世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

【昔は今・疫病】「いずれにしても」私たちはコロナ収束の希望を持てず、重症者・死者が…(2021/5/8)

「いずれにしても」は、菅首相や西村大臣が多用している言葉です。お二人とも、論点をぼかしたり、ずらしたりすることが得意ですので(それが「政治」だと思っているらしいのです)、「いずれにしても」を多用することになるのでしょう。

 

▼東京都・大阪府兵庫県京都府に出されていた緊急事態宣言は、5/11までの予定でしたが、5/31まで延長されました。愛知県・福岡県をも加えました。政府は「短期集中」などと言っていたのですが、見通しがまったく甘かったのです。反省する風もありませんが。

 

▼「いずれにしても」、菅首相の記者会見を熱心に聞こうとする人は、もうあまりいないでしょう。首相の国会答弁も同じです。

 

▼今日(5/8)の全国の新規感染者数は7,244人でした。7,000人を超えるのは、1/16以来とのことです。大阪府兵庫県は、危機が続いています。東京都や北海道、そして他の数県も、かなり感染者数が増加しています。 

 

大阪府兵庫県を中心に、入院できないまま、自宅や高齢者施設で亡くなっていく人が急増しています。政府はこの事態をどう受けとめているのでしょうか?

 

ゴールデンウィーク中、去年より人出が多かったのは、政府の対策への信頼感が薄れているからでしょう。ワクチン接種も遅れており(2回の接種を完了した人はわずか0.9%というありさまです)、私たちはコロナ収束の希望を持てない状況におかれています。

 

▼この状況でオリンピック・パラリンピックを開催するのは、避けてほしいと思います。強行して内外から非難されることはあっても、中止して非難されることはないでしょう。

 

▼「いずれにしても」政府の対策はいき詰まっており、このままでは、来週も(再来週もかも知れません)全国的に新規感染者数、重症者数、死者数が増えていくでしょう。インドのような状況にはならないという保証はないと思います。

 

今回は私も「いずれにしても」を使ってみましたが、やはりいい言葉ではないことがよくわかりました。