世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★一神教/日本の歴史意識/天皇制【佐伯啓思「異論のススメ」(2024年6月)に思う】

 

佐伯啓思は、「異論のススメ スペシャル」(朝日新聞、2024/6/29)で、プーチンの思想に理解を示し、その熱意を擁護した後(侵略者でも「強烈な歴史意識」があれば評価するようです)、一神教の歴史意識と日本を比較して、次のように述べていました(結論部の文章です)。

 

 「幸か不幸か、われわれの歴史意識は、一神教の世界が生み出した強烈な歴史意識とはまったく違っている。日本の歴史意識の希薄さをわれわれは自覚すべきであろう。と同時に、21世紀においてもなお一神教的世界が作り出した歴史観が世界を動かしていることをも知るべきである。」

 

▼このような主張は、「異論」どころか、たびたび聞かされてきました【*1】。問題点は大きく三つあると思います。

 

【*1】政治学者や歴史学者が保守思想の大御所・佐伯啓思をきちんと批判してほしい、と思ってきました。ほんとうは、私のような市井の一歴史教育研究者が出る幕ではありません。しかし、何十年も前から言われてきた俗説がさらに広がるのは困りますので、少し舌足らずになるかも知れませんが、佐伯の文章の問題点を書いておきたいと思います。なお、保守思想だから批判しているわけではありません。佐伯はステロタイプ化した世界の見方・日本の見方しか述べていませんが、そのような文章を読むのは悲しいくらいです。

 

<三つの問題点>

 

▼まず、「一神教の世界」です。「一神教の世界」は、それだけで読者をわかったような気にさせてしまう「魔法のことば」のようです【*2】。しかし、一神教をひとくくりにして論じるのは無理があります。幕末や明治初期ならまだしも、今は21世紀です。「一神教の世界」の中の差異性にこそ目を向けるべきでしょう。当然ですが、キリスト教ユダヤ教イスラームではかなりの違いがあります。また同じキリスト教でも、周知のように、カトリックプロテスタントロシア正教をいっしょくたに考えることはできません。プロテスタント諸派に分かれ、カトリック内でさえ考え方には濃淡があります。イスラームの内部にも、スンナ派シーア派の違いだけでなく、さまざまな濃淡があると思います。

 

【*2】「一神教の世界」という一語で歴史を理解できると考えるのは、あまりに単純です。そのように考えてしまうと、かえって思考が停止してしまうでしょう。「一神教の世界」にも多神教的な(あるいはアニミスティックな)ものが潜んでいることを忘れてしまうでしょう。また、一神教の民族・国だけが領土の争奪をしてきたわけではありません。明治期から太平洋戦争までの日本も、争奪戦の最前線にいました。歴史をさかのぼれば、ローマが多神教の時代に征服戦争を行い帝国を築いたことも、思い出しておく必要があります。

 

▼次に問題となるのは、「日本の歴史意識の希薄さ」という常套句です。この主張は、検証を欠いた俗論と言ってもいいものです。たとえば、幕末から太平洋戦争までの日本で、歴史意識が希薄だったとは到底言えません。近隣諸国への侵略にも、真珠湾攻撃にも、当時の強い「歴史意識」が作動していました。しかも、その中核にはアマテラスを祖先神とする天皇の崇拝という国家的「宗教」があり、その強制力・伝播力は強烈なものでした。佐伯は「戦前の皇国史観」からは「切迫した観念はでてこない」などと述べていますが、もしそうであれば「天皇人間宣言」など必要なかったでしょう。【*3】

 

【*3】多分佐伯は「天皇崇拝は神道と同じく宗教ではなかった」と反論するでしょうが、これは戦前の政府の公式見解(巧みに工夫されたこじつけ)です。百歩譲れば、「限りなく国家宗教に近い信仰」でしょうか。戦死した兵士を「軍神」として祀るという、国家としての「救済」のしかけもありました。

 「戦後日本の歴史意識」も、見かけほど「希薄」ではないと思います。「アマテラス」信仰とアメリカ「信仰」は、象徴天皇を媒介としながら共存してきました。これが、無意識の領域に及ぶ「戦後日本の歴史意識」のベースではないかと考えています。そのベースを作ってきたのは、戦後の保守思想です。この点については、最後に少し踏み込んで書きたいと思います。

 

▼「一神教の世界」だけが「強烈な歴史意識」を持つわけでないことは、第二次世界大戦後のアジアを考えてもわかります。中国や韓国、北朝鮮、台湾、ベトナムなどには「強烈な歴史意識」が続いてきました。佐伯は、このような事実を無視し、都合よく論を組み立てています。また、彼の視野には沖縄が入っていないのでしょう。アメリカに蹂躙されながらアメリカ依存を強いられた沖縄の人びとは、「強烈な歴史意識」を培ってきたと思います。

 

▼三つ目の問題点は、「一神教的世界が作り出した歴史観が世界を動かしている」という主張です。このような主張も、実は何十年も前から続いてきました。「一神教的世界」という「魔法」に引っかからないようにしたいものです。少し考えればわかることですが、このような見方では、中国やインドの台頭を説明できません。

 

<戦前の日本の「強烈な歴史意識」>

 

