世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★「歴史総合」教科書の検討10【ジャポニスム】

 

■1867年のパリ万博を契機に大きなうねりとなったジャポニスムは、「歴史総合」という科目にふさわしいテーマでしょう。3社だけですが、教科書での取り上げ方を簡潔に比較してみます。

 

◆山川の2冊の教科書(「歴史総合」と「現代の歴史総合」)は、本文ではジャポニスムを取り上げていません。重視しなかったようです。注でなんとか組み入れたような印象を受けます。

 

◆実教の「詳述歴史総合」は2か所でジャポニスムを取り上げています。同社の「歴史総合」も、本文で取り上げています。ただ、前にも述べましたが、「詳述歴史総合」の「ゴッホなど印象派の画家たち」という記述は、かなり古い見方です。現在では、ゴッホはポスト印象派に分類されています(「後期印象派」でもありません)。

 

◆ていねいに取り上げているのは、東書の2冊(「詳解歴史総合」と「新選歴史総合」)です。どちらも、19世紀後半の「生活と文化」という、見開き2ページの特集で、ジャポニスムを取り上げています(タイトルが少し異なるだけで内容は同一です)。特にすばらしいのは、画家の黒田清輝について述べている点です。絵画「湖畔」を載せ、次のような説明をしています。

 

 「黒田清輝は、法律を学ぶために17歳でフランスに留学したが、フランス印象派の絵画に接して画家を志した。」

 

ジャポニスムは「日本の浮世絵などのフランス絵画への影響」と捉えるのが一般的です。実教の教科書も山川の教科書も、そのような捉え方です。しかし、一方で、日本の画家たちはフランスに留学し、印象派以後のフランス絵画に学んでいました。黒田清輝に代表されるように、印象派以後のフランス絵画は明治の洋画へと還流したのです。黒田清輝のフランス留学は9年に及んでいました(1884~93)。

 

◆東書の教科書は、単に「浮世絵のジャポニスム」を説明するだけでなく、建築を含めて(赤坂離宮を取り上げています)、19世紀後半における「日本美術とフランス美術の双方向性」という視座を提供してくれています[*]。「歴史総合」にふさわしい編集だと思いました。

 

[*]この視座から、三浦篤『移り棲む美術』(名古屋大学出版会、2021)が、「日仏美術交流史」を詳細に論じています。まだ読了していませんが、説得力に富むすばらしい著作で、学ぶべきことが無数にあります。