世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★世界史にも通じる、本郷和人『信長』の見方

 

◆サブタイトルが≪「歴史的人間」とは何か≫でしたので、興味深く手に取りました。期待通りの本でした。

 

◆章立ては、次のようになっています。

  序 なぜ、いま「信長」を考えるのか

  第一章 信長と宗教

  第二章 信長と土地

  第三章 信長と軍事

  第四章 信長と国家

  第五章 信長と社会

  終章 歴史的人間とは何か

 

◆教えられることがたくさんありました。日本の古代についても近代についても重要な指摘がありますが、ここでは「歴史的人間」に絞って紹介します。著者は、序と終章で「歴史的人間」について、まとめて述べています。

 

 「卓越した信長の個性が時代を作ったと考えるのではなく、戦国時代に生きた人たちが欲していたことに信長が応えたからこそ、時代を転換することができたのだ。」(序)

 

 『信長のパーソナリティを明らかにすることではなく、時代が求めていた人間がどのように生まれ、戦国時代の分裂状態を治め、次の時代へと「アウフヘーベン」されたかを明らかにすることが重要な課題である』(終章)

 

◆著者は、英雄が歴史をつくるという「英雄史観」を根本から批判しています。一方で、唯物史観にも、民衆を単純に善とする網野史観にも与していません。

 

◆英雄史観は、私たち世界史教員の中にもありました。特に、エピソード中心の物語的な授業では、そういう傾向がありました。ただ現在では、たとえばナポレオンを、英雄として教える教員はほとんどいないでしょう。唯物史観と称しながら毛沢東を英雄として教えることもないでしょう。しかし、古代の人物についてはどうでしょうか? たとえばアレクサンドロス大王などを、無意識のうちに英雄視して取り上げることがないとも限りません。アレクサンドロス大王は、アジアへの侵略者でもあったのですが。

 

◆「歴史的人間」は、時代の中から析出されてくるものでしょう。ただ、歴史的人物の個性・パーソナリティの問題は、どうしても残るように思います。「社会構造の側が一人一人の人間の役割を要請してくる」(終章)のだとしても、歴史の制約を受けた中での「自由意志」というものを完全に否定することは困難だと思うからです。

 

◆本書には、物語的な信長像は描かれていません。ただ、第一章から第五章までの骨太な叙述の中から、信長の戦略や政策だけではなく、そのパーソナリティも浮かび上がってきます。著者は意図しなかったことだと思いますが、このことが本書の歴史書としてのすばらしさの証となっています。

 

本郷和人『信長-「歴史的人間」とは何か』[トランスビュー、2019]】