世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

◆フランク王国の発展【探究的な授業へ④】

 「フランク王国の発展」の授業で、いくつかの工夫をしてみました。少しでも「考える授業」にするためです。

 

 通常の授業では行わないような解説や質問をいくつかしてあります。★印をつけてあります。※印の部分では、なぜそのような解説や質問をしたのか、述べています。

 

■まず、フランク王国ローマ・カトリック教会の結びつきの強化を、次の3段階で説明します。

 1 クローヴィスの改宗

 2 ピピンの寄進

 3 カールの戴冠

 

■1における解説・質問

 

 ★①「フランク王国内の住民の多くは、すでにカトリックでした。」「どうして、住民の多くがカトリックになっていたのですか?」

  ※クローヴィス王がカトリックアタナシウス派)になって、住民にそれを広めたわけではありません。カエサルガリア征服から、すでに500年以上の月日が流れています。ローマ化したガリアにフランク人が移動してきたわけです。したがって、クローヴィスは、住民の宗教を選ぶことによって、スムーズな統治を行おうとしたわけです。

 

 ★②「資料集に載っているクローヴィスの改宗の絵を見てください。」「この絵で、何か不思議に思うことはありませんか?」

  ※クローヴィスがランスの司教から洗礼を受けている場面を描いた絵です。クローヴィスは裸で、風呂桶のようなものに入っています。そこに注目させ、12世紀ごろまで、洗礼は全身を水に浸すというやり方であったことを説明し、現在の洗礼との違いを確認します。

  ※なお、ランスという地名にも注意を喚起しておきます。のちに、歴代のフランス王はランスで戴冠式を行うことになります。ジャンヌ・ダルクのところでも出てきます。

 

2における解説・質問

 

 ★①ラヴェンナという地名に注意させます。

  ※東ローマ皇帝ユスティニアヌスと妃を描いた有名なモザイク画があるのは、ラヴェンナサン・ヴィターレ聖堂だからです。授業では、このあとすぐに出てきます。

 ★②ピピンは、初めて教皇から塗油を受けた王であることを説明しています。ここでは、次のような振り返りをしています。「塗油とは額などにオリーブ油を塗る儀式ですが、古代ユダヤで<油を注がれた者>という表現がありました。<油を注がれた者>をヘブライ語で何と言ったのでしたか?」

  ※<メシア>(=キリスト)を確認したあと、塗油が広く「神の祝福を受けた特別な者」になされたことを説明します。王が塗油されることで、王の権威が格段に高まりました。

 

3における解説・質問

 

 ★①カールの戴冠の意義を「ラテン・キリスト教世界」の確立であると説明しています。

  ※「ラテン・キリスト教世界」という用語は、「ギリシア正教の世界」と区別して西ヨーロッパ世界を理解するうえで、非常に有効です。第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領して建てた国の名称(ラテン帝国)も理解しやすくなります。

 ★②カール大帝という呼び方と同時にシャルルマーニュという呼び方も紹介しています。「カールは何語の人名ですか? シャルルマーニュは何語だと思いますか?」

  ※一応ドイツ語とフランス語を黒板に書きます。ドイツにとっても、フランスにとっても、フランク王国が歴史的に重要であったことから、二つの呼び方が使われてきたことを説明します。

  ※なお、カール大帝はゲルマン語を話していたと考えられていますが、多くの住民が話していたラテン系のことば(これがのちのフランス語の土台になります)も理解していたようです。バイリンガルだったかも知れません。

 ★③地図で、カール大帝の勢力圏に着目させています。「イベリア半島の北部と勢力圏の東のはじをよく見てください。」イベリア半島の北部については、『ローランの歌』を出して、説明します。「東はじは、現在の何という国々のあたりですか?」

  ※オーストリアチェコ、スロヴァキア、ハンガリークロアチアを確認します。チェコは別ですが、これらの国々では現在もカトリックの信者が多いことを伝えています。このことは、この地域の近現代史を考えるうえでも、きわめて重要です。