世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★東インド会社は重要ですが、そもそも「東インド」とは?

 

●「西インド諸島」という呼称については、ほとんどの「世界史探究」教科書が、「自分たちはインディアスに到達した」というコロンブスの誤解から生まれた語と説明しています。

 

●一方、「東インド」については、ほとんどの教科書に説明がありません。イギリス(イングランド)やオランダの東インド会社の記述においても、説明なしで済ましています。

 

◆この点に気づいた実教出版の『世界史探究』は、コラムで次のように述べています。

 

 「もともとヨーロッパでは、おおむね南アジアより東のアジアを漠然とインド(スペイン語でインディアス)とよんでいた。コロンブスの到達したのがインドでないとわかったあとも、アメリカを西インド、カリブ海の諸島を西インド諸島とよび、本来のインドを東インドとよんだ。」【下線は引用者】

 

◆「東インド」について説明しようとした姿勢はすばらしいのですが、残念ながら下線部は正確ではありません。下線部のような説明では、1853年に浦賀に来航したペリーが「東インド隊司令長官」であったことも、理解できなくなります。

 

◆羽田正の次のような説明が適切だと思われます。

 

 『17世紀初め頃の北西ヨーロッパの人たちの世界認識では、ヨーロッパから船に乗って西に向かうと出会う島や大陸は、新大陸の南端のマゼラン海峡に至るまですべてが「西インド」に含まれていた。カリブ海の島々やアメリカ大陸がこれにあたる。一方、アフリカ南端の喜望峰からマゼラン海峡に至る間に位置する海岸沿いの諸地域はすべて「東インド」と認識された。従って、現在のインド亜大陸だけではなく、アラビア半島やペルシアから東南アジアを経て中国に至るまでのアジア諸地域はすべて東インドの国々ということになる。日本も当然東インドの中に含まれる。当時のヨーロッパの人たちにとっては、ペルシアもインドも中国も日本も皆、同じ東インドに属する地域だったのだ。』

  【羽田正『東インド会社とアジアの海』[興亡の世界史15、講談社、2007](現在は講談社学術文庫)】

 

◆『東インド会社とアジアの海』は、グローバル・ヒストリーという語が日本で一般化する前の時期の、すばらしいグローバル・ヒストリーだったと思います。

 

◆ただ残念なことに、羽田正も著作者に名を連ねている、山川出版社の『新世界史』には、「東インド」の説明はありませんでした。