世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

【昔は今・疫病】まるで太平洋戦争の時のよう?:オリ・パラ中止の決断の遅れ

 

東京オリンピックパラリンピックまで70日余りとなりました。全国に感染が拡大し医療崩壊が起きている中、またワクチン接種が遅れに遅れている中、政府や組織委員会、東京都は、まだ中止の判断を下せないままです。菅首相は「感染対策をしっかり行い、予定通り実施する」と繰り返すだけです。

 

◆太平洋戦争(1941~45)を振り返ると、太平洋の島々やレイテ沖での敗北など、戦争を終わらせる機会は幾度もあったと思います。遅くとも、1945年3月10日の東京大空襲の直後に、「終戦」を決断すべきだったでしょう。そうすれば、沖縄戦も広島・長崎への原爆投下も避けられたのです。決断の遅れが致命的な結果を招いてしまいました。

 

東京オリンピックパラリンピック開催に闇雲に進んでいこうとする政府・組織委員会の姿は、「本土決戦」に闇雲に進んでいこうとした政府・軍部の姿と重なるように思えてなりません。

 

◆政権には「コロナ下においてもオリンピック・パラリンピックを開催したというレガシーをつくりたい」という野望があるのでしょう。そして、その勢いで「衆議院選挙に勝ち、首相を続ける」という戦略があるのでしょう。また、IOCにはIOCの目論見があるのでしょう。

 

◆日本という国と国民を、政権の野望やIOCの利益の犠牲にしていいのでしょうか。

 

◆本当に「国民の命と健康を守る」のであれば、オリンピック・パラリンピックを強行すべきではありません。決断の遅れは、太平洋戦争の時と同じく、致命的な結果をもたらすのではないか、そんなふうにさえ思われます。

 

◆政府や組織員会、東京都には、冷静で総合的な賢い判断が求められています。中止を決断し、経済的損失を含めて、中止後の体制を今からきっちりと準備すること、そこに真のレガシーが生まれてくると思います。