ朝(前3世紀のアショーカ王は仏教に帰依しました)は前2世紀には滅びました。北西部からはイラン系クシャーナ族が進出し、デカン高原には前1世紀半ばサータヴァーハナ朝が成立します。インドは、大きな変動期に入っていたのです。このような中で、新しい文化が求められたのかも知れません。

 

大乗仏教では、悟りに達した如来(本来はブッダのことです)のほかに、菩薩という仏が重要になりました。菩薩という存在は、もともとは仏伝(ブッダの生涯)から出てきたようで、悟りに達する直前のガウタマがモデルとなっています(仏像の菩薩が宝飾品を身に着けているのは、王族のガウタマを表しているからだそうです)。菩薩は、悟りを約束されながらも人々を救済することに心をくだく存在となり、人びとの信仰を集めるようになりました。

 

如来も菩薩も超越性を帯びるようになりました。紀元1世紀から開始された仏像制作は、超越的な仏への信仰を加速したと思われます。仏像制作の中心的な地方は、ガンダーラとマトゥラーでした。今までは「ヘレニズム彫刻 ⇒ ガンダーラの仏像」と直線的に考えられてきましたが、違った見方もあるようです。もっと広い視野で考える必要があるかも知れません。

 

◆しかも、大乗仏教では、たくさんの経典が新しく書かれるようになりました。「唯一絶対の経典(正典)」という考え方はありませんでした。ブッダの基本の教えが踏襲されていれば、いろいろな修飾が認められ、多数の経典が共存していったのでした。それまでの部派仏教の諸経典に、大乗の諸経典という新しいヴァリエーションが加わったのです。キリスト教の『聖書』やイスラームの『クルアーン』とは異なる考え方です。

 

◆日本でよく知られている『般若経』、『法華経』、『維摩経』などは、いずれも大乗経典です。ただ、次回に触れますが、漢訳というバイアスがありました。「極楽浄土」という発想も、大乗仏教で出てきたものです。

 

◆加えて、如来や菩薩にも、さまざまなヴァリエーションができていきました。「〇〇如来」、「〇〇菩薩」と、複数の仏が信仰されるようになりました。大乗の諸経典と合わせて、仏教はより豊かになったと言えます。「懐が深い」のでしょう。しかし、「いい加減」、「ひどい偶像崇拝」という見方も成り立つとは思います。

 

<6>密教も成立したというふしぎ

 

◆人びとが如来や菩薩に救済を求めるようになりましたので、天変地異からの救い、現世での幸福を求める方向になるのは自然な流れだったと思います。また、インドで宗教として存在するためには、ヒンドゥー教との妥協も必要だったのでしょう。仏教は呪術的な要素を増していきました。6~7世紀に成立した、呪術的な仏教を密教と呼んでいます。

 

大日如来は、密教で考えられた仏です。日本人も馴染んできた、不動明王帝釈天、吉祥天などは、ヒンドゥー教の諸神を取り入れたものです。また阿修羅は、もともとはイランの光明神が起源です。こうして、礼拝する像のヴァリエーションは、ますます増えていきました。

 

◆中国には、最初(紀元前後)上座部的な仏教が、そしてまもなく大乗仏教が伝わりました。遅れて密教も入っていきます。なお禅は、中国で成立したと言われます。

 

密教化した大乗仏教は、7世紀にはチベットに伝わり、やがてチベット仏教となっていきました。

 

<7>インドでは仏教が消滅したというふしぎ

 

◆仏教は、インドではヒンドゥー教に吸収され、イスラーム勢力の北インドへの侵入とともに、消滅しました。13世紀初めのことでした。日本で鎌倉仏教の新しい流れができた頃、インドでは仏教が消えたことになります。その理由を、鈴木大拙は「民衆の生活から離れてしまったからだ」と述べていました。

 

 

【参考文献】

・平岡聡『大乗経典の誕生』(筑摩選書、2015)

佐々木閑『集中講義・大乗仏教』(NHK出版、2017)

籔内佐斗司『ほとけの履歴書』(NHK出版、2020)

・三枝充眞『仏教入門』(岩波新書、1990)

▼【感染拡大危機なのに首相会食】みんな懸命に生きています、でも政治は劣化…

 

◆12月28日からGo Toトラベルは全国で一時停止ということですが、年末までに感染拡大が収まる要素は見当たりません。これからは、1日の全国の新規感染者数が3,000人を超えるのが普通になっていくのではないでしょうか。まもなく、全国の累積の感染者数は20万人を超えるでしょう。入院患者が増加しているだけでなく、中等症・重症の人たちが増えていますから、医療崩壊が現実のものとなってしまうかも知れません。

 

 ◆今まで、政府は経済の急速な回復に重点をおき、有効な感染対策をとりませんでした。そのため感染が急激に拡大し、かえって多額の国債発行を余儀なくされているのです。しばらくは「ゆるやかな経済回復策」と「強力な感染対策」を組み合わせるべきだったと思います。

 

菅首相の無神経で無責任な行動が波紋を広げています。政府や分科会が5人以上の会食を控えるよう提言している中、菅首相みずから8人で会食していたのでした(14日夜、GoToトラベル一時停止表明の直後)。銀座の高級ステーキ店だったそうです。経費は、まさか公費から支出されているのではないと思いますが。連日のように高級店で会食というのが、首相の日常のようです。とても「国民のために働く内閣」だとは思えません。

 

