世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

☆ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート(2022)から19世紀後半を思う

★久しぶりにウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのLiveをTVで見ました。90か国以上に配信されているそうです。

 

★会場は、いつものようにウィーン楽友協会大ホールでした。「黄金のホール」と呼ばれているように、室内は金色に輝いていました。画家のグスタフ・クリムトも絵に金色を使っていたことを思い出しましたが、私にはちょっと抵抗感があります。

 

★画面を見ていると、ホールの柱頭が目に留まりました。正面の柱頭はコリント式、一番後ろの柱頭はイオニア式でした。これらの建築様式は世界中に広まっていますが、海に面していなかったオーストリアの人びとにとって、南の地中海世界はずっと憧れだったと思います。

 

★ウィーン楽友協会の建物は、1870年に開館したそうです。ビスマルクのドイツがナポレオン3世のフランスを破った年ですが、50年後(第一次世界大戦後)のオーストリアを思うと、黄金のホールにもワルツの調べにも複雑な気持ちになりました。

 

★当時は、オーストリア=ハンガリー帝国がスタートして間もなくの時期でした。ハプスブルク朝終焉の予兆はあったと思います。変転する国際情勢の中、ウィーンの上流階級の人びとは音楽に慰めを見出していたのでしょう。まるで人びとの不安を打ち消すように、「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世が次々と曲を書いていた時期でした。

 

新型コロナウイルスによるパンデミックは、3年目に入ります。指揮者のダニエル・バレンボイムブエノスアイレス生まれのユダヤ系の方です)は、コンサートの最初の曲に「フェニックス(不死鳥)のマーチ」を選んでいました。2曲目は「フェニックスの羽ばたき」でした。

 

★世界中の人たちの気持ちを鼓舞するような選曲でした。世界はあまりに混沌としていますが、それでも、小さな「羽ばたき」が世界各地で無数に生まれていくのではないかと思っています。