【最終更新 2021/4/18 20:19】
★今年(2021年)は、太平洋戦争開始(1941年)から80年、サンフランシスコ講和条約(1951年)で日本が一応独立を回復してから70年という年にあたります。1951年は、朝鮮戦争のさなかでした。ようやくアメリカ軍の占領は終わりましたが、同時に日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ主導の安全保障体制の中に組み込まれたままでした。
【中華人民共和国成立(1949年)から2年後のことで、台湾には、内戦に敗れ大陸から逃れた蒋介石政権(中華民国)がありました。】
★来年(2022年)は、沖縄返還(1972年)から50年になります。沖縄は27年にわたってアメリカ軍に占領されていました。東京オリンピックが開催された時(1964年)、沖縄はまだアメリカ軍政下にあったのです。なお1972年は、電撃的なニクソン訪中があった年でもあります。
【沖縄返還の前年(1971年)には、中華人民共和国の国連代表権承認、台湾の国連追放という出来事がありました。】
★また、再来年(2023年)は、ペリー艦隊来航(1853年)から170年目にあたります。ペリー艦隊は、香港(1842年にイギリス領となったばかりでした)、上海、那覇を経由して浦賀にやって来ました。那覇に立ち寄ったことは、きわめて重要です。
◆これらの歴史を振り返りながら、きょうの日米首脳会談(菅・バイデン会談)を考えると、非常に複雑な気持ちになります。「バイデン大統領が最初に日本の首相と会ってくれた」などと喜んでいる場合ではありません。日米共同声明からは、日本が、アメリカ主導の「パートナーシップ」の枠組みにより強く組み込まれたように感じられました。
◆共同声明には「台湾海峡の平和と安定」が明記されました。中国は台湾への武力侵攻による「統一」も考えていると言われていますが、もしも中国と台湾の間で武力衝突が起こった場合は、「強固な日米同盟」により日本も当事者にならざるを得なくなるでしょう。「尖閣は守ってください、台湾には関わりません」というわけにはいかないのです。最悪の場合、中国軍によって沖縄の米軍基地が攻撃される可能性もありますし、尖閣諸島が占拠される事態さえ考えられます。
◆米中の対立が激しくなる中で、日本がどういう立ち位置をとるか、きわめて難しい局面を迎えています。日米同盟と日中友好を両立させるという基本線は大切です。ただ、「あいまいな微笑を浮かべながら、アメリカとも中国とも仲良くする」というわけにはいかないと思います。中国との間には、一定の距離が広がらざるを得ないでしょう。日本が政治・軍事・経済・科学技術で「強固な日米同盟」を推し進めれば、中国は陰に陽に、そして執拗に、日本に対して政治的・経済的な打撃を与えようとするでしょう。日本への非難を繰り返しながら、巧みな懐柔策もとるでしょう。ただ、供給網や販売網を考えた場合、日本が中国依存の経済から脱却することはかなり難しいと思いますが。
◆アメリカも、自国の覇権を守るために行動しています。今回は、そのための首脳会談だったと言ってもいいくらいです。アメリカ側は、アメリカの対中国政策の枠組みに日本を引き込むため、周到に準備していたのです。今回の日米首脳会談は、70年を経てもなお、日本がサンフランシスコ講和条約の枠組みに中にいることを明らかにしたと言えます。「新冷戦」と言われる時代だからこそ、その枠組みが強化されようとしているのでしょう。しかし、日本はどれだけ強い意思と戦略を持って、会談に臨んだのでしょうか? 現在の新型コロナ対策と同じく、その場その場の対応に追われ、ジグザグな外交を余儀なくされるのではないかという懸念があります。
◆米中の狭間にあって日本が沈没していくようなことがあってはなりません。しっかりした国家ビジョンと米中に負けない外交力が必要です。日米関係を軸としながらも、「現在の困難な状況を鮮明な外交方針構築の好機とする」という考え方を持つべきでしょう。
◆地政学的に見ても、日本は「海洋国家・列島国家」として生き抜かなければなりません。たとえば(専門家からは笑われると思いますが)、「東アジア列島圏構想」のような大胆なビジョンが必要です。「日本、朝鮮半島、台湾、フィリピン、インドネシアを結ぶラインを形成しながら(オーストラリア、ニュージーランドとも連携しながら)、21世紀半ばには強力な中立国になる」というような考え方もあっていいのではないでしょうか。 未来を切り開くためには、構想力が必要だと思います。