世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★道教のふしぎ ②【[資料:道教と仏教・儒教]そして現代中国】

☆捉えがたい道教をなんとか理解しようとしていますが、自分の力量ではなかなかまとめられません。そこで、今回は2種類の資料を載せながら、若干の感想を述べたいと思います。

 

★大きく見ると神塚淑子道教思想10講』(岩波新書、2020)より】

 

 「研究者の間では道教の全体像は捉えにくいということがよく言われる。実際、道教という言葉が含む内容は幅広く多様である。道教の経典を見ても、哲学的・教理学的なものから諸々の民間信仰的なものに至るまで多彩であり、儒教に近い内容のものもあれば、仏教とよく似た内容のものもある。さまざまな性格のものが混在していて、一体どこに道教の中心があるのかわからなくなりそうなこともある。しかし、多様な要素を包み込みつつも、一つのまとまりとして認識されて、道教は存在している。」

 

◆このように述べながら、神塚は本書で「道教思想の本質」に迫っています。

 

◆ただ、キリスト教においても「諸々の民間信仰的なもの」は生きています。クリスマスやハロウィンはその代表的な例でしょう。聖母マリア崇敬さえ、古代の地母神信仰の流れを受け継いでいます。イスラームについては詳しくわかりませんが、各地域ごとに土俗的な風習と結びついているのではないかと思います。

 

◆日本文化についても、道教と同じような見方ができるかも知れません。神塚の言葉を次のように言い換えても、十分意味が通じるような気がします。「日本文化という言葉が含む内容は幅広く多様である。」「多様な要素を包み込みつつも、一つのまとまりとして認識されて、日本文化は存在している。」神仏習合をはじめとした、日本文化の超「複合性」の理解も、私にとっての大きな課題です。

 

★道観(道教寺院)のようす【蜂屋邦夫「東アジア的思惟と仏教-民衆の信仰に見る」より】

 

 『1988年9月に筆者が西安の八仙宮という道観を訪れたとき、たまたま旧暦の8月15日に当たる日があって、そのようすを参観した。当時、八仙宮は文革中に受けた破壊からまだやっと半分ほど復旧した状態であったが、観前の道には多くの店が並んで紙銭や線香、爆竹などを売っており、人々でごったがえしていた。宮内は、場所によっては身動きもままならぬくらいで、おおぜいの信者が爆竹を鳴らしたり、紙銭や黄表を燃やしたり、勧善歌をうたったり、境内の空き地にところ狭しと線香を立てたりしていた。(中略)

 爆竹は悪鬼や悪運を払い、紙銭は設置されている香炉で燃やして冥界に届け、そこにいる家族の安寧を願うものである。黄表は黄色のザラ紙で、包んだ瑞気ごと燃やして、やはり冥界に届けるのである。場合によっては黄表に字を書くが、筆者が見せてもらったものは「(略)仏に対して経を頌して平安を保つ」などの詩であり、勧善歌は「奪わず、浪費せず、不正の財は取らず、騙さず、父母には孝行、友だちとは仲良く、やましい事はせず、夜中に家を出入りせず」などであった。』【シリーズ東アジア仏教第1巻、高崎直道・木村清孝編『東アジア仏教とは何か』(春秋社、1995)所収】

 

道教寺院の様子が生き生きと描かれていました。道教が単なる不老長寿願望ではなく、倫理的要請を含んだものであることも、よくわかります。

 

◆引用させていただいた部分には、祖先崇拝や「父母には孝行」などの儒教的な内容と「仏に対して経を頌して」という仏教的な内容があります。ただ、ここの「仏」は、道教の神々や道士と観世音などの仏の両方を含んでいます。なお「冥界」については、儒教の祖・孔子は語ろうとしませんでした。

 

道教は、早くから儒教の孝を取り入れていました。一方、もともとの仏教には、祖先崇拝の考え方はありません。しかし、中国で仏教を弘めるには、祖先崇拝を積極的に取り入れる必要がありました。祖先崇拝の考え方を含んだ仏教が、朝鮮・日本にも伝わったのでした。

 

◆蜂屋邦夫は次のようにまとめています。

  「(中国民衆の)信仰を総括すれば、日常の行為としては孝行などの世俗的な道徳を守り、仏や呂祖(仙人)、観音など礼拝の対象となる神格に、死んだ家族の冥界での救済を願い、あわせて自分たちの幸福を願うもの、といってよいであろう。」

 

道教・仏教・儒教が混然一体となった信仰は、現在の中国でどのような意味を持っているのでしょうか? 中国共産党独裁の安全弁の役割を果たしているのでしょうか? 謎です。