世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★仏教のふしぎ・その2<大乗仏教・密教>

 

☆その1<初期仏教>の続きになります。

 

☆読んだ文献は限られていますので、私の関心のある内容をメモしたという程度のものです。メモの観点は、おもに次の3つです。

 ① 素人の素朴な疑問から考える。

 ② 歴史の中で考える。

 ③ 他の宗教や思想と比較してみる。

 

<5>初期仏教とは違う大乗仏教が現れたというふしぎ

 

◆出家者の悟りを目指す初期仏教の流れは、上座部仏教へと引き継がれました。上座部仏教は、スリランカからビルマ、タイ、カンボジアベトナムなどに伝わって、現在に至っています。

 

大乗仏教は紀元前後から形成されました。なぜ大乗仏教が現れたか、その理由は詳しくはわかっていないようですが、僧侶集団と在家信者の境界がゆるやかになったことが大きかったようです。「在家のまま修行しても悟りに至れる」という考え方も肯定されるようになりました。

 

◆紀元前後という時期も重要かも知れません。古代インドの統一帝国・マウリヤ朝(前3世紀のアショーカ王は仏教に帰依しました)は前2世紀には滅びました。北西部からはイラン系クシャーナ族が進出し、デカン高原には前1世紀半ばサータヴァーハナ朝が成立します。インドは、大きな変動期に入っていたのです。このような中で、新しい文化が求められたのかも知れません。

 

大乗仏教では、悟りに達した如来(本来はブッダのことです)のほかに、菩薩という仏が重要になりました。菩薩という存在は、もともとは仏伝(ブッダの生涯)から出てきたようで、悟りに達する直前のガウタマがモデルとなっています(仏像の菩薩が宝飾品を身に着けているのは、王族のガウタマを表しているからだそうです)。菩薩は、悟りを約束されながらも人々を救済することに心をくだく存在となり、人びとの信仰を集めるようになりました。

 

如来も菩薩も超越性を帯びるようになりました。紀元1世紀から開始された仏像制作は、超越的な仏への信仰を加速したと思われます。仏像制作の中心的な地方は、ガンダーラとマトゥラーでした。今までは「ヘレニズム彫刻 ⇒ ガンダーラの仏像」と直線的に考えられてきましたが、違った見方もあるようです。もっと広い視野で考える必要があるかも知れません。

 

◆しかも、大乗仏教では、たくさんの経典が新しく書かれるようになりました。「唯一絶対の経典(正典)」という考え方はありませんでした。ブッダの基本の教えが踏襲されていれば、いろいろな修飾が認められ、多数の経典が共存していったのでした。それまでの部派仏教の諸経典に、大乗の諸経典という新しいヴァリエーションが加わったのです。キリスト教の『聖書』やイスラームの『クルアーン』とは異なる考え方です。

 

◆日本でよく知られている『般若経』、『法華経』、『維摩経』などは、いずれも大乗経典です。ただ、次回に触れますが、漢訳というバイアスがありました。「極楽浄土」という発想も、大乗仏教で出てきたものです。

 

◆加えて、如来や菩薩にも、さまざまなヴァリエーションができていきました。「〇〇如来」、「〇〇菩薩」と、複数の仏が信仰されるようになりました。大乗の諸経典と合わせて、仏教はより豊かになったと言えます。「懐が深い」のでしょう。しかし、「いい加減」、「ひどい偶像崇拝」という見方も成り立つとは思います。

 

<6>密教も成立したというふしぎ

 

◆人びとが如来や菩薩に救済を求めるようになりましたので、天変地異からの救い、現世での幸福を求める方向になるのは自然な流れだったと思います。また、インドで宗教として存在するためには、ヒンドゥー教との妥協も必要だったのでしょう。仏教は呪術的な要素を増していきました。6~7世紀に成立した、呪術的な仏教を密教と呼んでいます。

 

大日如来は、密教で考えられた仏です。日本人も馴染んできた、不動明王帝釈天、吉祥天などは、ヒンドゥー教の諸神を取り入れたものです。また阿修羅は、もともとはイランの光明神が起源です。こうして、礼拝する像のヴァリエーションは、ますます増えていきました。

 

◆中国には、最初(紀元前後)上座部的な仏教が、そしてまもなく大乗仏教が伝わりました。遅れて密教も入っていきます。なお禅は、中国で成立したと言われます。

 

密教化した大乗仏教は、7世紀にはチベットに伝わり、やがてチベット仏教となっていきました。

 

<7>インドでは仏教が消滅したというふしぎ

 

◆仏教は、インドではヒンドゥー教に吸収され、イスラーム勢力の北インドへの侵入とともに、消滅しました。13世紀初めのことでした。日本で鎌倉仏教の新しい流れができた頃、インドでは仏教が消えたことになります。その理由を、鈴木大拙は「民衆の生活から離れてしまったからだ」と述べていました。

 

 

【参考文献】

・平岡聡『大乗経典の誕生』(筑摩選書、2015)

佐々木閑『集中講義・大乗仏教』(NHK出版、2017)

籔内佐斗司『ほとけの履歴書』(NHK出版、2020)

・三枝充眞『仏教入門』(岩波新書、1990)