世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★ブラック? アフリカン・アメリカン?

◆昨年アメリカでは ❝  Black  Lives  Matter  ❞ という運動が大きくなりました。日本では「黒人の命も大切だ」と訳されることが多かったと思います。

 

村上春樹は『私だったら「黒人だって生きている」と訳す』と言っていましたが、「黒人の命も大切だ」には「なんとなく違うんだけど…」という感じがつきまとっていました。ネットで紹介されていた竹沢泰子の意見( ideasforgood.jp )などを参考にすると、「黒人の命を尊重せよ」という訳がいいのかなと考えています。

 

◆1960年代初頭、キング牧師らの公民権運動を支持したスピーチで、ケネディ大統領が「ニグロ( Negro )」という語を使っていましたが、「ブラック」は「ニグロ」よりは差別的な意味合いが少ないでしょう。

 

◆しかし、「肌の色で人間を区別する」という考え方に変わりはありません。肌の色と差別は不可分になって続いてきました。私たち日本人がアメリカで「イェロー(Yellow)」と呼ばれたら、非常に不快だと思います。

 

◆昨年は(今後も続くと思いますが)、短い標語だったので「ブラック」が使われたのだと思いますが、「アフリカン・アメリカン( Aflican  American )」という語のほうがベターだと思います。「アイルランドアメリカ人」や「イタリア系アメリカ人」と同じ使い方だからです。

 

◆ただ、「アフリカ系アメリカ人」という表現でも、問題が残ります。「一滴でも黒人の血が混じっていれば黒人に分類する」というアメリカの古い考え方が根強く残っているため、たとえば、大阪なおみ(全仏オープンでの記者会見拒否が波紋を広げています)は当然「黒人」あるいは「アフリカ系」だということになり、大方の日本人もそう受け止めています。しかし大坂なおみは、ほんとうに「黒人」あるいは「アフリカ系」でしょうか?

 

◆よく考えてみれば、遠い祖先の出自がアフリカだからといって、「アフリカ系」と呼ぶのが適切だとは言えないでしょう。日本人を「縄文系日本人」、「弥生系日本人」、「渡来系日本人」などと分類しないのと同じです。

 

◆数年前、カリブ海のバルバドスから来た「黒人」女性が ❝ I  am  Caribbean ❞と言っていたのを思い出します。この言葉には「カリビアン(カリブ人)」としての誇りも感じられました。大坂なおみの父親はハイチ出身のカリビアンですから、大阪なおみは「カリブ系日本人」あるいは「カリブ系・日系アメリカ人」です。副大統領カマラ・ハリスは「カリブ系・インド系アメリカ人」ということになります。

 

◆私たちの使用している語が、したがって私たちの意識が、いかに「負の歴史」の影響を強く受けているか、あらためて考えさせられています。

 

◆なお、今年1月のバイデン大統領就任式で、詩人アマンダ・ゴーマンは自らの肌を「黒」ではなく「ブロンズ色」と表現していて(❝ Every  breath  from  my  bronze-pounded  chest ❞)、ハッとさせられました。