世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★仏教のふしぎ・その1<初期仏教>

 ※最終更新 2020/11/30 (21:00)

 

☆「仏教って不思議だな」と思うことが時々あります。その不思議さをベースに、仏教について書いてみます。

 

☆ただ、読んだ文献も限られていますので、私の関心がある内容をメモしたという程度のものです。メモの観点は、おもに次の三つです。

 ① 素人の素朴な疑問から考える。

 ② 歴史の中で考える。

 ③ 他の宗教や思想と比較してみる。

 

<初期というのはいつ頃?>

 

◆以前は「原始仏教」という言い方がありましたが、現在は初期仏教で統一されているようです。

 

◆馬場紀寿に従い[*1]、<ブッダが活動した前500年頃から紀元前後の大乗仏教成立前まで>を初期仏教と考えます。ただ、<前3世紀の「教団分離(上座部と大衆部)~約20の部派成立」の前まで>を初期仏教とする考え方もあります。

 

<1>「ブッダは創造神や宇宙の原理を考えなかった」というふしぎ

 

ユダヤ教キリスト教イスラームなどの一神教とは、根本的に違います。多神教というわけでもありません。「万物の根源」という発想もなかったようですので、中国の老子ギリシアの自然哲学者とも違います。

 

◆同時代の中国(春秋時代末期)に生きた孔子の思想(「怪力乱神を語らず」)とは、似ている面はあります。

 

ブッダが「世界の始まりは?」という問いを持たなかったのはなぜなのか、わかりません。ただ、「そもそもの仏教には形而上学的な発想がなかった」ということは、とても重要だと思います。「極楽浄土」という世界も、ブッダが考えたことではありません。

 

<2>「ただひたすら現実を見つめた」というふしぎ

 

プラトンのようにイデアとの対比で現実を見ることはありません。ブッダは徹底して現実そのものを見つめ、私たちの現実を「無常」とか「縁起」という語で、言い表しました。先に述べたように、「神がそのように世界を造られた」というのではありません。ブッダは、「なぜ世界がこのようになったか」は問わずに、「この現実を深く理解しなさい、そのことが苦悩から解き放たれる道なのです」と語ったようです。

 

◆三枝充眞は、仏教の特徴をいくつか挙げる中で、「主体をふくむいっさいを、たえず生滅変化する無常というダイナミズムに漂わせる」[*2]と表現していました。三枝が「ダイナミズム」という語を使っているのはすごいと思います。日本的な「無常というむなしさ」ではないのです。

 

◆現代的な言い方をすれば、「生・老・病・死」という苦しみは「不条理」であり、「それは生の不確実性、無根拠性を露呈するものに他ならない」[*1]ということになります。よくはわかりませんが、ブッダは、無理に生の「根拠」や「意味」を見つけようとするのではなく、「生の不確実性、無根拠性」を穏やかに引き受けることを求めていたのかも知れません。しかし、私たちの心はさまざまのことで絶えず揺れ動きますので(それが「縁起」であり「無常」であり「無我」です)、修行者には「八つの正しい道」の実践という厳しい課題が課せられたのだと思います。

 

<3>「ブッダの教えは口頭で伝承された」というふしぎ

 

ブッダの死後、弟子たちによって教えの内容が確認されました。その教え(ブッダのことば=経[きょう])は400年にわたり、口頭で伝承されたというのですから、驚きです。経典として文字に書かれ、まとめられ始めたのは、前1世紀頃のことらしいです。

 

◆少なくとも400年間、仏教は「声の文化」だったことになります。テクストは、僧侶たちの声で伝承されたのでした。「テクスト=文字」と考える私たちの文化、おもに文章を読んで思考する(ことが良いとされてきた)私たちの文化とは大きく違います。

 

◆多分、経(ブッダのことば)を唱えることで、ブッダその人が僧侶たちに現前していたのでしょう。経が400年間口誦で伝えられたということは(現在でも読経にその名残が見られます)、人間にとっての「声の文化」の重要性を再認識させるものでもあると思います。(「隠れキリシタン」に伝承されてきたオラショを思い出しました。)

 

<4>「部派仏教」のふしぎ

 

◆前3世紀のマウリヤ朝アショーカ王の頃に、僧侶集団は約20のグループ(部派)に分かれました。仏教史の本には「分裂」と書いてあるため誤解しやすいのですが、部派は宗派的なものではなく、学派的なものだったようです。したがって、一つの地域的教団の中に、複数の部派の僧侶がいるというかたちでした。

 

キリスト教の歴史とは異なります。論争はありましたが、僧たちは「教えの唯一性」に拘泥することはなかったのです。したがって、ある部派を異端として排斥するというようなことはありませんでした。ブッダの教えの解釈の多様性が承認されていたということは、とても重要だと思います。佐々木閑は次のように述べています。

 

 『本来一つであったお釈迦様の教えがいくつもに分かれていったことを「よくないこと」と感じる方もいらっしゃるでしょう。しかし、様々な選択肢を含んだバラエティ豊かな宗教になったことで、仏教がより多くの人を救えるようになったと考えれば、逆にプラスととらえることもできるのです。』[*3]

 

 約20の学派に分かれ、「様々な選択肢を含んだバラエティ豊かな宗教になったこと」が、後の大乗仏教を準備したとも言えます。

 

◆各部派の中で口伝の経が整理されていったようです。経は3群にまとめられ、「三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)」と言われるようになります。仏教を歴史的に考えた場合、「部派というフィルターの通らない経蔵と律蔵は存在せず、したがって部派分裂前に成立した経や律には触れることができない」[*4]という点は重要です。

 

◆今日の仏教学者たちは、部派仏教の諸経典を(もちろん大乗経典も)、歴史を超越した「聖なる書」のようには扱っていません。諸経典の比較研究の中から、部派仏教以前の仏教のすがたに迫ろうとしています。

 

[*1]馬場紀寿『初期仏教』(岩波新書、2018)

[*2]三枝充眞『仏教入門』(岩波新書、1990)

[*3]佐々木閑『集中講義 大乗仏教』(NHK出版、2017)

[*4]平岡聡『大乗経典の誕生』(筑摩選書、2015)