世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★ウクライナ語について

 

★ロシアの一方的なウクライナ侵略が始まってから、1カ月半が経ちました。残忍な独裁者プーチンに指導されたロシア軍は、ウクライナ各地で都市や町・村を破壊し、一般市民を虐殺するという戦争犯罪を繰り返しています。またロシア政府と国営放送は、平気でウソをまき散らしています。これらの行為は、豊かなロシア文化の伝統を自ら毀損するものです。

 

★ロシアが民主化すれば別ですが、少なくとも今後数十年、ウクライナがロシアと友好関係に入ることはないでしょう。プーチンは、その意図とは正反対に、ウクライナを決定的にEU側・NATO側につかせてしまいました。

 

ウクライナから日本に避難した人びとは、400人を超えています。ポーランドなどで暮らすのとはまったく違う環境を選んだ人たちです。日本語の習得をはじめ、さまざまの支援が必要とされています。報道によれば、ウクライナ語の本が売れているそうです。「ウクライナからの避難者の役に立ちたい」と考える日本人がたくさんいるのでしょう、すごいことだと思います。黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、2002)も増刷を重ねているようです。

 

★以前の記事で紹介した『物語 ウクライナの歴史』、『ウクライナから愛をこめて』(オリガ・ホメンコ著、群像社、2014)以外で、ウクライナ語・ウクライナ文化について書かれた文章を、埃っぽい本棚の中から見つけました。中井和夫氏によって書かれた文章です。30年前の、それほど長くはない文章ですが、よくまとまっていると思いますので紹介します。

 

ウクライナ語について考えることは、ウクライナの歴史と文化について考えることにほかなりません。

 

【資料・ウクライナ語】

 ※中略させていただいた部分もあります。

 

ウクライナユーラシア大陸のほぼ中央に位置し、その中央を「優しきドニエプル」が流れ、「母なる町キエフ」を首都とする、陽光溢れる自然の美しい国である。キエフ・ルーシに始まる古い歴史をもつこの国は、かつては誇り高いコサックの国でもあった。

 この国は栄光の時代も苦難と混乱の時代も経験してきたが、その歴史の中でウクライナ人は、陽気で音楽好きな民族性を失わなかった。

 ウクライナ人は、ウクライナ以外にもアメリカ、カナダ、オーストラリア、それに東欧にもかなりの数が住んでいる。経済的にみてもウクライナは古くから穀倉地帯として知られ、ドンバスなどの重要な工業地帯も抱え、ロシア帝国の、またソ連邦のなかにあって重要な地位を占めてきた。

 ウクライナ語は、ロシア語、ベロルシア(引用者注:ベラルーシ)語とともに、東スラヴ語に属する。したがってロシア語とはきわめて近い関係にある。しかし、アルファベット、発音、アクセント、語彙[*]、文法、正字法などに重要な相違点があり、れっきとした独立言語である。

 ロシア帝国に併合された18世紀以降、ウクライナではロシア語化が進んだ。19世紀に入ると、ロシア政府は1863年と76年にウクライナ語禁止令を発した。しかし、言語にしても宗教にしても上から強圧的に弾圧すれば、生き残るものなのである。19世紀と20世紀を通じて、ウクライナ語はその柔らかく美しい詩的で音楽的な特徴を失わず、古くはシェフチェンコ、新しくはドラチ、パプリチコといった素晴らしい詩人や作家を輩出してきた。

 (引用者注:ロシア革命後、30年代の)スターリン時代に入ると、再びロシア語化への圧力が高まった。20年代に活躍した作家、言語学者は、「民族主義者」としてことごとく粛清されていった。

 ゴルバチョフ政権のペレストロイカのもとで、ウクライナのインテリゲンツィアを中心にウクライナ語の維持・発展のための運動が開始された。89年には「タラス・シェフチェンコウクライナ語協会」が設立され、ウクライナ語の公用語化、学校教育のウクライナ語化、(引用者注:ソ連に削除された「グー」という)アルファベットの復活、ウクライナ語出版物の増加などの要求が出された。

 1990年6月、筆者は西ウクライナの古都リビウのリビウ大学前の広場で行われた「ウクライナ語協会」の集会に参加した。集まった参加者たちはウクライナの古い国旗である青と黄色の二色旗を振り、「独立ウクライナ」の横断幕を掲げていた。マイクの前に立った作家、教授、詩人たちは、口々にウクライナ語の維持・発展を訴え、独立国家ウクライナの実現のために独立ウクライナ語の維持・発展が不可欠である、と語った(引用者注:ウクライナの独立は翌年の1991年)。彼らの結びの言葉は「言語は民族の魂である。ウクライナに栄光あれ。」というものだった。参加者は一斉にこの言葉を繰り返していた。

 【中井和夫ウクライナ語」[朝日ジャーナル編『世界のことば』(朝日新聞社、1991)所収】

 

[*]中井和夫氏は別の文章で、「語彙の点ではポーランド語の影響を大きく受けているようです」と述べていました。近世にポーランド(西スラヴ人)の支配を受けたためです。また、楽器パンドゥーラの弾き語りも紹介していました。【「言語」1991年5月号所収、大修館書店】