世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★困難な令和の時代に天皇制は?:NHKスペシャル「日本人と天皇」

 

◆平成最後の日(2019年4月30日)に、内容の濃い番組が放送されました。NHKスペシャル「日本人と天皇」。さまざまの立場からの反応が予想される中、公平性を損なうことなく、天皇制の課題(=私たちの課題)を浮き彫りにしていたと思います。

 

◆番組は、歴史を振り返りながら、大きく二つのことを提起していました。

 ① 天皇即位の儀式の宗教性(神道および仏教)

 ② 昭和天皇の弟・三笠宮が提案した女性天皇の可能性

 

◆①は、研究者の間では論議がありましたが、一般にはあまり直視されてこなかった事実です。憲法に定められた「政教分離」との関係が問われていました。「三種の神器」など、神話に関わる問題もあります(*)。今年10月には「即位礼正殿の儀」が、11月には「大嘗祭」が行われる予定ですので、今後も議論が続くと思われます。

 

 (*)「天皇制にまつわる前近代的遺制」と片付けるのは簡単です。ただ、日本人の精神風土の根幹にも関わっており、非常に難しい問題です。このような問題は、実は、日本に限ったことではないと思います。たとえばキリスト教世界も、「アダムとイヴ」、「受胎告知」、「三位一体」などの神話的なものを土台としているからです。

 

◆②は、「安定的な皇位継承」の問題です。言い換えれば、天皇制存続に関わる重大問題ということになります。「歴史的には、側室制度のもとで男系男子が維持されてきた」という、番組の指摘は重要です。象徴天皇の地位は「主権の存する国民の総意に基く」(**)わけですが、今の時代、女性天皇を拒む国民は少ないのではないでしょうか。「日本国憲法」と「皇室典範」の間には、齟齬が生じています。

 

 (**)「日本国憲法」第一条。この条文を、前天皇は深く受けとめられ、行動されてきたと思います。新天皇もそれを継承されるでしょう。天皇元号は不可分ですから、新元号の決定も、この規定に準じて行わなければならなかったでしょう。前天皇も新天皇も「日本国憲法」を非常に大切にされてきたことを忘れてはなりません。

 

◆番組では触れていませんでしたが、平成の時代から、皇后の存在が大きくなったことは注目すべきです。メディアの取り上げ方も原因だと思いますが、天皇だけでなく「天皇・皇后」が「象徴」であるかのような錯覚に陥ることさえあります。昭和の時代に初めて民間から皇太子妃が迎えられ、平成の時代に実質的な象徴天皇制が成立したわけですが、皇后にもスポットライトが当たるという変化は、なぜ起きたのでしょうか? 新皇后にも、スポットライトは当たり続けるでしょう。今後の日本社会を考えるうえでも、重要なポイントになると思います。

 

■一方で、アメリカの歴史研究者ケネス・ルオフが指摘していたように(***)、「世界の象徴君主制との共通性」という視点も、重要だと思います。象徴天皇制は、特殊日本的な部分もありながら、立憲君主制という点では、世界史の中に位置づけられるものです。平成最後の日、皇居前ではBBCのスタッフが取材していましたが、イギリスの人々も、今回の皇位継承に多大の関心を持っています。

 

 (***)「インタビュー これからの天皇と日本」(朝日新聞、2019年4月30日付記事)

 

■もう一つ忘れてはならないのは、「グローバル化の中の天皇制」という視点です。今後、日本社会の中に外国人居住者が増加していきます。日本国籍を取得する外国人も、一定程度増えていくと思われます。新天皇は、そのような社会の中で、「日本国民統合の象徴」となります。その時の「国民統合」は、どのような「ハーモニー」(令和は beautiful harmony と英訳されています)を持ったものになるでしょうか? 非常に大きな課題です。ただし、勘違いしてはなりませんが、それは、新天皇(あるいは新天皇・新皇后)に負わせる課題ではありません。私たち自身が向き合い、解決していくべき課題です。この点を、ケネス・ルオフは少々はき違えていたように思います。

 

◇日本は、いま、歴史的転換期にあり、内政も外交も多くの難題に直面しています。多分、「ビューティフル・ハーモニー」とは異なる事態が起きていくと思います。多くの日本人は、時代の不透明さを、改元フィーバーの中で無意識のうちに忘れようとしているのかも知れません。 

 

◇政治が貧困であれば、最悪の場合、令和は動揺と混乱の時代になり、国力の一層の衰えと国民生活の悪化という事態が生じるかも知れません。その時、天皇・皇后は、専ら「人々の苦しみを慰撫する存在」になってしまうのでしょうか? 平成の時代からそのような傾向が出てきていますが、自然災害時などを除いては、あまり好ましいことではないと思います。

 

◇もし、政治が、みずからは国民生活悪化の責任をとらず、天皇・皇后を、「人々の苦しみを慰撫する」ことで「失政をカバーしてくれる存在」にしてしまう事態が生じたら、きわめて危険です。そのような事態こそ、最大の「天皇の政治利用」にほかならなりません。国民の側も、問われています。もし、主権者としての活力をなくし、天皇・皇后にひたすら「癒し」を求めるようになったら、衰退を食い止めることなどできないでしょう。

 

◇最悪の事態を考えながらも、日本が歴史の中で幾多の困難を乗り越えてきたことを、思い返しています。私たちの間にある「令和への期待」は、今はまだ他力本願的な淡い希望かも知れません。しかし、やがて、「新しい時代を切り拓く力」に転化するはずです。動揺や混乱は起こるかも知れませんが、それを乗り越える力は、まだ日本人にあると思います。

 

◇新天皇・新皇后は(もしかしたら愛子さまも)、動揺や混乱の先の「新しい時代」の「象徴」となっていくのではないかと思っています。それが10年後か、もっと先かは、わかりませんが。