世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★17世紀フランスで見落とせない3つのこと(アルザス、ラ・ロシェル、カリブ海)

★一般的な17世紀フランス史に、アルザス地方の併合、ラ・ロシェルの弾圧、カリブ海地域への進出を加えることで、フランスの歴史がより立体的に見えてくると思います。

 

アルザス地方の併合】

 

アルザス地方は、三十年戦争後のウェストファリア条約(1648)でフランスが獲得しましたが、その後の経緯を忘れてはなりません。アルザスの諸侯、諸都市は激しく抵抗し、戦乱となったのです。最後まで抵抗を続けたストラスブールが降伏したのは、1681年のことでした。しかしアルザス語はドイツ語に近いものであり、文化的にはゲルマン世界にとどまり続けていました。

 

◆このことを踏まえないと、独仏戦争後、第一次世界大戦後、第二次世界大戦中、第二次世界大戦後のアルザス地方について理解することが難しくなります。

 

ラ・ロシェルの弾圧】

 

ラ・ロシェルはフランス西部の港町で、ユグノーの拠点でした。同じプロテスタントイングランドとの結びつきも強く、小共和国のような様相を呈していました。ルイ13世枢機卿リシュリューは、これを認めませんでした。ナントの王令は、制限付きでユグノー個人の信仰の自由を認めたものだったからです。王国軍は、1627~28年、ラ・ロシェルを包囲し降伏させました。

 

◆教科書的には、ハプスブルク家に対抗するため、三十年戦争プロテスタント側で参戦したことが重視されます。しかし内政においては、リシュリュー枢機卿としてガリカニスムを守り、ユグノー集団には容赦なかったのです。このことが、ルイ14世のナントの王令廃止(1685)につながっていきます。

 

カリブ海地域への進出】

 

リシュリューの時代に、フランスはカリブ海地域へと進出しました。1635年、マルティニク島とグアドループ島に拠点を築いたのです。ちなみに、この2島は、今もフランス領です。さらに、ルイ14世の時には、サン・ドマング(ハイチ)を領有しました(1697)。フランスが大西洋奴隷貿易の仕組みを整えていくのも、17世紀です。ラ・ロシェルは、サトウキビ・プランテーション奴隷貿易で息を吹き返すことになりました。

 

◆大西洋奴隷貿易やハイチ独立を理解するためには、フランスのカリブ海地域への進出を知っておくことが重要です。なお、イングランドクロムウェル政権)のジャマイカ領有も、17世紀半ばでした。

 

★今回は17世紀のフランスを取り上げてみましたが、広い視野から多角的・総合的に見ることで、歴史はいっそう興味深いものになると思います。

 

<参考文献>

●中本真生子「アルザス」(佐藤彰一・中野隆生編『フランス史研究入門』[山川出版社、2011]所収)

福井憲彦『教養としてのフランス史の読み方』(PHP研究所、2019)

●阿河雄二郎『近世フランスと「外」の世界』(平野千果子編『新しく学ぶフランス史』[ミネルヴァ書房、2019]所収)

増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史Ⅰ』(世界各国史25、山川出版社、1999)