世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

▼[やや長いメモ]平成~令和という時代は…(追記:津田大介、川上未映子の文章に触れて)

※ 最終更新:9/26

 

☆「<世界史の扉をあけると>なのに、どうして今の出来事について書いているのか」という疑問を持たれる方もいるかも知れません。

 

☆過去の出来事をいろいろ調べ、考えることは楽しいものです。ただ、私の場合、過去の歴史の好事家ではありません。

 

☆今を生きる人間の一人であることを強く意識していて、そうであってこそ「過去との対話」(E.H.カー)ができると考えています。いくつかの[メモ]は、そういう気持ちで書いているものです。「今日は明日の歴史」(詩人・長田弘)ですから。

 

◆平成から令和という時代は、どんな時代なのでしょう? 私たちはどんな時代を生きているのでしょう? 日本を船にたとえると、荒波を受けながら、どこに向かって航海しているのでしょうか?

 

◆平成23(2011)年3月の東日本大震災原発災害からは、9年半が経ちました。菅新内閣が発足していますが、新聞報道によれば、復興大臣はなんと9人目です。民主党政権の時代が1人、自民党政権になってからが8人です。8人は、すべて初入閣の人たちでした。まるで復興大臣は、今まで大臣になれなかった人のためのポストであるかのようです。在任期間が1年に満たなかった人も、4人いたそうです。(信じられませんが、「起きたのが東北で良かった」と言った復興大臣までいたのです。この人はまだ国会議員を続けているというのですから、驚くほかありません。)

 

◆大臣として3年、少なくとも2年は真剣に取り組まなければ、中途半端に終わるでしょう。現に、福島第一原発廃炉作業は遅れています。一体いつ終わるのかもわかりません。トリチウムなどを含んだ汚染水は、9年半も放置されたまま溜まり続けています。避難している人は、まだ3万7千人以上います。東日本大震災原発災害は今も続いているのですが、多くの日本人にとっては過去の出来事になってしまったかのようです。

 

元号の変わり目に、『「平成」も悪くなかった、そして「令和」という新しい時代だ』などという雰囲気が広がりました。「時代のせいにするな、自己責任だ」と言われながらも、私たちの多くは、時代の区切りに希望を抱いたのです。でも、もちろん、元号が変わったからといって、日本が良くなるわけではありません。「平成」に起きた、国民の生活水準の低下は、なかなか意識できないだけで、「令和」になっても続いているように思います。

 

◆格差の拡大は、現実です。株で潤っている人たちは、まだ「日本は経済大国」と思っているでしょう。しかし、1人当たりGDPは、世界の中で20位代後半に低迷したままです。非正規雇用の人たちは、平成の時代に増大し続けました。今では、複数の仕事をしている人たちも増えていますし、高齢者もずいぶん働いています。人の心も荒れているのか、各種の詐欺も横行してきました。政治は劣化が甚だしく、言い逃れ、ごまかし、隠ぺいで、時は流れてきました。「日本の美しい桜」さえ、汚されてしまいました。ただ、安倍政権の政治家たちは「国民はすぐ忘れるから大丈夫」と言っていました。実際その通りになっているようです。多くの人びとにとっては家庭や職場という生活圏を守ることが大事なので、政治的現実はあまり見ないようにしてきたのでしょうか。そこに、新型コロナウイルスがやってきました。

 

◆日本は、新型の感染症に対して、備えがまったく不十分でした。2月~5月のことを思い起こせば、明らかです。でも日本人は、寛大なのか、「しかたがない」と思うのか、じっと耐えていて、そのうち別のことに誘導されてしまいます。政府が右往左往し政策もジグザグしたこと、多くの人びとがマスクを確保するのに必死だったこと、医療用のマスクや防護服さえ不足していたこと、国としてPCR検査をたくさん行う能力がなかったこと等々、たくさんの問題がありました。しかし、それらはもう、忘れられたみたいです。それらについて責任を負うべき立場だった人が新首相になったのですが、それでも日本人の多くは、責任を問うわけでもなく、期待を寄せているのです。優しいのか、単にお人好しなのか、流されやすいのか……。

 

◆携帯料金の値下げなどは進めてもらいたいと思いますが、いま緊急に必要なのは、検査・医療体制の強化と経済的支援の強化です。いつ更なる感染拡大が起きるか、わかりません。また、仕事を失ったり、収入が減少した多くの人びとが、苦しんでいます。年収何千万円もある政治家たちは、家賃を払えなかったり、住宅ローンの返済に困ったり、子供の教育費を工面したりする苦しさを、実感できないと思いますが。

 

◆「9年半で復興大臣9人」という現実は、わが国の貧しい政治状況を象徴的に表しています。政治的過ちに優しい日本人たちを乗せて、船はこのまま漂流していくのでしょうか?

 

※【追記、2020.9.24】津田大介の論壇時評[朝日新聞]について

●「論壇」なるものがあるのかどうかわかりませんが、旧い名称がそのまま使われています。

●津田は、いろいろな文章に触れながら、結局、安倍長期政権を「時代適合的」だったと述べていました。「時代適合的」とは便利な言葉だと思います。実際には、「たくさんの問題点を水に流しながら肯定へと限りなく近づく」という態度にほかなりません。そして、『対峙すべきは「アベ」ではなく、「私たち」のあり方だ』と結んでいました。一見自省的に『「私たち」のあり方』を持ってくることで、安倍長期政権は「時代適合的」に免罪されます。「アベ」に対峙することと『「私たち」のあり方』を問うこととは本質的に同義なのですが、両者を分離するロジックが使われていました。

●多分、「あいちトリエンナーレ」で津田が負った傷は、深かったのでしょう。残念なことに、津田の時評そのものが「時代適合的」になっているのでした。

 

※【追記、2020.9.26】川上未映子の短編「Golden Slumbers」[朝日新聞]に思う

●短編ながら、小説の持つ表現力の凄さをあらためて感じました。津田にとってだけでなく、私たち一人ひとりにとって、「編むのはやめて、あそこで何か話してみれば? みんなにわかる言葉で」という呼びかけに抗するのは、大変です。「黄金のまどろみ」の誘惑は誘惑と感じないほど強いのですが、「みんな」で身を寄せ合う「真っ白なシーツ」はむしろ不穏なものを感じさせています。