世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

[コロナ禍のメモ]ピュシスとロゴス:生物学者・福岡伸一の危うさ

 

 朝日新聞(2020.4.3付)の福岡伸一の文章については、すでに3月23日付のブログの【追記(4.3)】で書きました。

 

 4月の文章に、福岡は驚くべきことを書いていました。

  ・「ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら、利他的な行為といえるかもしれない」

  ・「個体の死は生態系全体の動的平衡を促進する」

 

 「❝ウィズ・コロナ❞は当然のことであって、新型コロナウイルスによる個々人の死は、世界の動的平衡につながっている」という考え方が、科学的な真理として提示されていました。人々の苦しみに寄り添う姿勢は、まったく見られませんでした。福岡の「世は動的平衡として常無し」の哲学は、アンチ・ヒューマニズムの相貌を色濃く帯びていたのです。

 

 本日(2020.6.17)の朝日新聞にも、福岡の文章が載っていました。目先を変えてギリシア語のピュシス、ロゴスという語を使っていますが、ほとんど同じ趣旨です。「ピュシス(自然)の前ではロゴス(言葉、論理、理性)は無力である」と述べ、無常観が前面に出ています。

 

 このような諦念は、珍しいものではありません。日本の知識人に数多く見られてきたものです。「若き日から欧米の学問を研究してロゴス探究が一段落し、人生の後半には大いなる自然や日本的無常観に回帰する」というパターンにほかなりません。

 

 ピュシスとロゴスは、対概念ではありますが、必ずしも対立するものではありません。人間は、ピュシスの中に限りないロゴスを探究してきました。また、ロゴスに表れるピュシスを探究してきました。その探究は、これからも続いていくと思います。探究を諦め、「世は動的平衡として常無し」という哲学(ほとんど宗教に近づいています)に安らうわけにはいかないのです。