世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

♥子守歌/キエフ/マロニエ/聖ソフィア大聖堂♥【『ウクライナから愛をこめて』より】

 

◆『ウクライナから愛をこめて』(群像社、2014)という本を大切にしています。キエフ在住のオリガ・ホメンコさんが日本語で書いた本です。2月24日の記事でも一部を紹介させてもらいましたが、今回も、ウクライナ語の子守歌について書かれた部分とキエフの街について書かれた部分を紹介します。(一部は中略させていただいています。[ ]内は文脈や文の理解のため引用者が補った部分です。)

 

ウクライナ語の子守歌♥

 アナスターシアさんはジャーナリズム学部を卒業して、いまは大学院で歴史学を学んでいる。26歳で、2人の子どもの若き母親。長男は2歳で、次男は6か月。そして母親の仕事と大学院の勉強を両立しながら、大人と子どもの両方のために子守歌のクラスを開いている。

 [ソ連時代はロシア語が「都会語」、ウクライナ語は「田舎語」とされていたが]大学の頃は日常的にウクライナ語を話す人が非常に多くなった。それでも母親学級では、なぜかまだロシア語の子守歌が教えられていた。70年間もソ連時代が続いたのでロシア語が日常生活の中にしみ込んで、子守歌までロシア語になったことを悲しんだアナスターシアさんは、自ら[ウクライナ語の]子守歌を探す活動を始めた。

 赤ちゃんが生まれて初めて聞く歌なのだから、その子の潜在意識の中に残る歌はウクライナ語ではなくロシア語になる可能性が高い。ウクライナ人としてのアイデンティティを強く意識しているアナスターシアさんは、それではいけないと思った。

 いまでは子守歌のクラスには母親たちだけでなく、若いお父さんたちやおばあちゃんたちも訪れている。ウクライナ語で歌って、ウクライナ民族意識を持った子どもを育てたいという思いも少なくない。

 アナスターシアさんに「どうしてこの活動をしているのですか」と聞くと、「自分[たち]の伝統や習慣に興味があって」と恥ずかしそうに答える。こうした個人的な活動のおかげで、若いウクライナ人たちは自分のアイデンティティに気づき、まわりの人々にもそれを気づかせ、自信を与えている。ウクライナの伝統がこれからもちゃんと生き続けていくように、そしてウクライナが盛んになるようにと。

 

ソ連の時代、ウクライナが政治的にも文化的にもロシア支配下におかれていたことがよくわかる文章です。

 

キエフマロニエとポプラ♥

 [19世紀末、ロシア皇帝ニコライ2世のキエフ訪問の時に、マロニエとポプラの木が植えられた。]それで今でもシェフチェンコ大通りにはポプラの木がたくさんあって、少し横道に入るとあちこちにマロニエの木があるのです。たくさんあるマロニエキエフを象徴する花になりました。5月初旬にマロニエの花が咲くと、キエフは甘くロマンチックな香りに包まれます。マロニエの花が咲く季節がキエフの観光シーズンになっています。そして2か月遅れで6月にポプラの綿毛が教会の金色に輝く丸屋根の上の青空に向かって遠く飛んでいきます。その光景は切ないほど美しい。

 

世界遺産・聖ソフィア大聖堂(ソフィア寺院)のマリア像♥

 この教会の一番の宝物は祈祷台にあるマリア像のモザイクです。両手を上げたこのマリア像は高さ6メートルで、小さなモザイクでできていて、とてもきれいです。そのマリア像の[描かれた]壁がキエフに立っている限りキエフは存在すると言われています。

 

※聖ソフィア大聖堂とマリア像の画像については、申し訳ありませんが、他のサイトでご覧ください。11世紀に建立された、ギリシア正教の聖ソフィア大聖堂は、金色と青緑色の丸屋根を持つ、とても美しい教会です。「両手を上げたマリア像」は、西ヨーロッパではあまり見られないと思います。

 

◆理性を失い、残虐さを増すプーチン。ロシア軍によるキエフ総攻撃が近いと言われています。

 

◆いま、オリガ・ホメンコさんはどうしているでしょうか? アナスターシアさんはどうしているでしょうか? ご無事を心よりお祈りしています。