世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

[コロナ禍のメモ]専門家と政府、専門家と私たち

 

◆2月から新型コロナ対策で活動してきた専門家会議が廃止されるそうです。専門家会議の提言には不思議な点もありましたが(たとえば「やむを得ない生活のし方」をまるで新しい文化のように「新しい生活様式」と名付けたり、マスクと手洗いを推奨しながらうがいにはまったく触れなかったりしていました)、熱心にかつ誠実に活動されてきたと思います。

 

◆脇田隆宇座長は「国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ、あるいは作ってしまった」と述べていましたが、専門家会議の廃止については知らされていなかったようです。政府というのは勝手なものです。「出る杭は打たれる」ということなのでしょうか? しかし、専門家会議が前面に出ざるを得なかったのは、政府や官僚たちに十分な能力がなかったからだと思います。

 

◆専門家会議に代わる新組織ができるそうです。感染症以外の専門家も加わるようですが、政府の政策にきちんと物申す人も、選ばれるのでしょうか?  今後、日本の新型コロナウイルス感染症対策は、進化・充実するでしょうか? 「政策は政府が決定するのだ」と強調しているようですが、政府はきちんとした判断能力を持てるのでしょうか?「新組織の性格も結局あいまいになり、政府の政策もまたまた迷走する」というような事態にならないことを願っています。

 

感染症の専門家の間でもいろいろな見解があり、多くの人たちが戸惑ったと思います。クルーズ船対応の杜撰さを指摘した岩田健太郎のような方もいましたが(なぜかネット上からすぐに削除されてしまいました)、TBSの番組で日本のPCR検査数が少ないことを問われて興奮し「(日本は)ポリシーが違うんです!」と力んだ堀賢のような方もいました。岡田晴恵は、連日TV朝日の番組に出演して、バッシングにもめげず、感染対策について多くの提言をしました。(最近は岡田の分析力は低下しているようです。また、いつも小首をかしげる挨拶をしていて、気になりました。)

 

◆また、欧米とアジアの感染状況・危機感の持ち方などが比較されている時、「欧米人は攻撃的で、アジア人は忍従的」という発言をした専門家がいて、驚きました。二木芳人という方です(3日前の昼のTV朝日の番組)。欧米人に比べ、農耕民族のアジア人には強い攻撃性がないのだそうです。21世紀の日本のTVでこのような発言がなされるとは、思ってもみませんでした。昔の誤った見方が、まるで教養の一つのように話されたのでした。辛いです。

 

◆二木にとっては、アジア、特に東アジア地域は、欧米よりも穏やかに見えるらしいのです。今の中国は、内政においても外交においても,、攻撃的でない政策をとっているのでしょう。北朝鮮や韓国は、他国を激しく非難するようなことはしないのでしょう。日本は、他国を侵略したことはなく、今も差別や虐待やいじめのない国なのでしょう。

 

◆1月末以来、ずっと「専門家ってなんだろう?」という疑問を持ってきました。思えば、2011年3月の福島の原発事故の時もそうだったのですが。

 

◆内田麻里香は、「専門家ってなんだろう?」という疑問に答えようとする文章を書いていました(2020.6.25付朝日新聞)。内田は、専門家会議やクラスター対策班のメンバーを、専門家として評価していました。ただ、それだけではまずいと思ったのか、「民主主義社会の一員として専門家の判断に異議申し立てするのは正しい」とも述べていましたので、あいまいさが残りました。後半は「専門家に見える非専門家の存在」に批判の的を絞り、本当の専門家かどうか見極めようと読者に呼びかけて、終わっていました。内田の文章を読んでも、結局、「専門家ってなんだろう?」という疑問は解消しませんでした。専門家とは「深い理解を指す暗黙知を持った人」であると述べ、しかもその「暗黙知」は「言葉を用いて説明することが難しい」というのですから、素朴な疑問が解けないのは当然です。

 

◆専門家の意見だからと言って鵜呑みにはできないことを、痛感してきました。国際情勢なども同じなのですが、複数の専門家の意見を読んだり聞いたりすることが大切なのだと思います。その中で、他の人とも意見交換をしながら、自分なりの判断をするしかないのでしょう。また意見や論点が微妙に変化しながら続いていきますので、半月か1カ月ぐらいで議論を振り返ることが大切だということを、このコロナ禍で学んだように思います。