世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★「歴史総合」教科書の検討2【ナイティンゲール】

 

◆次の3冊は、なぜかナイティンゲールを取り上げていませんでした。

  ・山川の「歴史総合」

  ・山川の「現代の歴史総合」

  ・東書の「詳解歴史総合」

 

◆「歴史総合」を学ぶ高校1年生は、みなナイティンゲール(ナイチンゲール)という名を知っているでしょう。この疫病と戦争の時代にこそ、ナイティンゲールを「歴史総合」で取り上げてほしかったと思います。

 

◆実教の2冊(「詳述歴史総合」、「歴史総合」)は、ナイティンゲールを取り上げていました。「歴史総合」の記述は、簡潔で要を得ていると思います。しかし、「詳述歴史総合」の記述は問題を含んでいました(後述)。

 

◆ナイティンゲールの歴史的重要性を、私は次のような指摘をもとに考えてきました。

 

 『ヴィクトリア時代ジェンダー市民的公共性を考えるにあたって、フローレンス・ナイティンゲール(1820~1910)とチャリティのことは省けない。ヴィクトリア時代とはナイティンゲール時代でもある。[中略]

 クリミア戦争中(1854~56)の軍の病院における献身的看護が有名だが、むしろ戦後、統計調査にもとづく衛生改革、そして看護教育を推進したことにこそ彼女の功績があった。富裕な個人資産、有力者との人脈、また寄付による「ナイティンゲール基金」をもとに、1860年にテムズ河畔、議事堂の対岸の聖トマス病院に看護婦養成学校が設立された。』

  【近藤和彦『イギリス史10講』(岩波新書、2013)】

 

◆現在の(そして、これからの)歴史教育には、<医療や看護の歴史>という視点も欠かせません。(ここでは詳述しませんが、ナイティンゲールに注目することは、<ジェンダーと階級>について考えるうえでも重要です。)「世界史探究」では触れられているでしょうが、全員が学ぶ「歴史総合」でこそ、近代看護学の始まりを取り上げてほしかったと思います。

 

◆実教の「詳述歴史総合」は「クリミアの天使」というコラムで、ナイティンゲールとメアリ・シーコルを比較していました。メアリ・シーコルを取り上げている点はすばらしいのですが、「2人のうちどちらが本当にクリミアの天使か」というふうに、歴史の見方を矮小化してしまいました。

 

◆メアリ・シーコルについては、ナイティンゲールの歴史的・社会的位置づけとともに、井野瀬久美恵が『大英帝国という経験』(興亡の世界史16、講談社、2007)で詳しく述べていました。メアリ・シーコルを通して、植民地ジャマイカの問題、人種差別の問題なども考えることができますので、彼女の自伝等の史料も提示しながら「世界史探究」で取り上げてほしいものです。