◆富裕層(TVのコメンテーターの人たちも含まれるでしょう)は別でしょうが、普通の市民の多くは高級ステーキ店とは無縁です。懸命にコロナ禍の日々を送っています。職を失った人たち、収入減で苦しんでいる人たちがたくさんいます。必死で店や会社を維持しようとしている人たちもたくさんいます。医師や看護師や保健所職員には、ずっと重い負担がのしかかっています。感染した人たちとその家族は、苦しんでいます。「Go Toトラベル」どころではない人たちもたくさんいたのです。残念ながら、このような人たちを十分に支えられない政治になっています。前首相からも現首相からも、国民の心に響くメッセージはありません。

 

都道府県レベルでもさまざまな対策をとっていますが、限界があります。政府が人の移動を強力に制限しなければ、感染拡大は止まらないでしょう。言葉だけ「勝負の3週間」と言っていた頃(11/25)、危機感を持って大きな決断をすべきでした。その頃決断し、今は緊急事態宣言中であってもおかしくはなかったのです。そうすれば、年末年始には、感染は少し沈静化したと思います。

 

◆「手のつけられない状況で年末年始を迎える」などということがないよう、祈るばかりです。

<新型コロナ感染急拡大>危機です(2週間前の数字と比べてみました)、政府は的確な判断を!【追記あり】

 ※最終更新  12/14

 ※パンデミックという世界史的な出来事の渦中を私たちは生きていますので、本ブログでも取り上げています。現在を直視せずに過去の歴史を学ぶことはできません。

 

新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。何人かの方が言っていたように、これは災害です。世界中を襲っている大災害です。

 

◆週後半の1日の新規感染者数(全国)を2週間前と比べてみます。

 1,000人台 ➡ 2,000人台 ➡ 3,000人台と増加していることがはっきりわかります。

 

               新規感染者

   11/25(水)    1,945人 

      26(木)    2,506

      27(金)    2,530

      28(土)    2,685

    *1週間(11/22~28)の新規感染者数 計 14,582人

 

               新規感染者

   12/ 9(水)    2,811人

      10(木)    2,973

      11(金)    2,796

      12(土)    3,041 

         (初めて3,000人を超えました。)         

    *12/12、東京都の新規感染者数が、初めて600人を超えました。 

    *1週間(12/6~12)の新規感染者数 計 17,325人 

    *1月以来の感染者数の累計   178,384人[12/12現在]

 

重症者・死者の増加が顕著です。

 重症者数は、300人台 ➡ 400人台 ➡ 500人台と増加しています。

 1週間の死者数は、2週間前と比べて2倍になりました。

 

               重症者     死者

   11/22(日)    323人     7人

      23(月)    331      8

      24(火)    345     19

      25(水)    376     21

      26(木)    410     29

      27(金)    435     31

      28(土)    444     14

    *1週間の死者数    計 129人

 

                    重症者     死者

   12/ 6(日)    519人    31人

       7(月)    530     39

       8(火)    536     47

       9(水)    555     43

      10(木)    543     26

      11(金)    554     41

      12(土)    578     27

    *1週間の死者数    計 254人

    *1月以来の死者数の合計   2,583人[12/12現在]

 

◆一昨日述べたように、他の先進諸国に比べて、日本は100病床当たりの看護師数・医師数が極端に少ないのですから、医療が逼迫するのは当然です。中川・日本医師会会長も事態の切迫を訴えてきましたし、尾身・分科会会長も再三にわたって「人と人との接触を減らすべき」と指摘してきました。

 

◆しかし、「勝負の3週間」などと言っていた(11/25)ものの、政府の動きは奇妙なほど鈍いままです。「Go To キャンペーン」の一時中止をせず、及び腰の弥縫策だけ行っているうちに、感染は拡大を続け、医療の逼迫を招いてしまいました。政府は、まるで「Go To 信者」と化してしまったかのようです。

 

◆「Go To」というネーミングにも問題があったと思います。「Go To」政策は、「コロナ禍でも積極的に出かけて大丈夫!」という、国民への強いメッセージになってしまいました。しかし、大丈夫ではなかったのです。

 

◆この危機的な状況の中で、政府はなぜ「人の移動の強力な規制」を行わないのでしょうか? 会議と打ち合わせばかりしていてもしようがありません。「いま何をなすべきか」を的確に判断し果断に実行しなければ、手遅れになってしまいます。「人の移動の強力な規制」とは、新型コロナ感染拡大という大災害の中の「緊急避難」にほかなりません。豪雨や津波と同じく、避難が遅れれば大惨事になってしまうでしょう。経済活動はもちろん大事ですが、感染拡大が続き、各地で医療崩壊が起きたら、経済への打撃は「Go To」の効果を打ち消すほど深刻なものになってしまうと思います。 

 

◆このままでは、今年中に、感染者の累計が20万人を超え、死者の合計が3千人を超えるかも知れません。暗いクリスマス、希望の持てない新年になりそうです。

 

※データを中心に、12/14(月)まで毎日更新しました。

 

【追記 2020/12/14  22:40 】

 さきほど、菅首相が「 Go To トラベルを全国一律に一時停止する(12/28~1/11)」と表明しました。よく決断したとは思いますが、やはり後手に回りました。

 せめて先週末に決断し、12月21日(月)から3週間停止してほしかったと思います。「緊急事態宣言」にまで踏み込んでくれればベストでしたが。

 また、記者会見を行って(前回のような無意味な記者会見ではなく)、今回の方針転換をきちんと説明し、国民に結束を呼びかけてほしかったと思います。総合的な判断力・実行力を持った誠実なリーダー、自分の言葉で真剣に国民に呼びかけられるリーダー、いま日本に求められているのはそういう政治的指導者だと思います。

 今日の重症者は588人で、過去最高となっています。今週中に600人を超えてしまうかも知れません。