世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★クリミア戦争で看護活動を行った黒人女性[授業で多角的に考えるために②]

 

クリミア戦争(1853~56)で看護活動を行ったフロレンス・ナイティンゲール(1820~1910)はあまりにも有名です。

 

◆日本ではあまり知られていませんが、ジャマイカ出身の黒人女性(正しくはクレオールの女性[父はイギリス人、母はジャマイカ人])メアリ・シーコル(1805~81)もまた、クリミア戦争で看護活動を行いました。

 

◆メアリ・シーコルを取り上げ、植民地や人種差別の問題をはじめとして、探究的な授業をさまざまに展開することが可能です。時間的な制約がある場合は、看護活動を行った黒人女性がいたことだけでも紹介すれば、生徒たちの受け止め方は大きく違ってくると思います。

 

<資料を2つあげてみます。>

 

■「私は第97連隊の多くの将校が負傷したのを見ました。母国ジャマイカでよく知られていた同連隊のために、できる限り世話をしようと腹をくくりました。かわいそうな第97連隊よ! その損失は恐るべきものでした。将校の一人は口をひどく打たれており、急いでその傷口に包帯を巻いてあげました。また喉を負傷した別の将校の手当てもし、さらに、ライフル銃の銃弾でひどく損傷した、もう一人別の将校の手に包帯を巻いてあげました。こうして看護している最中に、ロシア軍が放つ砲弾の雨によってしばしば妨げられました。」【メアリ・シーコル】

 

■「(ナイティンゲールの場合は)看護婦には、医学上の技術や知識以上に、レディとしての資質-女性の美徳として強調された自己犠牲的な献身や従順さ、思いやりなどが求められたのである。これらの資質を、ナイティンゲールは、クレオールであるシーコルに認めなかった。」【井野瀬久美恵

 

【資料の文献】

・『メアリー・シーコール自伝』(飯田武郎訳、彩流社、2017)

井野瀬久美恵大英帝国という経験』(興亡の世界史16、講談社、2007)