◆イギリスのデビッド・オースチン社が、2023年5月のチェルシー・フラワー・ショー[*1]で発表したバラ「ダナヒュー」は、イギリスの歴史・文化にきわめて大きな一歩をしるしたと思います。ヨーロッパの歴史・文化にとっても、世界の歴史・文化にとっても、大切な一歩になったのではないでしょうか。
◆「ダナヒュー」は、イギリスで人気の黒人園芸家ダニー・クラークのファースト・ネームで、彼に敬意を表して名づけられました。白人中心だったバラの世界が、やっと現実に、「イギリス社会の多様性」に追いついたのです。[*2]
◆バラは、さまざまな人物にちなんで名づけられてきました。たとえば、日本でとても人気のあるピンクのバラ「ピエール・ドゥ・ロンサール」は、16世紀のフランスの詩人ピエール・ドゥ・ロンサールに捧げられたバラです。オードリー・ヘプバーンに捧げられたバラも、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に捧げられたバラもあります。
◆しかし、著名な黒人に捧げられたバラは、ありませんでした。バラには、今まで白人の名まえしか使われてこなかったのです。「長い間バラの美の世界は白人の世界だった」と言っても言い過ぎではありません[*3]。イギリスの歴史で初めて(多分ヨーロッパの歴史で初めて)、黒人園芸家の名まえがバラにつけられたことの意義は、きわめて大きいと思います。しかも、デビッド・オースチン社の「イングリッシュ・ローズ」というブランドに黒人の名のバラが入ったことの意義と影響は、はかり知れません。
◆日本では、フランス語の名まえをつけたバラの新品種を、今でもけっこう見かけます。フランス語のブランド名さえあります。和名をつければいいというわけではありませんが、なんとかならないものかと思います。まるで、日本のバラ業界では、欧米の文化に憧れた「文明開化」の時代がまだ続いているかのようです。ラテン語の「ロサ・オリエンティス(東洋のバラ)」というブランド名(日本のローズ・ブランドです)にも、ずっと疑問を持ってきました。昭和の時代ならわからないでもないのですが、今までにないスピードで文化と文化が混じり合う21世紀において、「オリエント」を強調するのは時代錯誤的です。バラの美の基準をいまだにヨーロッパにおく根強い意識(無意識?)から出てきたブランド名なのでしょう。
◆バラの「ダナヒュー」は、写真でしか見たことはありませんが、淡いアプリコット色のコロンとした花です。日本で出回るのは、来年になるようです。ちなみに来年は、「世界バラ会議」が広島県福山市で開催されます。「ダナヒュー」も話題になるでしょうか? 市井で強く可憐に生きてきた、日本の「ミステリー・ローズ」も話題になるでしょうか? 多様なバラが評価される、多様な人びとに開かれた会でありますように。
[*1]1805年から始まった、王立園芸協会のフラワー・ショーを起源とする、園芸大国イギリスを代表する展示会です。
[*2]朝日新聞GLOBE(2023.7.13)に、「ダナヒュー」を紹介したニューヨーク・タイムズの記事の翻訳が載っていました。
[*3]「日本のバラの父」と言われる鈴木省三は、戦後まもなくヨーロッパで「日本人にバラがわかるのか?」と言われて、悔しい思いをしたそうです。[最相葉月『青いバラ』岩波現代文庫]