★明治期から太平洋戦争までの日本の「強烈な歴史意識」は、どのように形成され一応終焉したのでしょうか。きわめて重要なテーマですので、歴史意識の古層(アマテラス)を巧みに取り入れ、猛威をふるった「天皇崇拝」(という「宗教」)について、三つの資料から考えてみます。「日本の歴史意識の希薄さ」というステロタイプ化した見方の虚構性がわかるのではないかと思います。

 

【資料1】耶蘇(キリスト教)の代替としての近代天皇

 

 『抑(そもそ[引用者注])モ欧州ニ於テハ、憲法政治ノ萌芽セルコト千余年、独リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラズ、又タ宗教ナル者アリテ之ガ機軸ヲ為シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ帰一セリ。(仏教や神道にその力はないとしながら[引用者注])我国ニ在ッテ機軸とスベキハ、独リ皇室アルノミ。」

  [憲法草案審議のための枢密院会議における伊藤博文の演説(1888年)]【*4】

 

【*4】渡辺浩『日本政治思想史』(東京大学出版会、2010)

  この引用の後、渡辺は次のように述べていました。

  『「大日本帝国憲法』「告文」の引く「天壌無窮ノ宏バク」を、伊藤博文本居宣長のように信じていたか否かは、大いに疑わしい。しかし、太陽の女神のお告げといっても、耶蘇の話ほど荒唐無稽でもあるまい。「文明国」にはそういうものも必要なのだ。おそらく彼は、心中、そう思っていたのである。』

 

【資料2】昭和天皇の「人間宣言

 

 「朕ト爾等(なんじら[引用者注])国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ[引用者注])トシ、且(かつ[引用者注])日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひい[引用者注])テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」(1946[昭和21]年1月1日)【*5】

 

【*5】現在から見れば、ほとんど笑止千万と言ってもいい内容です。しかし、戦前の天皇制から戦後の象徴天皇制への大転換に際しては、天皇自身のこのような宣言が不可欠でした。それほど、戦前の「天皇崇拝」(という「宗教」)は国民を強力に呪縛していたのです。

 

【資料3】国家・天皇伊勢神宮

 

 「伊勢神宮についてみれば、明治前までは民衆的な性格付けの強い聖地だったのが、明治期には天皇が祖先神の天照大神を祀るという大廟という公的ステータスを獲得し、その方向へと大きく変貌し出した。決定的なのは、1869(明治2)年に明治天皇が実施した未曽有の神宮参拝である。近代の天皇は、前近代で考えられないほど親密な関係性を伊勢神宮と持つに至った。そうした関係は、昭和期に社会を風靡した現御神論を下から支えたものでもある。神宮は戦後一宗教法人となり、国家との関係を法律の上では打ち切られ、大廟という名称も消えた。ただ、神宮の天皇の関係は切断されていないし、天皇天照大神を祖先神として祀る場であり続けてきた。しかも、伊勢神宮の公的性格も21世紀の今にますます強くなってきている。」

  [ジョン・ブーリン「天皇、神話、宗教」]【*6】

 

【*6】島薗進ほか編『近代日本宗教史1』(春秋社、2020)所収

  戦後の天皇制について述べられた部分も、きわめて重要だと思います。

 

<「戦後80年」と「新たな戦前」>

 

◆来年は「戦後80年」【*7】ですが、戦前の日本の「強烈な歴史意識」を振り返ることなしに、「戦後80年」を総括することはできないと思います。佐伯啓思のような「日本の歴史意識の希薄さ」の強調は、戦前の日本の「強烈な歴史意識」をカッコに入れながら、実は、戦争責任の所在をあいまいにする思潮を支えてきました。そして、アメリカ「信仰」に雪崩打つことを(アメリカに政治的・軍事的に従属することを)、むしろ積極的に容認してきました。これが、声高な「憲法改正」の主張の陰に隠れた、保守の「戦後レジーム」ではないかと思います。【*8】

 

【*7】「戦後」は、すでに、明治元年(1868年)から昭和20年(1945年)という期間[77年]より長くなっています。

 

【*8】戦後の、佐伯を含むメインの保守思想がアメリカへの政治的・軍事的従属を選んだ背景には、アジアやヨーロッパの情勢とともに、昭和天皇の戦争責任を免罪し、天皇制存続を選んだアメリカへの恩義があったと思われます。そのため、本来であれば保守思想こそ広島・長崎への原子爆弾投下を批判すべきだったと思いますが(最低でも謝罪を要求すべきだったと思いますが)、それは封印されたまま現在に至っています。残念ながら、封印したのは保守だけではありませんけれど。

 

◆今、大きく見れば、佐伯の主張は、かつての戦争【*9】の責任を不問にしたまま「新たな戦前」(戦争をできる政治・社会体制)を準備する流れに掉さすものとなっています。そのようなかたちでしか、保守思想は生き残れないのでしょうか? いま求められているのは、保守・革新という枠組みを超えた、「いのちへの豊かな感覚」を基盤とするような政治思想ではないかと思っています。

 

【*9】本稿では「太平洋戦争」という語を使ってきましたが、「アジア太平洋戦争」、「十五年戦争」、「大東亜戦争」など、さまざまな呼び方(捉え方)があります。最近、日本の近代史全体をよく理解するためには、日清戦争を起点とする「五十年戦争」という捉え方が必要ではないか、という議論が起きています。