世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★世界史的視野を持った「日本宗教史」・「日本思想史」へ

 

◆少し前ですが、毎日新聞に居駒永幸著『イギリス祭り紀行』(冨山房インターナショナル)の紹介が載っていました[6月5日付]。著者がイギリスの祭りの中に「キリスト教以前の文化の古層、森や樹木の生命力への信仰」を見出し、日本文化との共通性に感動したことが述べられていました。

 

◆高校の「倫理」の教科書[*1]などでは、注連縄を張った大木の写真を載せながらアニミズムについて述べるのが通例となってきました[*2]。浅学ながら、長年「なぜ世界的視野で日本の文化を考えられないのだろう?」と思ってきましたので、『イギリス祭り紀行』の紹介文に拍手をおくりたい気持ちになったのでした。

 

[*1]「倫理」の教科書・資料集は、いまだに和辻哲郎の「風土に基づく三つの文化類型」を載せていて、高校生に文化的偏見を抱かせています。

 

[*2]末木文美士は「しばしば日本古来の宗教はアニミズムとされるが、そのような証拠はどこにもない。逆に、神が憑依するシャーマニズムの形態は、民間も含めて今日まで長く継承されている。」と述べています。[末木文美士著『日本思想史』(岩波新書、2020)、末木の『日本思想史』については 2020/7/12 の書評をご覧ください。]

 

◆ヨーロッパにも「森や樹木の生命力への信仰」があり、それはキリスト教の信仰に取り入れられました。その典型が「クリスマスツリー」であることは言うまでもありません。しかし、高校「倫理」やその土台である「日本宗教史」・「日本思想史」となると、なぜか「森や樹木の生命力への信仰」が「日本文化の特質」になってしまうのでした。

 

◆ただ、ようやく「日本宗教史」や「日本思想史」においても、世界史的視野の必要性が語られるようになりました。読書範囲は限られていますので適切かどうかわかりませんが、2冊を取り上げてみます。

 

【伊藤聡・吉田一彦編『宗教の融合と分離・衝突』(日本宗教史3)】

 

◆シリーズ『日本宗教史』全6巻[吉川弘文館、2020]の中の1冊です。「刊行のことば」は非常にすばらしいものです。編者たち(伊藤聡・上島亨・佐藤文子・吉田一彦)は、日本宗教史叙述の観点として四つあげていましたが、その二つ目は「日本の宗教を世界の文化と歴史の中で考えること」でした。

 

 「宗教史には、日本のことを日本に即して考えながら、世界の中に位置づけることを可能とする奥ゆきと広がりがある。」

 「宗教史は、閉じられた秩序の中で内在的に発展したのではない。本シリーズでは、日本の宗教を日本一国内部の問題としてとらえるのではなく、豊かな文化交流の中で涵養された諸相を明らかにする。」

 

◆第3巻の諸論文の中では、吉田一彦「奈良・平安時代神仏習合」が、「神仏習合」を歴史的に捉えながら(室町時代神道側から使用された語であるという重要な指摘がありました)、「神仏融合の国際比較研究」にまで言及していました。(シリーズの第2巻は「世界の中の日本宗教」と題されていますが、私はまだ読めていません。)

 

佐藤弘夫著『日本人と神』】

 

◆今年、講談社現代新書の1冊として刊行されました。理解することが難しい部分もありましたが、「神-仏という分析概念」を超えようとする、たいへん意欲的な宗教史(精神史)だと思います。

 

◆著者は、序章や終章・あとがきで、日本人の宗教心を探究する際の視座を明確に述べています。

 

 『本書が採用する聖なるものの発見と変貌という問題意識からの考察は、「神仏習合」だけにとどまらず、日本列島の宗教現象を説明する際にしばしば用いられてきたこれらの視座や概念【引用者注:「アニミズム」、「祖霊信仰」、「基層文化としての縄文」など[*3]】の有効性を、改めて問い直すものとなるはずである。それは同時に。「土着の」「固有の」という形容で語られてきた日本の神についても、、その常識を根底から揺さぶるものとなるにちがいない。』(序章)

 

 「日本の神については、神道学・日本史学・宗教学・民俗学・日本思想史など数多くの分野で、膨大な研究の蓄積がある。わたしはそれらの伝統分野における研究成果について深い敬意を抱いており、多くを学ばせていただいた。しかし、学問研究の国際化が進むいま、その成果を海外に開いていく努力が求められている。そのためには日本人にしか通用しない常識を前提として、閉じられた国内の学会で議論するだけでは不十分である。」(あとがき)

 

[*3]時代の変化を無視した、一種の還元主義だと思われますが、基層文化として縄文文化を位置づける考え方は根強くあります。たとえば、山下裕二『日本美術の底力』(NHK出版新書、2020)は、「縄文系か、弥生系か」という驚くべき単純化によって日本美術史全体を説明しています。

 

【「歴史の総合」は先史・古代・中世・近世でも】

 

◆来年度から高校では「歴史総合」の授業が始まります。今までの「世界史」と「日本史」の分断は少しずつなくなっていくでしょう。ただ、総合的で国際的な視座は、近現代史だけでなく、先史・古代・中世・近世においても必須のものとなりつつあります。

 

◆また、本ブログでたびたび述べてきましたが、政治史や社会経済史と文化史の分断も克服されなければなりません。総合的な人文知が、ますます重要になってきていると思います。

 

◆2冊とも、日本の人文学のこれからに注意をはらっていました。固定観念を脱した「日本宗教史」や「日本思想史」が、新たな人文学として私たちの前に現れつつあるのだと感じています。

 

 

 

<つづく>