世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

▼真珠湾攻撃 姜尚中の誤った発言

 

▼2021年12月12日放送の「サンデーモーニング」(TBSテレビ)は、80年前の真珠湾攻撃(1941年12月8日)を取り上げていました。出演していた姜尚中のその際の発言は、問題のあるものでした。2点述べます。

 

 ① 明らかな誤り

   姜尚中の発言「(日本軍は)真珠湾より早くマレーシアに上陸したんです。」

 ② 一面的な見方

   姜尚中の発言「主戦場は東南アジアであり、真珠湾攻撃は副次的なものでした。」

 

▼①について

 

 不正確な発言でした。正しくは「イギリス領だったマレー半島に上陸した」です。

 当時マレーシアという国は存在しません。マレーシアという国家が成立したのは1963年です。一般的な評論家ならしかたのない間違いでしょうけれど、政治学者としては失態だと思います。

 なお、真珠湾攻撃より約1時間早く日本軍が上陸した地点は、マレー半島中部のコタバルでした。2か月後日本軍は、同じくイギリス領だったシンガポールを占領しました。

 

▼②について

 

 中国戦線の泥沼化に対処するため、日本が(特に陸軍が)東南アジアを重視したのは事実です。真珠湾攻撃の1年以上前(1940年9月)、ドイツ軍のフランス制圧を見て、日本軍はフランス領インドシナへの進駐を開始していました。これは、1931年の満州事変[*1]以来の「大陸の戦争」の南への拡大でした。真珠湾攻撃は、さらに「海の戦争」にも突き進むことを意味していました。「東南アジアが主戦場」とは言えないでしょう(このように言ってしまうと、中国戦線も「満州国」も見えなくなります)。「広大な陸」に加えて「広大な海」も主戦場となったのです。

 

▼当時の日本の政府・軍(とくに海軍)・天皇にとって、アメリカの存在は大きなものでした。彼らは「米英との戦争に踏み切る」という認識をはっきり持っていました(「英米」ではなく「米英」です)。そのため、ハワイ真珠湾とイギリス領マレー半島をほぼ同時に奇襲攻撃しました。時間差をことさらに取り上げることは、歴史認識を曇らせることになるでしょう[*2]。12月8日朝の臨時ニュースが「アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と述べていたことを思い出すべきです。

 陸軍の幹部は「真珠湾攻撃は副次的なもの」と考えていたかも知れません。陸軍は、アメリカの軍事力と「海の戦争」を軽視していました。しかし、海軍は違いました。海軍はアメリカに打撃を与えたうえで講和を考えていたと言われますが[*3]、全面戦争も覚悟していたと思います。

 

▼私も、太平洋戦争ではなく、「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだとは考えています。しかし、だからと言って、②のように「真珠湾攻撃は副次的なもの」と断定するのは正しくありません。なぜ歴史を総合的に見ようとしないのでしょうか? 姜尚中の発言は、実は、当時の陸軍の誤った情勢認識をなぞっただけのものです。真珠湾攻撃=対米開戦は、やはり、日本が続けてきた戦争のきわめて大きな転回でした。「大陸から広大な海に出ていく戦争」の始まりでした。

 

真珠湾攻撃と東南アジア侵略によって、日本は文字通り「世界戦争」へと突入していきました。しかし、「内地」の国民が苦しい生活を強いられただけでなく(「欲しがりません、勝つまでは」)、海でも陸でも兵站が十分に整えられていませんでした。兵員・物資の補給ルートが貧弱だったのです。無謀な総力戦だったと言うほかありません。

 

[*1]今年は満州事変から90年という年でしたが、残念なことに、真珠湾攻撃ほどメディアは取り上げませんでした。

[*2]姜尚中高嶋伸欣のような一面的な見方(朝日新聞、2021年12月8日付)に引きずられてしまいました。東南アジア侵略をきちんと理解することは大切ですが、それが太平洋戦争を総体として理解することを妨げるようになっては困ります。

[*3]吉田裕「戦争の目的 統一戦略なく分裂」(朝日新聞、同上)