世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★フランス第三共和政とライシテ[授業で多角的に考えるために③]

 

◆フランスでは、第三共和政(1870~1940)によって共和政が定着し、国民統合が進みました。しかし、一般に世界史の授業では、その内政面は軽く扱われることが多いと思います(ドレフュス事件は別ですが)。生徒たちも、19世紀のフランスの政体の変遷を理解するのに精いっぱい、という場合が多いのではないでしょうか。

 

◆そのため、政教分離法(1905年)も軽視されがちです。山川の「詳説世界史B」は、政教分離法を本文に記していて良心的ですが、その意義まで教えるのはなかなか大変です。

 

政教分離法(1905年)は、フランス史におけるエポックをなすものです。第三共和政で成立した政教分離(ライシテ)は、現在のフランス(第五共和政)でも継続されています(近年はムスリムとの関係が問題になっています)。また「政治と宗教」は、近現代の日本を考えるうえでも大変重要なテーマです。新科目「歴史総合」でも、取り上げるべきテーマでしょう。

 

◆ここでは、フランスの政教分離(ライシテ)について基本的なことを確認します。また、第三共和政をとらえる視点を紹介します。

 

■ライシテは、現行の世界史教科書では取り上げられていない語です。ライシテにも歴史的な変遷があり、多義的に使われる場合もあるようですが、基本的には次の定義が適切であると思います。

 

 「ライシテとは、国教をもたず一切の既存の宗教から独立した国家が、あらゆる宗派に対して中立の立場をとり、すべての人の信仰の自由と信仰をもたない自由を認める政治原理のことである。」(前田更子[*1])

 

■歴史的には、共和政とカトリック教会の対抗関係の中から、ライシテが成立しました。次のような大きな見方も必要になります。

 

 「ライシテの歴史は古くにさかのぼるが、1789年のフランス革命がやはりひとつの特権的な起点をなす。神授権を賦与された王に代わって市民が主権者となり政治権力を構成するようになった転換こそが、やはり革命の革命たるゆえんであり、宗教に抗して人間の自律と尊厳を勝ち取った歴史と記憶が、共和国フランスのライシテ理解の根幹に横たわっている。」(伊達聖伸[*2])

 

第三共和政には、フランス革命の理念の実現という面があります。ただ、帝国主義の時代でもありました。<共和政、ライシテ、国民統合、帝国主義>をトータルに理解するのは、容易ではありません。とりあえず、次のようなとらえ方が参考になるかと思います。

 

 「第三共和政が長期の体制になったのは、フランス革命でめざされた国家のありようが、この第三共和政で実体化したこと、つまり革命が制度化されたことにもよるだろう。ただし、民衆蜂起や革命の要因がなくなったわけではない。共和政は、一部の保守派の賛同も得て、自身のなかに異なる要素を含み込んだのであり、いわば革命の顕在化を妨げる体制をつくり上げたと考えられる。それはフランス人意識が共有されていく過程と並行して行われ、第三共和政の安定に大きく寄与したのである。」(平野千果子[*3])

 

■平野が述べている「異なる要素」には、カトリック教会も含まれていたと思います。「共和政とカトリック教会というのは、うまくなじむものではなかった」(福井憲彦[*4])のですが、「ライシテを受容していくカトリック」(伊達聖伸[*5])という過程もあったからです。

 

■なお、興味深いことですが、第三共和政における国民統合で象徴的な役割を担うようになったのが、「自由の女神マリアンヌ」であり、スーパー・ヒロインに押し上げられたジャンヌ・ダルクでした。

 

[*1]前田更子「学校と宗教」[平野千果子編著『新しく学ぶフランス史』(ミネルヴァ書房、2019)所収]

   ライシテが公教育から進められたことを簡潔にまとめていて、説得力があります。

[*2]伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』(岩波新書、2018)

   ライシテについて、初めて新書で書かれました。第1章をもう少し整理して書いていただければよかったと思います。

[*3]平野千果子「近代国家の形成と海外進出」[平野千果子編著『新しく学ぶフランス史』(ミネルヴァ書房、2019)所収]

   第三共和政を、帝国主義政策・人種問題を含めて総合的にとらえています。

[*4]福井憲彦『教養としてのフランス史の読み方』(PHP研究所、2019)

   入門書ではライシテやガリカニスムは省略されがちですが、きちんと述べられています。

[*5]伊達聖伸、前掲書