世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

【バイデン大統領就任式前のアメリカ】160年前の南北戦争を振り返りながら思うこと

 

★バイデン新大統領の就任式が1週間後に迫っています。武装したトランプ支持派が不穏な動きをしています(アメリカが「銃社会」であることをあらためて思い知らされます)。

 

★トランプが登場した時から「南北戦争以来の分断」と言われてきましたので、南北戦争の経過を振り返ってみました。

 

アメリカ合衆国が分裂し、内戦(南北戦争)が勃発したのは、160年前の1861年でした。

 

  1856    カンザス奴隷制反対派と支持派との武力衝突

  1858    リンカン、「分かれた家」演説

  186011月 リンカン、大統領に当選

      12月 サウスカロライナ州、合衆国から脱退

  1861 2月 南部7州、南部連合を結成

       (4月までに11州に=アメリカ連合国

       3月 リンカン、大統領に就任

       4月 南軍の攻撃から南北戦争開始

  1862    ホームステッド法成立

  1863 1月 リンカン、奴隷解放宣言発表

       4月 ゲティスバーグの戦いで北軍勝利

      11月 リンカン「ゲティスバーグの演説」

  1864    リンカン再選

  1865 4月 9日 南北戦争実質的に終結

       4月15日 リンカン暗殺、副大統領ジョンソン昇格

      12月    奴隷制廃止を定めた憲法修正第13条発効

 

▼簡単な年表で、南北戦争前後の出来事を見てみました。リンカン(共和党内の穏健派でした)は、内戦勃発前、「分かれた家」演説( House-Divided Speech )で、「国が争えばその国は存立できない。ばらばらに分かれた家は建っていることができない。」と訴えていました。しかし、南部にアメリカ連合国ができ、独立達成から80年足らずで内戦になってしまいました。

 

ゲティスバーグの戦いでの勝利から北軍優勢になっていきますが、多大の犠牲をともないました。

 「ゲティスバーグで行われた南北戦争最大の戦闘では、3日間をとおして南北両軍の死者は4万6千人にも及んだ。南北戦争は、実際のところ、19世紀、世界に起こったいかなる戦争も上回る、もっとも悲惨で大規模な戦争であったのである。」

 【紀平英作「内戦の嵐をとおして」[『アメリカ合衆国の膨張』(世界の歴史23、中央公論社、1998)所収】

 

 ※南北戦争4年間の死者  63万4千人

    北部側  35万9千人

    南部側  27万5千人

 ※南北戦争の死者は、第二次世界大戦時の合衆国の死者(32万2千人)の2倍でした。

 

アメリカ合衆国は再統合されましたが、戦争終結のわずか6日後、リンカン大統領はワシントンで南部出身の男に暗殺されました。クー・クラックス・クランが結成されたのは1866年でした。

 

ゲティスバーグペンシルヴェニア州です。昨年の大統領選挙でも、ペンシルヴェニア州は選挙全体の帰趨を決する激戦州だったことが思い起こされます。

 

南北戦争奴隷制の是非が争点でしたので、もちろん現在の状況とは違います。ただ、現在も人種問題は、アメリカ社会に影を落とし続けています。多分、現在の最大の争点は「富の偏在」だと思います。しかし、トランプはそれを巧みに利用しながら、それを解決しようとはせずに、権力をふるうことに執着してきました。そして、嘘を積み重ねながら「内戦状態」を作り出してきたのです。

 

★合衆国憲法に基づく選挙制度が、実際の内戦を防いできたのですが、トランプは選挙そのものを攻撃し、先週の「連邦議事堂乱入事件」を引き起こしました。現職の大統領が、憲法を否定したのです。上院の弾劾裁判で有罪とならなくても、退任後、訴追されるべきでしょう。

 

武装したトランプ支持グループが、1月20日の大統領就任式に向け、首都ワシントンだけでなく、全米各地で州政府・州議会などの襲撃を企てていると伝えられています。きわめて緊迫した状況です。かつてクー・クラックス・クランは、南部敗北の直後に結成され、アメリカの歴史に大きな爪痕を残しました。バイデン大統領や民主党に復讐しようとする組織の活動は、しばらく続くと思います。

 

★新しいバイデン/ハリス体制は苦難の船出になることが予想されますが、少しずつでも、アメリカに光明がもたらされますように。