世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

【 ロゼッタ・ストーンから考えるヘレニズム 】<探究的な授業へ③>

 世界史Bの教科書では、山川・東書・実教・帝国とも、ロゼッタ・ストーン古代エジプト史(古王国~新王国)のところで取り上げています。「神聖文字とその解読」に焦点を当てているからです。

 

 しかし、そのため、大きな問題が生じます。

 

 予備校の授業で、ナポレオンやシャンポリオンに触れ、ロゼッタ・ストーンの大きさ・重さを確認した後(歴史の勉強ではこういう点をないがしろにできません)、生徒たちに次のような質問をしています。

 

 「なぜ、ロゼッタ・ストーンギリシア文字が書いてあるのですか? エジプトの石碑なのに。」

 (世界史の授業で「なぜ?」と問うことは、とても大切です。「なぜ?」と問うことは、教師の探究的な姿勢を表しますし、生徒たちの探究的な学びへとつながっていくからです。)

 

 生徒たちは、意表をつかれたように、沈黙します。

 生徒たちの沈黙には、今までの世界史教育の問題点がよく表れている、と言っていいでしょう。

 

 生徒たちの責任ではないと思いますが、「エジプトでギリシア語が使用されていたのは、どういう時代か」と、考えることができません。残念ながら、「エジプトでギリシア語が使用されていた」ということを理解できない生徒がほとんどです。 プトレマイオス朝がヘレニズム王朝であることを知っていても、ほとんどの生徒たちは、ヘレニズム王朝とギリシア文字・ギリシア語を結びつけることができません。つまり、「ヘレニズム王朝とは、ギリシア系の王が支配した王朝だ」ということを理解していないのです。支配層の言語・文字だからこそ、エジプトの文字と並んで、勅令の碑文に記されたのでしたが。

 

 授業では、「エジプトでギリシア語が使用されていたのは、どういう時代でしたか?」と問いかけてから、次のことを説明します。(★高校の授業では、グループごとに話し合わせたり、宿題にしたりできると思います。)

 

 ◆エジプトでギリシア語が使用されたのは、ヘレニズム時代以降であること。

 ◆この石碑は、前2世紀初めのプトレマイオス朝の勅令を記したものであること。

 

 こうして、授業は、ヘレニズム時代の確認になっていきます。

 ヘレニズム文化の中心がプトレマイオス朝アレクサンドリアであったことを思い起こしてもらいます。その際、ヘレニズム文化とはギリシア語文化であることを確認します。

 プトレマイオス朝の碑文のギリシア語がコイネーと呼ばれていることを伝えれば、理解できる生徒もいます。<*>

 プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラギリシア系であることを伝えれば、生徒たちもヘレニズム王朝というものを明確に理解するでしょう。

 

 高校の授業では、ヘレニズムのところでも、ロゼッタ・ストーンに触れるようにしたいものです。また教科書は、ロゼッタ・ストーンが 前2世紀初めのプトレマイオス朝の勅令を記したものであることを、明記すべきです。なお、複数言語・複数文字での表記は、現在の(そして今後の)日本の状況を考えさせれば、生徒たちにもよく理解できると思います。

 

 ヘレニズムの授業をアレクサンドロス大王中心に行うことは、好ましくありません。英雄史観に陥ってはなりませんし(授業では「アジアへの侵略者」という見方も紹介しています<**>)、彼の死後300年近くをヘレニズム時代と呼んでいるのですから。

 

【補足】

 インターネットで調べてもすぐわかりますが、ヘレニズムに関する一般書はそれほど多くありません。ギリシア、ローマという大文字の歴史の間に埋もれてしまっているかのようです。<***>

 しかし、ヘレニズムは、「ギリシアとローマの間の挿話」ではないと思います。また、ヘレニズム文化は前30年のプトレマイオス朝滅亡で終わったわけではありません。(政治的節目と文化的節目は同一ではないのです。)

 ヘレニズムという概念の問題性はあるでしょう。しかし、西はローマ、東はとりわけ小アジア・シリア・パレスチナ・エジプトの都市部にギリシア文化が広まったことは、きわめて重要です。このことをきちんと理解しないと、ストア派哲学のローマ帝政での隆盛(特に1~2世紀)も、ギリシア語による『新約聖書』の成立(4世紀末)も、理解できなくなります。

 私は、ヘレニズムを4世紀まで伸ばして考えています。キリスト教徒による、アレクサンドリアのムセイオン破壊・数学者ヒュパティアの惨殺(5世紀初め)を節目とする見方<****>に賛成だからです。

 もちろん、その後、ビザンツ帝国ギリシア語文化圏として存続したことも重要です。シリア・パレスチナ・エジプトの都市部は、900年以上にわたってギリシア語文化圏であったことを忘れてはなりません。<*****>

 

<*>コイネーは、特別なギリシア語というわけではありません。ギリシア文化がオリエントまで広まった時代の共通ギリシア語というだけのことです。【田川建三『書物としての新約聖書』(勁草書房、1997)】

<**>森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』(興亡の世界史01、講談社、2007)

<***>やや専門的な本を中心とした、岸本廣大による読書案内が『歴史と地理・世界史の研究』(山川出版社)の最新号(259号)に載っていました。

<****>E.M.フォースターアレクサンドリア』(中野康司訳、晶文社、1988、現在はちくま学芸文庫

<*****>7世紀半ば、正統カリフ時代イスラーム政権がビザンツ帝国からシリア・パレスチナ・エジプトを奪い、これらの地域は、イスラーム圏に入っていくことになります。同じ頃、イスラーム政権はメソポタミア・イランにも進出します。イスラーム政権は、ムハンマドの死からほどなくして、文明の先進地域へと入っていったのでした。